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イェスデル

イェスデル(Yesüder)は、モンゴルの第18代皇帝(大ハーン)。漢字表記は也速迭児。チンギス・カンの孫で、兄クビライと帝位を争ったアリクブケの後裔。アリクブケが分与されたウルスを引き継ぎ、モンゴル高原の西部に勢力を持っていた。天元10年(1388年)、高原東部のホロンボイル地方ブイル・ノールでハーンのトグス・テムルが明の将軍藍玉に大敗するとハーンに対する反乱を起こし、カラコルムを目指してわずか16騎で落ち延びていたトグス・テムルを、トーラ川の河畔で突如襲撃した。ハーンはわずかな従者とともに逃げ延びたが、イェスデルの軍はさらに追撃してこれを捕らえた。イェスデルはトグス・テムルを縊り殺すと、自らハーンに即位し、先祖アリクブケがトグス・テムルの先祖クビライとハーン位を争った内戦(モンゴル帝国帝位継承戦争)以来百数十年ぶりに、アリクブケ家にハーン位を取り戻した。イェスデルがハーンに即位した頃には、明との度重なる敗北と内紛のために北元は大幅に後退し、多くの王族や貴族が明に降ってしまっていた。さらにイェスデルがハーン位を簒奪してから間もない1392年に没すると、その諸子が相次いで即位するが、やがてアリクブケ一門の間でハーンを巡る争いが起こるようになり、モンゴルの混乱は深まった。イェスデルによりクビライ家のハーンが断たれたため、明は北元を従前のように元と呼ぶのをやめ、代わって韃靼(タタール)と呼ぶようになった。また、イェスデルらアリクブケ家の歴代当主と縁戚関係にあったケレイトやバルグトなどの諸部はオイラトを中心に部族連合を組み、東方のクビライ家恩顧のモンゴル王族・貴族の支配する諸部と争うようになる。

出典:wikipedia

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