混血(こんけつ、mixed blood)とは、何らかの分類上において、異なると考えられている枠組みに属する親同士の間に子が生まれること。特に人間を指してこのように呼ぶ場合は、人種・民族等の区別が前提となり、生物学的な概念というよりは、容姿や文化に関わる特性に基づく主観的な概念である。当人及びその両親の出身地、並びに両親の民族的所属から成る「出自」のいかんによって、言語を含む文化的知識・価値観が決まるというわけではなく、当人のアイデンティティーの根幹をなすや帰属意識といったものは教育やその他の環境的要因によって各人各様に作られていく。人間の場合は人種または民族の異なる父母の間に子が生まれることを指す。人種や民族といった範疇を血液に象徴させ、「血と血が混ざり合う」と表現した語だが、実際に混ざり合うのは遺伝子である。ただし、人種・民族ともに生物学的に定義することは難しい。混血とはあくまでそれら文化的・主観的分類概念を前提としたところでのみ成立しうる、文化的・主観的な概念である。一方、民族の人種的・文化的純粋性に価値を置くことを批判する立場から、混血の概念自体をタブー視したり否定したりされることがある。この文脈においては、混血・ハーフなどの呼称が蔑称としてみなされる場合が多い。人間における混血とは、人種や民族などの単位で、異なるグループに属する者同士を親として持つことを意味する。現在残っているヒトはすべて同じ生物種(ホモ・サピエンス)であり、完全な交配が可能である。このため人の混血とはあくまでも同じ種の内部における概念と考えられる。人間社会は古くから人種差別や民族紛争・民族差別などの問題を持っているが、人種の違いはわずかな遺伝形質(皮膚の色や髪の色・顔付き・体格といったような物)の組み合わせによる差異であり、民族は本質的に文化によって構築され、区別されている。しかしヒトは社会的動物であり、各々の人種・民族の単位で結束が固い社会にあっては、または封建的な社会において所定の氏族の政治的・社会的地位の格差がある場合などには族内婚で生まれた子供に比して、これら混血の人々が差別の対象とされやすい。特に双方の人種・民族の間に深い軋轢(あつれき)のある社会においては、彼ら混血の立場にある人の社会的地位が問題になる場合がある。一方で、相互の人種・民族間において友好関係がある場合や、一方の人種・民族にもう片方の人種・民族が憧憬を抱いている場合、その憧憬を抱く側が、混血者を尊重や憧憬の対象と見なす場合ある。また、2種類の人種・民族だけではなく何種類の人種・民族から生まれる場合も混血という。特に古くから国際的な交流ないし交易があった地域や、または他民族の流入が激しかった地域では、人種・民族などの混合や交流がみられる。この場合は、自らの民族的ルーツを模索し、自らの価値観(好み)に沿う民族文化を選択するケースもある。混血の対義語は純血である。この表現もまた人種や民族の違いを象徴させた語であるが、世代三代まで遡るという考え方もあるものの「純粋な人種・民族」という事柄の定義は困難である。民族主義、ナショナリズムと結びついた用い方がされる場合がある。日本では一般に「ハーフ()」と呼ばれる。「ハーフ」という呼称は、横浜で生まれ育った作家、北林透馬が1930年に発表した小説『街の國際娘』で初めて使用された。戦後、1960年代からは横浜以外の地域にも広まり始め、当時のザ・ゴールデン・カップスやその後1970年代に活躍した「ゴールデンハーフ」というアイドルグループの名称から全国的に広まったとされる。そのため、初期は「ハーフ」といえば女性を指していると解する人もいた。また、主に日本籍者と外国籍者の子供、その中でも日本籍者と欧米系白人の子供を指す場合が多かった(ただし、現在でも単に「ハーフ」と言った場合は大抵このパターンを指す)。日本において特に社会的に注目されるようになったのは、戦後、連合国軍兵士との間に生まれた人々(GIベビー)である。当時は「混血児」や「あいのこ」と呼ばれ、その母親が水商売や当時パンパンと言われる売春婦を行っている場合のみならず、占領軍施設や占領軍向けの小売店などで働く女性が、兵士と自由恋愛の末に出産をしたケースも含めて、周囲から好奇の目を向けられた。やがて、差別やいじめの起因となることから「混血児」という呼称の使用は避けられるようになった。1972年、沖縄県が日本政府の施政下に戻ったとき、ここでも「混血児」が注目された。以降、軍事基地と関わる社会問題として語られることが多く、その文脈で語ることは沖縄の当事者にとって不名誉な烙印ともなっている。