奥州街道(おうしゅうかいどう)とは、江戸時代の五街道の一つ。江戸日本橋を起点として千住から白河へと至る街道である。下野国宇都宮宿以南の区間は日光街道と共用されており、宇都宮宿伝馬町の追分で日光街道と分岐していた。五街道としての奥州街道は正式には奥州道中といい、江戸幕府道中奉行の直轄下にあった白河以南を指し、道中には27の宿場が置かれた。江戸時代には江戸と陸奥国さらには蝦夷間の物流が増加しており、白河はその中継地点として賑わい、奥州街道沿線では下野国宇都宮に次ぐ人口を擁するなど繁盛した。現在、東京と東北方面を結ぶ国道4号旧道の栃木県宇都宮市以北の区間が「奥州街道」と呼ばれている。一部区間では陸羽街道・仙台道・松前道・外が浜道などの名称が併用されていた。江戸時代初期には主に東北諸藩の参勤交代の交通・連絡に用いられたが、江戸中期には蝦夷地開発のため、江戸末期にはロシアからの蝦夷地防衛のために往来量が増加した。1873年(明治6年)に陸羽街道と改称され、現在は大部分が国道4号となり、並行して東北自動車道・八戸自動車道が通っている。岩手県岩手郡岩手町から二戸郡一戸町に至る街道跡の7区間、延長8.86kmが、「盛岡市の北方に位置するかつての一戸宿周辺には、浪打峠をはじめ往時の姿をとどめる街道跡、一里塚が良好に残っており、近世の交通の歴史を知る上で貴重である」として、国の史跡「奥州街道」に指定されている。数は千住宿からの通し番号である。
出典:wikipedia
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