2004年の日本シリーズ(2004ねんのにっぽんシリーズ、2004ねんのにほんシリーズ)は、2004年10月16日から10月25日まで行われたセ・リーグ優勝チームの中日ドラゴンズと、パ・リーグ優勝チームの西武ライオンズによる第55回プロ野球日本選手権シリーズである。この年の日本シリーズは、セントラル・リーグの中日ドラゴンズと、パシフィック・リーグはレギュラーシーズン2位ながら、この年より導入されたプレーオフを制し、リーグ優勝チームとなった西武ライオンズ。中日と西武の対戦は西鉄時代を含めて過去3度の対戦で西武が2勝1敗。中日の落合博満、西武の伊東勤の共に新人監督同士の対決となり、西武が4勝3敗で12年ぶりの日本一達成。伊東が史上7人目の監督初年度での日本一達成。レギュラーシーズンではわずか1勝に終わった石井貴が今シリーズで2勝をあげ、MVPを受賞した。日本シリーズでの勝利数がレギュラーシーズンの勝利数を上回ったのは史上初のことであった。なお、この日本シリーズ開催途中の10月23日に新潟県中越地震が発生したが、翌10月24日の第6戦では試合前の黙祷などは行われず、試合前にナゴヤドームのオーロラビジョンに日本野球機構(NPB)・中日ドラゴンズ・西武ライオンズ名義で「新潟県中越地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます」と掲示されたに留められた。また、日本シリーズ勝者の西武はビールかけを自粛せず予定通り実施した。なお、中日の選手会は24日、被災地に寄付金100万円を贈ると発表した。井端弘和選手会長(当時)は「できる限りのことはしたかった。新潟にも中日ファンはいると思うので、あとはいいゲームを見せたい」と話した。試合開始時刻は全て日本時間。 ○は勝利投手、●は敗戦投手、Sはセーブ投手を表す。先発投手は中日はシーズン最多勝の川上憲伸、西武はシーズン1勝の石井貴。4回、中日は和田一浩に左翼に本塁打を浴び先制されると、5回にはフェルナンデスの放った何気ない飛球をライトの英智が落球。セ・リーグ最少の45エラーと堅守を誇る守備陣にミスが出て2対0とされる。5回裏、中日の攻撃で谷繁のキャッチャーゴロからの併殺プレーについて、中日の監督の落合が「打者走者に対するタッチによってアウトがコールされたため、二塁はタッチプレーになり、アウトではない」と主張し、判定が覆った。しかし西武の監督の伊東がこれに対して異議を唱え、49分の中断となった。その後も試合は西武が石井貴、小野寺力、豊田清の継投で中日に完封勝利。1998の第5戦から続いていた、西武の日本シリーズの連敗も6でストップした。1回、西武フェルナンデスが中日先発の山本昌から2点本塁打を放ち先制点を挙げるが、3回、西武の先発の松坂大輔が制球難から調子を乱し、中日はアレックスの適時打と谷繁の満塁からの押し出し四球で逆転し3対2。5回、西武が佐藤友亮、赤田将吾、和田の3選手の適時打で再び3対5と逆転。7回の和田の2試合連続本塁打で3点差とする。7回裏、中日は先頭打者の大西崇之が一塁内野安打で出塁すると、立浪和義の3ラン本塁打や谷繁の二塁打などで5点を取り逆転。8回、英智と谷繁の2本の適時打で11対6とし、最後はストッパーの岩瀬仁紀が抑えて、中日が勝利。対戦成績を1勝1敗とした。西武の本拠地での初戦となる第3戦は、4回に西武が中日の先発のドミンゴからフェルナンデスの適時打とカブレラの2点本塁打で3点を先制、5回に中島裕之の本塁打で4対0。6回、中日は西武の先発の帆足和幸がアレックスの適時打などで降板、代わった長田秀一郎から谷繁が満塁本塁打などで4対5と逆転し、7回までに4対6とするがその7回、中日は岡本が佐藤の2点適時二塁打で同点とされる。