中野会若頭射殺事件(なかのかいわかがしらしゃさつじけん)とは、平成11年(2000年)9月1日に、大阪府大阪市生野区桃谷の麻雀店「ロンクラブ」で、指定暴力団・五代目山口組(組長は渡辺芳則)二代目宅見組(組長は入江禎)傘下の幹部組員4人が、指定暴力団・中野会(組長は中野太郎)若頭・山下重夫を射殺し、山下重夫のボディガード役の田中敬介に重傷を負わせた事件。平成8年(1996年)7月10日、中野会会長襲撃事件が勃発した。平成9年(1997年)8月28日午後3時20分ごろ、宅見若頭射殺事件が発生した。同年10月、指定暴力団・中野会(組長は中野太郎)若頭・山下重夫は、大阪府大阪市生野区桃谷の麻雀店「ロンクラブ」の近くの自宅に、組事務所を移した。同年10月13日、山下重夫の自宅玄関前に模擬手榴弾が置かれていた。平成11年(1999年)7月ごろ、山下重夫は、大阪府大阪市生野区桃谷の麻雀店「ロンクラブ」を組事務所代わりに使用し始めた。山下重夫は、毎日午後4時ごろから、翌日の午前3時ごろまで、麻雀店「ロンクラブ」にいた。「ロンクラブ」はすでに営業していなかった。平成14年(2002年)4月20日、中野会副会長襲撃事件が勃発した。平成11年(1999年)9月1日夕方、麻雀店「ロンクラブ」に、中野会若頭・山下重夫が入った。同日午後7時55分ごろ、山口組二代目宅見組(組長は入江禎)傘下の幹部組員ら4人が、「ロンクラブ」に押し入り、このうちの2人が38口径の拳銃を乱射した。山下重夫は腹部に2発の銃弾を受けた。山下重夫のボディーガード役・田中敬介も腹部に銃弾を受け、重傷を負った。山下重夫と田中敬介は、大阪警察病院に搬送された。2時間後、山下重夫が死亡した。同年9月3日と9月4日、東大阪市の葬儀場「やすらぎホール」で、山下重夫の通夜と葬儀が営まれた。中野太郎は、中野会組員に、山口組への報復を行わないように、緊急通達を出した。同年9月5日、山口組は、当日予定していた山口組定例会を中止した。同年10月12日、山下重夫を射殺した宅見組傘下の幹部組員が、警察に出頭した。
出典:wikipedia
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