パリの3区 (3く、仏:) は、フランスの首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである 。第3区、パリ3区ともいう。市のほぼ中央にあり、1区の北東に位置している。パリの3区は、市のほぼ中央にある行政区。「タンプル区 ()」と呼ばれることもある 。区域は、台形に近い形をしている。区の境界線の北東の角には、レピュブリック広場がある。人口は34,248人 (1999年)で、20区の中では4番目に少ない(人口の推移等詳細については後述)。区の名称は、市の中央部から時計回りに螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその3番目にあたることから、「3区」と名づけられた。3区から4区にかけての地域はマレ地区と呼ばれ、現在ユダヤ人街として知られているが、それまでの歴史のある貴族の館が立ち並ぶ地域である。3区には、スービーズ館、サレ館、ゲネゴー館などが現存しており、カルナヴァレ博物館、ピカソ美術館のように美術館や博物館に転用されているものもある。また、フランス革命の際、国王一家が幽閉されたタンプル塔があった(現存していない)。3区は、パリ中央部のやや北東寄り、1区 の北東の境界線に接している。セーヌ川の北の地域にある。面積は1.17平方キロメートルで、20区のうちでは2区に次いで2番目に小さい。北は、同じパリの行政区である10区に接し、北東の角にはレピュブリック広場がある。南は、ランビュトー通りやフラン=ブルジョワ通りを境界として、4区に接している。東は、レピュブリック広場とバスティーユ広場を結ぶ道路を境界として、11区に接し、西はセバストポル大通りを境界として、1区と2区に接している。パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルティエ)に区分されている。3区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。3区の人口は、パリが全20区になった直後の1861年には99,116人であったのが、約100年後の1962年には3分の2以下の62,680人となり、その後も減少を続けて1999年には34,248人となった。20区のうちで4番目に人口が少なく、1975年以降は、パリの人口の1パーセント台で推移している。2005年の推計では35,100人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、1861年の3分の1をやや上回る29,247人となっている。しかし、20区のうちでは5番目に人口密度が高く、パリの平均人口密度の1.2倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。パリの「広場 (プラス、)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスクや緑地等に利用されている場合もあり、凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。3区の広場や交差点には、次のようなものがある。
出典:wikipedia
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