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春風亭柳朝 (5代目)

5代目春風亭 柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう、1929年〈昭和4年〉10月29日 - 1991年〈平成3年〉2月7日)は、旧東京市芝区新橋出身の落語家。本名、大野 和照(おおの かずてる)。生前は落語協会所属。出囃子は『さつまさ』。旧制正則中学在学中に、志願して海軍に衛生兵として入隊。その後は職を転々とし、1950年3月、5代目蝶花楼馬楽(後の林家彦六)に入門し、小照を名乗る。翌1951年に一旦は転職するも、翌1952年に再入門し、林家正太を名乗る。翌1953年5月、二つ目に昇進し、照蔵に改名。1962年5月、真打に昇進し、5代目春風亭柳朝を襲名する。亭号が「春風亭」になったのは、師匠が「林家正蔵」の名跡を7代目正蔵の遺族である初代林家三平より一代限りの条件で借り受けていたことから、三平を配慮して自分の弟子が真打に昇進した時は他の亭号に変えさせていたためである。「春風亭」の名跡は落語協会にもあったが、8代目春風亭柳枝没後封印されていた。そのため師匠は日本芸術協会(現:落語芸術協会)会長の6代目春風亭柳橋に面会し、柳朝を名乗ることの了承を得た。1960年代はテレビ、ラジオでも顔を売り、7代目(自称5代目)立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目三遊亭圓楽と共に「落語若手四天王」と呼ばれた。1972年、5代目柳家小さんが落語協会会長に就任すると同時に、同協会専務理事に就任。後に常任理事に就任した。1980年、2番弟子の春風亭小朝が36人抜きで真打昇進。このことは当時の大ニュースとなり、柳朝は押しも押されもせぬ大幹部となる。1982年1月、師匠彦六と死別。同年12月には脳梗塞に倒れ、高座復帰も叶わぬまま、1991年2月7日に死去した。享年61。※一時的に師匠彦六没後、まだ二つ目だった弟弟子林家時蔵を預かるが、自身の病状の悪化により、初代林家木久蔵(現:木久扇)門下に移籍させる。

出典:wikipedia

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