京本 政樹(きょうもと まさき、1959年1月21日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手、ギタリスト。Ryus-up(リューズ・アップ)所属。血液型B型。身長178cm、体重61kg。大阪府吹田市出身の高槻市育ち。大阪府立高槻南高等学校卒、多摩美術大学中退。時代劇から現代劇まで幅広いジャンルのドラマで活躍。善の主役から悪の脇役までこなす俳優。シンガーソングライター、着物デザイナーとしても活動。また、シリアスな顔立ちとは裏腹にコミカルなキャラクターでバラエティ番組にも多数出演している。中学2年生の頃、同級生が送った写真がきっかけでジャニー喜多川から直接の電話があり、ジャニーズ事務所にスカウトされるが、当時音楽を初めたばかりで自作曲を歌いたかったために断った。ジャニーズ事務所入りは実現しなかったが、スカウトしたジャニー喜多川にフォーリーブスのコンサートに招待され、母と共に一度上京している。しかし、豊川誕は、朝日放送『シャボン玉プレゼント』のリハーサル中に京本からジャニー喜多川を紹介してほしいと懇願してきたといっている。音楽活動で、冴木 涼介(さえき りょうすけ)という別名を使ったことがある。高校時代に友人とバンドを組み、ヤマハポピュラーソングコンテストに出場するなど、元々はミュージシャン志望で芸能界にスカウトされたが、その直後に俳優として再びスカウトされ、1979年にNHK男たちの旅路・第4部『車輪の一歩』でテレビデビューした。1981年、往年のスター・大川橋蔵の『銭形平次』に魚屋役でレギュラー出演したのをきっかけに時代劇俳優としての活躍を目指そうと決意した。その際、大川に時代劇のメイク・所作などを手取り足取り教わった。共演者から「大川先生が直接人に教えることなんて今までなかった事だ」と言われたと、近年テレビで語っていた。それから『大川先生』を師匠としたことで、後に時代劇への思いが強まる(2001年には自伝「META-JiDAIGEKI」を、2004年には1億円かけて撮られたという写真集「必殺 The bi-kenshi」を出版。勢いの衰えた娯楽時代劇の復興に情熱をかけ続けている)。父は大川の大ファンだったそうである。1983年、深作欣二監督の角川映画『里見八犬伝』に犬塚信乃役で出演、アイドル雑誌などを経て、大ファンであった「必殺シリーズ」への出演を約束され、テレビ朝日系『京都マル秘指令 ザ新選組』に出演。1985年のテレビ朝日系娯楽時代劇『必殺仕事人V』の組紐屋の竜役で大ブレイクし、以降、時代劇俳優としての名が世間に浸透した。実は『京都マル秘指令 ザ新選組』での役が、カンフーなどアクション色の強い役であったため、本人は「飾り職人の秀」(三田村邦彦)のような役をやるのだと思い、簪の回し方まで一生懸命練習していたため、三味線屋の勇次(中条きよし)のような役と知らされ驚いたという(今でもバラエティ番組でよく秀の殺しの仕草をするのはその時の名残)。またバラエティ番組の出演も多く劇場作品『必殺! ブラウン館の怪物たち』で負傷した直後も松葉杖姿で出演したこともある。また、同シリーズの主題歌・劇中音楽も手がけた(後述)。「必殺シリーズ」降板後、『上海紅鯨団が行く』で「京本政樹先生の必殺」と言うコーナーが創られ再び仕事(殺し…あくまで娯楽の仕置)を視聴者の民家に訪れた。得物(殺しの武器)は組紐ではなく刀であった。『必殺仕事人V』以来、二枚目時代劇俳優として活動していたが、1993年、野島伸司脚本のドラマ『高校教師』の藤村知樹役でイメージ一転。女生徒に乱暴する英語教師という過激な演技で注目される。これ以降、『高校教師』のイメージが本人のイメージとして付きまとうのが本人の悩みの種にもなるが、翌1994年には再び野島伸司作品の日本テレビドラマ『家なき子』でニヒルな医師・黒崎和彦役でも注目される。以来、主役級で時代劇に出演しながらも、2時間サスペンスで犯人役を演じたりと、役幅を広げている。関西出身にもかかわらず、元々関西弁はきつくなく、上京してすぐに標準語をマスターしたため、普段は関西弁は話さない。しかし、1999年から関西ローカルの刑事ドラマ『新・部長刑事アーバンポリス24』で2年間主役を演じた。この作品では、妻を亡くし娘と2人で暮らす人情厚く熱血漢、高所恐怖症、本人と同じ大阪人の刑事という役柄で軽快な関西弁を話し、それまでのイメージとは大きく違う役を演じた。1984年、アルバム「ラブレーの15分」をリリースしたことでシンガーソングライターとしての才能を認められ、『京都マル秘指令 ザ新選組』の主題歌“I can't say...”