李 儒(り じゅ、生没年不詳)は、中国の後漢末の政治家。董卓が入朝した頃に官界にあり、弘農王(少帝)劉弁の郎中令に就いており、董卓に廃された弘農王に毒薬を飲ませて殺害したと記されている。董卓を殺害した王允らを討ち取った李から侍中に推薦された。しかし、献帝から「弑逆の罪」によって粛清されかかり、の取り成しを得て、生き延びている。小説『三国志演義』では董卓の娘婿として登場する。董卓が洛陽を支配した後に、弁皇子の殺害及び献帝の擁立や、諸侯による董卓討伐軍が洛陽に迫ったことへの対策として長安への遷都など、董卓に対し悪政の進言を積極的に行うなど、知恵袋的人物として活躍する。また、「連環の計」にも気付き、呂布との対立を深める董卓を諫めるも聞き入れられず、「我等全員女(貂蝉)の手に掛かって死ぬのか」と嘆いている。李儒の最期は董卓が暗殺されたとき、王允によって連座されて捕らえられ、四つ裂き刑にされた。185年に建てられた『漢郃陽令曹全紀功碑』の中に、司隷馮翊郡郃陽県の人として、李儒の字を「文優」と記述されている。
出典:wikipedia
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