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F-101 (戦闘機)

F-101 ヴードゥー (Voodoo) はアメリカ合衆国のマクドネル社が開発した、双発の超音速戦闘機。初期設計では爆撃機の護衛用であったが、その後、迎撃任務や写真偵察にも転用された。アメリカ空軍の他にカナダ空軍が広く採用し、台湾空軍も偵察機型を少数機導入した。当初の計画とは異なり核攻撃任務兼任の偵察機および大型要撃機として実用化され、1954年の初飛行の後、偵察機型は1960年代からベトナム戦争にも投入され、アメリカ空軍・カナダ空軍の迎撃機型は北アメリカ大陸の防空にあたった。1987年までに全機が退役している。アメリカ空軍戦略航空軍団 (SAC) は1951年1月に長距離戦闘機の開発要求を各社に出した。マクドネル社は開発中止となった長距離戦闘機の試作機 XF-88(1948年10月20日初飛行)を大幅に改良した案を提出し、それが受け入れられてF-101の開発が開始された。なお、F-101の名称が付けられたのは1951年11月のことである。試作機YF-101Aは1954年9月29日にエドワーズ空軍基地で初飛行した。初飛行で音速突破を記録している。初飛行の日に戦略航空軍団の長距離護衛戦闘機計画は中止となっている。しかし「核爆弾1発を搭載して敵地深くに高速で侵入する」という当時の戦術航空軍団 (TAC) の戦闘爆撃機の構想に合致した機体だった事、またF-102戦闘機の低性能に失望していた防空軍団 (ADC) より長距離要撃機として関心が示されたため、設計を変更し引き続き開発は続行された。低翼配置の後退翼の機体で、テールに尾翼があるというのはXF-88と同じであるが、胴体は3.2m延長され尾翼面積も拡大している。水平尾翼の位置も垂直尾翼基部から垂直尾翼上部に移されている。その一方、主翼面積はXF-88とさほど変わらず、翼面荷重は高くなり後述する通り本機の欠点となった。機関はジェットエンジンの双発であり、エアインテークは主翼付け根に、ノズルは胴体後部(テールの付け根)にある。武装としては内蔵機関砲のほか、胴体下3箇所のパイロンに爆弾や増槽の搭載が可能。要撃機型は空対空ミサイルを4発搭載可能である。要撃機型のミサイル搭載方式は変わったもので、胴体前部にあるミサイル倉の機外側に半埋め込み式で2発、もう2発を機内側に搭載し、機外搭載ミサイルを撃ち尽くすとミサイル倉が回転し機内搭載ミサイルが露出する仕組みになっている。設計上はこれを爆弾倉に転用することも可能であったが、空対地兵装を搭載することはなかった。なお、増槽はミサイル発射時にブラストが直撃し吹き飛ぶ恐れがあったため、ミサイル搭載時は同時搭載しないか、ミサイル発射前に残量の有無に関わらず投棄しなければならなかった。本機は登場した当初はマッハ1.7を誇り当時最高速の戦闘機であったが、程なくしてマッハ2級の戦闘機が続々と登場し、一転して速度性能では平凡な機体になってしまった。ただ本機の最高速度がマッハ2に達しなかったのはエアインテークの形状が固定式であるためであり、J57エンジン双発のパワーは決して後に登場したマッハ2級機に劣るものではない。そもそも、いかに高性能な超音速機といえども、そうそう実運用では超音速が出せるものではなく(アフターバーナーを使用する事によりたちまち燃料を消費してしまう)、マッハ2以上の最高速度に大した意味がある訳ではない。本機がマッハ1級でありながら高速偵察機としてベトナム戦争で活躍した実績がその事実を如実に物語っている。また、マッハ2を超える速度を発揮するのに必要な可変式エアインテークは構造が複雑で重く、信頼性・整備性や製造・運用コストなど、速度性能を向上する以外のデメリットが大きい。1970年代後半から1980年代以降、戦闘機の最高速度は重要課題でなくなったため、マッハ1台後半~マッハ2.0程度で頭打ちになり、低下しているとさえ言える状況である。一方で、水平尾翼をT字配置として垂直尾翼の上に持ってきた設計は、戦闘機としては致命的で、明白な大失敗であったと言える。迎角を大きく取ると主翼の後流が水平尾翼の効果を無くし、急激な機体の頭上げ(ピッチアップ)を生じる事となった。そのためピッチ・コントロール・システムが付加され、機体の運動を制限して対処している。そのため高翼面荷重の設計と相まって、本機の運動性能はあまりよくない。要撃機や偵察機としてはともかく、本来の開発目的であった戦略航空軍団の長距離戦闘機(爆撃機護衛あるいは爆撃機の安全のための敵国上空の制空権確保が任務であり、格闘戦能力は必須である)には全く向いていなかったと言える(一方で、通常水平尾翼を廃して大型のデルタ翼を装備したF-102の改良型F-106は、本来はミサイル運用を主眼とした要撃任務に特化して設計されたにも関わらず、エンジンの高推力も手伝って良好な運動性能を見せている)。1961年までの5年間においてF-101はアメリカ空軍でもっとも事故率が低い戦闘機であったが、こうした設計上の問題に起因する厳しい運用制限を課せられた上でのものだった。防空軍団では、同じくF-102の失敗を受けての改良発展型であるF-106と並んで、要撃機の主力となった。完全自動要撃戦闘システムを採用したF-106に対し、本機はパイロットのマニュアル操縦を重視した要撃機として位置づけられており、F-89戦闘機の後継機として主にアラスカの部隊で使用された。広大な北極海をパトロールするには長い航続距離が必要で、また半自動式防空管制組織 (SAGE) の十分な支援を受けられない環境であったので本機のような戦闘機がF-106とは別に必要であった。要撃機型が全て複座なのも、よりパイロットの能力を重視した結果である。但し、以上の説明は要撃機の本命と言うべきF-106の採用の妨げにならないための空軍による理論武装でもある。また、F-102の失敗からその発展型であるF-106も失敗しないとは言いきれず、そのための“保険”という側面もあった。戦術航空軍団では戦闘爆撃機として当初採用されたが、戦術航空軍団の構想に基づく戦闘爆撃機としては当初から開発された“本命”の機体であるF-105の配備が迫っていた事から、それまでのつなぎとして少数が生産されただけに終わった。あるいは空軍州兵(ANG)向けに生産されたものの、こちらも少数にとどまった。そのため高速性能を活かした偵察機として活用され、キューバ危機の際やベトナム戦争前半の主力偵察機として運用された。なお偵察機型は固定武装は有さないが、後の改装で核爆弾投下能力は有するようになっていた。強行偵察という任務の過酷さゆえに損耗は激しく、F-105と並んでベトナム戦争で使い尽くされた機体となった。空軍州兵の機体まで動員されてベトナム戦争に送られたため、穴埋めとして戦術航空軍団で第一線を退いた戦闘爆撃機型が偵察機型に改修されて空軍州兵に配属された。アメリカ以外で運用された機体は少なく、同盟国の中華民国空軍とカナダ空軍のみである。台湾空軍では偵察機型の供与を受け、主に敵対する中華人民共和国への偵察任務に用いられた。カナダ空軍では野心的な自国開発戦闘機であるアブロ・カナダ CF-105をキャンセルした後、代替機として要撃機型が採用され、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)の指揮下でアメリカ空軍とともに北アメリカ大陸の防空任務に就いた。カナダ空軍はF-101を最も長く運用し、1984年に第一線での運用を終了、最後まで残っていたEF-101Bが退役したのは1987年のことだった。

出典:wikipedia

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