『ギャンブルレーサー』は、田中誠が描いた競輪漫画。講談社の漫画雑誌・モーニングに1988年6月から隔週(一時期月3回掲載の時期もあり)で連載されていたが、後にイブニングに移動し、タイトルも『二輪乃書 ギャンブルレーサー』(にりんのしょ ギャンブルレーサー)と改められた。通算18年にも及ぶ長期連載の末、2006年1月に一度完結した。その後、2013年12月より2015年3月まで、徳間書店の週刊アサヒ芸能にて、『ギャンブルレーサー第二の人生 セカンドレーサー』として続編が掲載された。競輪の世界を、競輪選手である関優勝(せき まさかつ)を主人公に描く競輪漫画。連載開始当初は、競輪選手である関優勝の私生活(ギャンブル漬け)を面白おかしく描いた構成で、競輪のレース場面の比重はそれほど高くなかった。レースが描かれた場合でも、関が全員を落車させたり、走路審判員が打鐘しながら唾を吐くようなナンセンス漫画的なシーンも多いものであった。だが、段々とリアルな競輪のレース展開に比重を置いていくようになり、やがては実際の車券作戦の参考にもできるほどの競輪の入門書的な要素が強くなった。(そのため、後年は台詞の文量が増えている)関優勝だけでは話に限界があるため、売二などの弟子が登場するようになり、元甲子園球児でドラフトを拒否して競輪選手になった息子の優一の活躍に比重が置かれるようになった。時に大げさに「このレース売り上げゼロ」「本日入場者ナシ」などと競輪の存続の危機状態が描かれることがあり、特に2004年以降の連載においてその傾向が顕著になった。2005年のKEIRINグランプリをもって一度連載を終了した。関の元に最初に弟子入りしてきた金尾はモノにならなかったが、その後に入れた売以後、続々と彼の元に有力な選手が弟子入りし、連載終了時には関優勝と大場以外はS級選手と、一大軍団となっていった。本作には実在の競輪選手が実名のまま登場する。若い頃の関は埼京地区の有力選手という設定で、かつて隆盛を誇ったフラワーラインの選手たち(吉井秀仁・山口健治・清嶋彰一・滝澤正光など)や、九州の中野浩一・井上茂徳など往年の一流選手もよく登場した。波潟和男が作中で「牛丼の波潟」と呼ばれるなどコミカルな描写も多かったが、あくまで作品内でのフィクションである。「週刊アサヒ芸能」にて、2013年12月より、2015年4月2日号まで連載。関の引退後の生活や、その後の弟子たちの活躍を描いた作品として連載された。但し、モーニングやイブニング連載時の『ギャンブルレーサー』とは異なり、絵はスクリーントーンが使われていないなど背景も含めて簡素化され、またベタ以外は細いサインペンのようなものも使って描かれている。関は『代謝』(詳細は当該項目を参照)により競輪選手を“クビ”となってしまう。現役引退後は、選手時代にはできなかった競輪の車券購入にも手を出すなど、ギャンブル漬けの放蕩な生活がたたって妻の鐘子と離縁され、また息子の優一とも2011年に絶縁状態になってしまう(とは言え、関宛ての郵便物は優一の家に届くようになっており、また優一とは一緒に飲みに行くこともあるなど、完全に切れたわけではない)。さらに家や車など財産を全て失い、西武園競輪場の近くでホームレスの生活を余儀なくされてしまう。それでも売や金作といった弟子たち、さらに選手仲間に援助をたかるなどして、さらなるギャンブル漬けの日々を送っている。また、西武園競輪場の近くにあるスーパーいなけやの副店長とは関が物乞いに行った時に意気投合し、以来関はこの副店長なども利用して自分が利益を得るために様々な悪だくみを行っている。なお、この『セカンドレーサー』連載開始時での関は、『ギャンブルレーサー』の設定を引き継いでおり54歳となっている。優一や金梨はこの連載が再開された時もS級1班の一線級で活躍する選手であるが、売と金作は脚力の衰えなどから、売はA級1班、金作はA級2班に降格してしまっている。最後に、関は大穴をことごとく的中させ、気が付けば数千万の大金を手にしてしまう。競輪で得た儲けに対する課税は年間トータルでの損益だと勘違いしていた関は、税金を払わないで済まそうと大損を企み1レースで千万単位の大金を張るもそれも的中させてしまい、減らすどころか逆に増えてしまう。開き直った関はホームレスをやめ、身だしなみを整えた上で高級ホテルのスイートに宿泊し、終いにはお抱えの運転手を雇い、全国各地の競輪場を回り博打打ちの旅に出る。そんな姿がテレビでも取り上げられ、一躍有名人となってしまったのであった。ちなみに公営競技では本人含む2親等以内の親族の車券が禁止されており、優一が選手でいる間は父の優勝も競輪の車券を購入することはできないが、妻と離婚し優一と戸籍上の離縁をしたことで購入できるようになったというもの。関優勝を筆頭とする関軍団が西武園競輪場をホームバンク(普段の練習場)としていたことから、西武園競輪場で開催される開設記念競輪(GIII)にはかつて「ギャンブルレーサー関優勝牌」との呼称が付けられていた(2006年時には付けられていない)。2007年度以降は、西武園開設記念競輪では2日目の優秀競走に同呼称が付けられている。なお、いずれも呼称は作者の意向により「せきゆうしょうはい」とされていた1995年、パソコン用ソフト『ギャンブルレーサー』が発売された(ジャンルはシミュレーション)。企画・開発はプログレス、発売はビクターエンタテインメント、定価は11,800円(税抜)であった。PC-9801UV/VM21以降、EPSON PCシリーズに対応していた。選手モードと車券師モードがあった。主人公・関優勝の他、当時の実在選手200名が登場。プレイヤーは選手一人を選択し、ゲーム上でレースにチャレンジ。ラインを組むなどして1着を目指す。プレイヤーは「吉田のとっつぁん」となり、全国50ヶ所(当時)の競輪場を全て回り尽くす。レースが開催されている競輪場であればどこへ行っても自由。車券は全部で5枚、1枚につき5通りまでの組み合わせが購入可能。1日のレース終了後に収支を計算して、破産すればその時点でゲームオーバー。但し、スタート時の所持金は1万円、しかも競輪場までの交通費は自腹となっている。ちなみにほぼ同時期、スーパーファミコン用ソフトとして「スーパー競輪」が発売されているが、こちらは単に、プレイヤーが選択した選手が出場するレースにおいて、いかにして1着を取るか、というだけの単純なものであった。
出典:wikipedia
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