ここで一度はコーチ陣が集まったものの、中日は岡本の続投を決断、しかしこれが仇となり二死満塁からカブレラの場外への満塁本塁打返しで10対6とされる。8回、西武はリナレスの本塁打などで2点差とされるが、最後は豊田清が抑えて、10対8で西武が勝利し対戦成績を2勝1敗とした。当初第4戦は10月20日に実施されることとなっていたが、台風23号が列島縦断をしていることなどを考慮してドーム球場を舞台にした日本シリーズとしては初の中止・順延となった。中日は2回表に西武の先発の張誌家からリナレスの本塁打で先制、4回にはアレックスのソロ本塁打、井上の3点本塁打、5回の谷繁の適時打などで8対0とする。西武は7回裏、フェルナンデスの適時打と、8回裏に中島の本塁打で2点を返すものの、中日が8対2で勝利し、対戦成績を2勝2敗とした。先発は西武がシーズン10勝ながら、プレーオフは怪我の影響で登板機会がなかった西口文也。対する中日は川上。中日は3回表に1番荒木雅博の三塁打、続く2番井端弘和の内野選択の間に1点を先制。4回表には井上の2点適時打、更に9回表に立浪の2点本塁打、アレックスのソロ本塁打と2者連続本塁打でリードを広げた。一方の西武打線は5回まで川上に無安打に抑えられ、6回裏の小関竜也の適時打で1点を返すが。最後は岩瀬が締め、中日が6対1で勝利し3勝2敗とした。先発投手は両チームとも第2戦と同じ山本昌と松坂大輔。1回表、西武はカブレラの適時打で1点を先制。中日は2回と4回に井上の適時打で2対1と逆転するが、日本シリーズでまだ勝ちのない山本昌が6回表に和田の2ラン本塁打を打たれ3対2と逆転されると、8回表にも落合が和田にソロ本塁打を浴び4対2とされた。西武は松坂から豊田のリレーで逃げ切り4対2で勝利、シリーズ成績を3勝3敗のタイにした。前年に続き、2年連続の最終戦までもつれる。西武は3回二死三塁から佐藤のセカンド内野安打(ドミンゴのグラブに当たり打球が変化)で先制得点を挙げ、フェルナンデスが中前適時打を放ち2点目。フェルナンデスが一、二塁間に挟まれるも井端の送球がフェルナンデスに当たり、この間に赤田が生還して3点目。ドミンゴから代わった山井からもカブレラが2点本塁打を放ち5対0とする。西武は6、7回にフェルナンデスの適時打、平尾博嗣の右翼への本塁打で7対0とし、8回には前日先発の松坂が連投で登板。中日は9回に豊田から2点を取るが最後は渡邉博幸が一飛で西武が7対2で勝利し、西武は1992年以来12年ぶりの日本一達成。※この年は日本テレビ系列での放送が1試合もなかった。これは、日本テレビが西武主催試合の放映権を完全な形で持っていないこと(ビジターチームの地元局への裏送りは実施している他、過去にBS日テレでの例外的な放送が1度だけあった)と、中京テレビが中日主催試合の放映権を持っていないためである。またこの年から2007年までの4年間にわたり、日本テレビ系列で日本シリーズが中継されなかった(2005年は第5戦の放映権を持っていたが、第4戦で決着。2006年、2007年はこの年と同様中日が日本シリーズに進出したため、中継できなかった)。※関東地区での視聴率は(ビデオリサーチ調べ)、第1戦(TBS系)は17.1%。 第2戦(フジテレビ系)は16.3%。第3戦(テレビ朝日系)は14.2%。第4戦(テレビ朝日系)は13.0%。第5戦(TBS系)は14.2%。第6戦(フジテレビ系)は20.0%。第7戦(TBS系)は16.9%だった。
出典:wikipedia
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