でシングルデビュー。1986年『必殺仕事人V・激闘編』の主題歌「女は海」を作詞・作曲・編曲し、鮎川いずみに提供。エンディングのテロップには、キャスト名に加え、作詞・作曲・編曲の担当者として、合計4回名前のテロップが登場しており、アレンジャー・大谷和夫とともに劇中音楽やブリッジなど数十曲を手がける。「女は海」のメロディをアレンジした「闘う仕事人」が同シリーズのテーマ曲となっている(本人曰く、過去の平尾昌晃作曲の作品を聴き込んで研究した。その系統を継ぎながらも、同シリーズは唯一ロック色の強いアレンジとなっている)。放送時の音楽クレジットは平尾昌晃の名前のみであったが、「必殺仕事人V・激闘編サウンドトラック」発売により、初めて「京本政樹・大谷和夫」の名前がクレジットされている。しかし俳優としての活動が目立ち、音楽の話をする機会が当時からなかったため、それらの活動についてはあまり世間で知られていない。レコードデビュー以来、精力的にライブ活動を行い続け、日比谷野外音楽堂や中野サンプラザのステージにも立ち、1988年には「風のセーラ」で『夜のヒットスタジオ』に歌手としても出演したが(1988年1月6日放送)、やがて俳優・歌手の両立、本来のロック歌手としての活動と時代劇音楽とのギャップに悩み、1988年のアルバムを最後に本格的な音楽活動を休止する。2004年、芸能生活25周年を記念したアルバム「苦悩〜Peine〜」で本格的に音楽活動を再始動。各地で自らインストアライブを行い、Zepp Tokyoで昼夜二回ライブを開催した。このライブで初披露された2300万円のエレキギター(宝石が散りばめられており、刀が抜ける・ESP製作)、「サムライギター」がテレビなどでも大きな話題となった(高見沢俊彦のギターと同一の製作者によるもの)。2005年10月〜2006年3月にテレビ東京で放送された特撮ドラマ『牙狼』に龍崎駈音役で特別友情出演し、エンディングテーマ『牙狼(GARO)〜僕が愛を伝えてゆく〜』『僕はまだ恋をしてはいけない』の2曲を作詞作曲から手がけ、自ら歌った。本格的音楽活動での主題歌担当は21年ぶりとしてメディアに取り上げられた。『牙狼-GARO-』の出演者5人(小西大樹、藤田玲、肘井美佳、渡辺裕之、京本政樹)により結成された音楽ユニット「GARO Project」をプロデュース、2006年7月26日に京本作の2曲のカバーでマキシシングルデビュー。元々俳優よりも、プロデューサーになりたかったため、他人をプロデュースしたり、作品を生み出すことが何より好きで趣味のようなものだという。多方面でプロデュースを行う。現在は着物ブランド「雪華」を立ち上げ、自らデザインした作品を発表している。時代劇や特撮作品に対する愛情とこだわりから、自身の出演作品にも積極的に進言することも多い。大江戸捜査網ではオリジナルのBGM復活、ウルトラマンGではカラータイマーの効果音変更など。一時期、特撮にも造詣を持っていたことは有名で、自ら原型担当となってウルトラマンや仮面ライダーのソフトビニール人形をプロデュースしていたことがある。元々特撮番組に強い思い出があったわけではなく、時代劇で黒部進(ウルトラマン・ハヤタ 役)や森次晃嗣(ウルトラセブン・モロボシダン 役)と何度も共演しているうちにそれとなく当時の話を聞き、そのうちにドラマの撮影技術的な面に興味を持った。藤岡弘、や村上弘明など仮面ライダーシリーズの出演俳優と共演した際に、当時の話を聞く機会も多かったことも影響しており、同世代の男性たちと同じように幼少期にテレビで見ていた記憶もあって、ライブの途中で特撮やテレビ番組の話を語るようになった。そもそもその経緯は、『必殺』に出演直後にトーク番組出演の依頼が増え始め、時代劇でのクールなイメージと自身の陽気なキャラクターのギャップに悩んだこともあってそれらの話をしているうちに、円谷プロダクションから「バンダイから商品を出してみないか」と声をかけられたのが始まりである。幼少の頃より製作が好きで『超人バロム1』のマスクを紙粘土で制作し弟に着けさせた写真も残っている。また、『仮面ライダーBLACK』でゲスト出演した時に「仮面ライダーのスーツ」を見せてもらい、その後の造形制作の参考にしたという。よく「ヒーローグッズコレクター」として紹介されることがあるが、実際は撮影技術や造形などの製作方面に興味があり、特定作品のファンやグッズ収集家ではなく「考証家」である(ホビー誌での連載タイトルは「HERO考証学」であった)。車・バイク好き。外車なども持っているが、じつは国産ではホンダ車のファンで、NSXやMDXなど芸能人としてはマニアックな車を持っている。