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趙炳玉

趙炳玉(チョ・ビョンオク、1894年5月21日 - 1960年2月15日)は、第一共和国時代の大韓民国における政治家で、1960年大統領選挙における民主党の候補者。号は維石(ユソク、유석)。忠清南道天安市出身、公州永明学校を経て、1911年平壌崇実学校を卒業。延禧専門学校を1914年に卒業した後、アメリカコロンビア大学で政治経済学を専攻した。帰国した後、延禧専門学校専任講師となったが、教育方針の対立で辞職、1927年、新幹会の創立委員・財政総務を務め、1929年、光州学生運動を背後操縦したとして逮捕され、3年間服役。1937年にはで再び逮捕され、2年間服役することとなった。1945年8月の光復後、宋鎮禹・張徳秀とともに韓国民主党の結成に参画。米軍政庁の警務部長に就任、韓国警察の創立に関与するとともに当時大きな勢力を有していた左翼勢力の摘発に力を注いだ。1948年、大統領特使、国連韓国代表を務め、1950年に勃発した朝鮮戦争では内務部長官として大邱死守の先頭に立った。その後、李承晩大統領との意見の衝突で辞職し、反李承晩勢力の主要人物となった。1954年の第3代総選挙、1958年の第4代総選挙に当選。1956年、民主党代表最高委員に選出、1959年11月の正副大統領候補者指名大会で、民主党の正大統領候補に指名(副大統領候補は張勉)されたが、12月に病をわずらい、翌1960年1月末に治療の為に渡米したが、2月15日にワシントンD.C.のウォルター・リード陸軍病院でガンのために死亡した。金大中と共に民主化運動に関わり、現在は自由先進党所属の国会議員である趙舜衡は、三男にあたる。

出典:wikipedia

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