P-61は、アメリカ陸軍航空軍が第二次世界大戦中に運用した重武装の夜間戦闘機。愛称は「ブラック・ウィドウ」。直訳すると黒い未亡人となる。日本語の文献では「黒衣(喪服)の未亡人」と意訳して紹介される事がある。アメリカ大陸に棲息するクモの一種にBlack widow(和名: クロゴケグモ) というのがあり、それを指しているとも言われる。いずれにせよ、機体が黒色に塗装されていたことによるとされる。製造はノースロップ社。ドイツ空軍によるロンドン空襲で、夜間爆撃に対抗できる専用の夜間戦闘機の必要性を感じていたアメリカ陸軍航空軍は、ノースロップ社に対して夜間戦闘機の開発を求めた。ノースロップ社は双胴式の大型機の計画を提出し、これに対して1941年に試作発注され、試作機は1942年5月に初飛行した。部隊への引き渡しは1943年10月に開始され、1944年から実戦配備についた。P-38に似た双胴形式のユニークな機体であり、強力な2,000馬力級エンジンを2基搭載している。夜戦に必須なレーダーは、機首に搭載している。武装は非常に強力であり、胴体下部に前方に向けた固定機銃(20mm機銃4門)、胴体の後部上方に遠隔旋回式の機銃(M2 12.7mm機銃4門)を備えている。強力な武装とレーダーを搭載した重量級の機体ながら双発機としては運動性は軽快ではあったが、それでも単発機と比べ物にはならないレベルであり、また配備された頃にはドイツ空軍による本格的な空襲は鳴りを潜めており、連合国軍の夜間戦闘機の任務は連合軍攻撃機に対して飛び立ってきた枢軸国軍の夜間迎撃戦闘機との戦い、もしくは少数で進入してくる敵爆撃機に対する迎撃となっていた。しかし悪条件にもかかわらずP-61を駆っての夜間戦闘は何人ものエースを生み出した。また搭載力を生かして夜間侵攻用の戦闘爆撃機として利用されることも多かった。太平洋戦争(大東亜戦争)でも、伊江島に進出したP-61が夜戦兼地上襲撃機「P61 ブラック・ウィドー」として日本で紹介されていた。海兵隊も夜間戦闘機として使用していたPV、F4U、F6Fの後継機としてP-61を欲したが、陸軍向けの装備が優先されていたために待たされて、結局F7Fの夜戦型が使われることになったのと終戦により、12機がF2Tとして訓練用に使用されただけであった。また海軍も開発実験目的に少数のP-61を使用した。戦後、F-61(1947年に改称)はF-82に順次交代していった。また偵察や気象観測に少数機が利用された。なお、写真偵察型はF-15 リポーターと呼ぶ。
出典:wikipedia
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