他にレクサス・SCも所有。また、クラシックカーを多数コレクションもしている。アメリカで1から部品を調達して作ったジャガーEタイプ(シリーズ1 JAGUR XKE)クーペタイプとオープンタイプの2台所有、トヨタ・2000GT、マツダ・コスモ(コスモスポーツ)など複数台所有。テレビ番組でも登場したアルファードの中にはギターも常備しているなど、車を移動中の生活空間と考えている。また、バイクも好きで多数所有。スズキ・GSX1300Rハヤブサ DUB EDITION、ホンダで京本スペシャルというバイクを作ったりレースに出たこともある。柔道と剣道の有段者(ともに初段)であるが、開始動機は共にテレビ番組で『柔道一直線』と『おれは男だ!』と言われている。少年時代に『柔道一直線』の一条直也に憧れて、特訓を真似をして布団を被ってお寺の階段から転げ落ちて怪我をした逸話がある。森田健作とは、よく一緒に剣道の稽古をすることもあるという。島田紳助主催のバイクの「50CC耐久レース」に出場したが、『仮面ライダー1号』のスーツと『サイクロン』(1号のマシーン)をそのまま模して参加した。『超電子バイオマン』のファンである。舞台で郷史朗/レッドワン役の坂元亮介と共演し、坂元が『バイオマン』終了後、撮影で使われたレッドワンのマスクを貰いたいという頼みを東映スタッフに断られた話を聞いた京本は、坂元のためにレッドワンのマスクのレプリカを自作してプレゼントしたことがある。仮面ライダーBLACKに滝竜介役として出演した際、「ライダーの正体を唯一知っている」「ライダーと同じくらいの働きをする」「正体は元FBI」という条件付きでノーギャラで出演している。天然パーマで、世間からは「髪型が全く変わっていない」「かつらである」等の印象で認識されているが、実際はデビュー当時の耳を出さないスタイル(1980年代の松田聖子に似た髪形)やショートだった時期もあった。2000年代に入り、髪を梳いたり、ストレートにしたりと、実際は大きく変化している。 音楽活動休止後、俳優業に専念する頃になってから、長髪で耳の前に横髪を出す基本スタイルが定着した。基本を変えない理由は「長髪のほうが時代劇の鬘がかぶりやすいため」「かつらをかぶっても、もみあげ部分が違和感なく見えるため」など、色々な理由を答えたことがあるが、本当の理由は、美容院があまり好きではないことの上に、「邪魔臭いから(関西弁で面倒臭い)」。また、本人は横の髪をかけたり長さや色も変えたりしていたのに、誰にも気づいてもらえなかったため、「どうせ気づいてもらえないなら、もうずっと同じでいい」と思い同じスタイルに留まったらしい。しかし、2004年にフォトエッセイ「苦悩」の写真撮影でシャギーを入れたり色を明るく変え、同時に音楽活動を再開したこともあり、髪型が少し変わる。2006年秋頃からは完全にストレートヘアになるが、本人は変えたつもりはないという。芸能界では、森田健作との親交が有名で、現在でも森田を兄貴のように慕っている。声質が似ており、森田の物真似をすることで有名で、本人が「森田さんの物真似だけで3年くらい食っていた」と冗談を言うほどであった。森田は起床が早朝で就寝が早い為、その時差に悩まされたと京本は語っている。ある日21時(午後9時)頃に電話すると森田から「今何時だと思ってるんだ!!」と怒られたらしい。ある時は夜、森田の妻が電話に出て「もう寝てます」と言われ、翌朝5時に森田から電話がかかってきたこともある。他にも、森田が家を新築した際に、庭を均し、そこに大木を埋めるために呼び出されたなど、交流の上での話が非常に多い。お互い制作した映画やパーソナリティを務めるラジオには必ず駆けつけ合うほどの信頼関係である。森田が千葉県知事選挙に出馬したときもたびたび応援に訪れている。ドラマ「HOTEL」ハワイ編ロケで知り合って以来、意気投合した柳沢慎吾とはお互いに「兄弟」と呼び合う仲の良さで、バラエティやドラマでよく共演し、二人とも芸人顔負けのテンションの高さで場を盛り上げ、「芸人つぶし」と言われる。『テレビ探偵団』では、ゲストのはずの京本自身が仕切ってしまい、司会者の三宅裕司からは「俺が司会だ!」と言われたほどである。しかし、柳沢といる時ほど普段ハイテンションになることは実はなく、バラエティ番組やトーク番組では緊張して心を開けないというのに、柳沢と顔を合わせた時だけなぜそのような状態になるかは本人も疑問だという。2009年から『SUPER SURPRISE』 → 『火曜サプライズ』のコーナー『慎ちゃん・京サマ 都バスで飛ばすぜぃ!』で共演中。
出典:wikipedia