1980年代初頭には、無国籍問題などで注目されたが、1984年の国籍法改正により、無国籍問題として注目されることはなくなった。1980年代以降、国際結婚で生まれた子供ということから、一部から「国際児」という呼称も使われ始めるが、現在は教育学の研究者が主に用いている。1990年代に入り、「ハーフ」という呼称の語源に「半分」という意味があることから、差別用語ではないかとの意見が現れた。そして、2つのルーツ(出自)を持つという意味から「ダブル」という呼称を採用しようとする動きが一部の親などから出始めた。しかし、「ダブル」と言う呼び方は、「実際には一つの文化のもとに育った人や、2つ以上のルーツを持つ人に当たらない表現である」と考える人も多い。1998年、沖縄県にアメラジアン・スクール・イン・オキナワ(AASO)が出来たことにより、それ以降、在日米軍の関係者と地元女性との間に生まれた子供について「アメラジアン(アメリカン+アジアン)」と呼ばれることがあるが、これも特別な呼称を付けること自体に批判がある。なお、「ハーフ」と呼ばれる人を片親に持つ人は「クォーター(quarter)」とも呼ばれる。日本の芸能界では、古くからハーフタレントが活躍してきたが、近年(2016年時点)はその数が急増しており、テレビで見ない日は無い状態になっている。メディアへの露出が目立つハーフタレントは、主に欧米人の親を持つ若い女性が圧倒的多数を占めている。厚生労働省の調査では、2006年に生まれた新生児約110万人のうち、少なくとも片親が外国国籍の子供が35651人と約3.2%を占めることが、2008年8月4日の東京新聞などで報道された。その中で、両親とも外国国籍の子供は約9000人とあり、これを差し引いた約26600人の新生児が日本国籍と外国国籍の両親との間に生まれた子供ということになる。夫が日本人、妻が外国人という組み合わせが約36000組と圧倒的に多く、うち妻の国籍は中国、フィリピンがそれぞれ3分の1。6分の1が韓国・朝鮮で、以下タイ、ブラジル、アメリカと続く。なお日本国籍は父母のいずれかが日本人であれば取得できるが、国籍法により、他国の国籍を離脱する努力義務を負う(罰則はない)。同時に外国の国籍を持ちたい場合には、対応は当該国家により様々である日本社会では単に「ハーフ」と呼ばれる人々も、世界(ここでは主に欧米圏)では様々な名称で呼ばれ区別される。日本社会で一般的に「ハーフ」と呼ばれる日本(アジア)人と欧米系白人の混血は「ユーラシアン」と呼ばれ、欧米系白人とアフリカ系黒人の混血は「ムラート」呼ばれている。また、欧米系白人(特にスペイン人)とインディオとの混血は「メスティーソ」と呼ばれ、ラテンアメリカでは人口の多くをメスティーソが占める国も少なくない。同じくラテンアメリカでは黒人とインディオの混血は「サンボ」と呼ばれる。奴隷制度があった時代のアメリカでは、『』というものが使われていた。これは、僅かでも黒人の血が入っていれば例え白人の血の方が圧倒的に濃くても黒人に分類されるという考えである。その為、白人と黒人の間に生まれた子供も多くが奴隷として売られていった。(例えば、第3代アメリカ合衆国大統領トマス・ジェファーソンが所有する奴隷であったサリー・ヘミングスは、4分の1だけ黒人の血を引いていたが、外観はほとんど白人に近く、真っ直ぐな髪を背中に垂らしていた。)ケニア出身の黒人の父とアメリカ出身の白人の母を持つバラク・オバマが「アメリカ史上初の黒人大統領」と呼ばれている事からも分かるように、奴隷制度が無くなった現代でもこの考えは無くなってはおらず、有色人種と白人の間に生まれた子供は有色人種に分類される事が多い。なお、アフリカ系アメリカ人は他国のアフリカ系に比べると混血化が進んでおり、平均すると25%程度に白人の血が混じっていると言われている。パラグアイでは、国民の90%以上が、日本人と同じモンゴロイド系であるグアラニー人などのインディヘナの血が強い、スペイン人との間の混血(メスティーソ)である。これは、征服当初この地に住んでいたグアラニー人が、やってきたスペイン人と同盟して他のインディヘナを打ち破る過程で両者が積極的に混血を受け入れたこと、また、初代国家元首フランシア博士が政策的に異人種間の通婚を推奨、強制したためである。そのため現在のパラグアイ人は「グアラニー」の血を引くことを誇りに思っていて、小柄でアジア的な風貌の人も少なくない。
出典:wikipedia
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