ブルーバード(BLUEBIRD)は、日産自動車が1959年から2001年まで生産・販売していた乗用車。第二次世界大戦前から続く、10-17型、戦後のDA型、DB型といったダットサンブランドのセダンの系譜を引き継いでいるが、メカニズム的に直系とされているのは、オースチンと提携以降のダットサン・セダン110 / 210型系(210は直列4気筒OHV C型 988cc搭載)である。日本の代表的なミドルセダンとして、またタクシー用の車種としても親しまれた。最大の競合車種はトヨタ・コロナ。1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。愛好者間での通称は「ブル」。ブルーバードシルフィがその名を受け継いでいたが、2012年12月のフルモデルチェンジで名称が「シルフィ」となり、ブルーバードの名は消滅、名実共に53年の歴史に幕を下ろした。発売当時の名称は「ダットサン・ブルーバード」。ダットサン系の本格的な量産型乗用車としては最初の前輪独立懸架採用車となり、在来ダットサンの固定軸に比べて格段に乗り心地や操縦性を改善した。ボディタイプは4ドアセダンのみ。グレード構成は、1000ccはSTD、1200ccはSTDとDX。スタイリングは当時日産の社内デザイナーの佐藤章蔵によるもので、世界的トレンドにはやや遅れたデザインではあったが、全体に中庸を得たスタイルで機能性が高く、市場の反応は良好だった。セミモノコックボディと低床式ラダーフレームとを組合せて軽量化と強度確保を図る。主要部品の多くはダットサントラックとの共用で、十分な信頼性を備えていた。乗車定員は当初4名であったが、1959年10月に後部座席寸法を3人がけ可能に変更して5名となった。エンジンは先代のダットサン・セダン210型から踏襲された「C1型」(水冷 直列4気筒 OHV 988cc 34PS / 4,400rpm)を主力に設定。後にストロークを再拡大し、1189cc ( 43PS / 4,400rpm ) とした「E1型」も設定(P311 / WP311型)した。いずれも技術提携先のイギリス・BMC社製オースチンB系エンジンをベースとしたストローク変更のバリエーションである。1200ccクラスのE1型エンジン設定の理由は、輸出主戦場と目されたアメリカ合衆国で当時成功を収めていた同クラスのフォルクスワーゲン・ビートルに対抗した性能確保が目的であった。当時の日産の主力車種としてモータリゼーションの潮流に与し、4年間に渡るモデルライフを通して良好な販売実績を示した。後にブルーバードのイメージを牽引することになるSSSが設定された初めてのモデルでもある。日産初のフル・モノコック構造の車体を採用、当初のボディタイプは、4ドアのセダンとエステートワゴンのみ。先代に引き続き北米輸出が図られたほか、新たに欧州へ輸出されている。スタイリングはピニンファリーナによるものであったが、欧州調の尻下がりラインが不評で、販売台数で初めてコロナにリードを許す。エンジンは当初先代からのキャリーオーバーであるC型1000cc45馬力とE型1200cc55馬力であったが、電源は310系までの直流発電機(ダイナモ)から、交流発電機(オルタネーター)に変更し、発電性能を向上させている。トランスミッションは310型系以来のフルシンクロの3速MTで、1200ccには「サキソマット」のオートクラッチの設定もあった。グレード構成は、1000ccはSTD、1200ccはSTDとDX、ファンシーDX、エステートワゴン。ブルーバードの歴代シリーズの中で後の910型と共に、大きな成功を収めたモデルである。1966年にはダットサンのエントリーモデルとして、1000ccクラスの大衆車、ダットサン・サニーが発売されていたことから、ブルーバードは1300cc以上の中級モデルとして上位移行し、ボディは大型化された。当初のボディタイプは2ドア / 4ドアセダン、4ドアワゴン / 4ドアバンの4種類。社内デザイナーによる「スーパーソニックライン」と称する、直線的で彫りの深いシャープなデザインとなった。従来装備されていたフロントドアガラスの三角窓は、換気装置の強化により省略された。メカニズムは、オースチンの影響が強かった410系までに比べて一新されている。後にスカイラインやフェアレディZに搭載されるようになるL型と呼ばれる新開発のエンジン水冷直列4気筒 SOHCのL型(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社、41頁参照)を搭載しており、量販モデルである1300ccのL13型と、上級モデルとして1600ccのL16型を積んだ「SSS(スーパー・スポーツ・セダン)」のラインアップだった。サスペンションは日産初の四輪独立懸架(フロント:マクファーソン・ストラット、リア:セミトレーリングアーム)を採用。セミトレーリングアームのドライブシャフト伸縮には直前に日産と合併されていたプリンス自動車が「グロリア」後輪のドディオンアクスルに使用していた「ボール・スプライン」の技術を利用している。日本国内では他社に先駆けた先進的設計と斬新なスタイリングをアピールし、オーソドックスな後輪車軸懸架構造ながらデラックスな装備を売りにするトヨペット・コロナとの「BC戦争」を競り合った。日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評を得、ラリーフィールドでのタフネスな活躍ぶりとも相まって人気を高め、史上初めて北米市場でヒットした日本車となった。当時の米国では高校生が初めて乗るクルマとして人気を博し、その世代の米国人にとっては思い出深いクルマだという。続いて開発された初代フェアレディZと共に、北米輸出市場における日産(ダットサン)の躍進を実現した存在といえる。車格の上級移行により、車体は大型化、当時の風潮に沿った曲面基調でアクの強いデザインとなり、車名も「U」のサブネームが付いた「ブルーバードU」となった。なお、従来の510型系は、2ドアセダン/4ドアセダンの1400ccと1600ccの廉価モデルのみが1972年12月まで継続生産され、併売されていた。なお、このモデルではタクシー仕様(営業車)は設定されなかった。グレードは、STD、DX、GL、SSS、SSS-L、SSS-Eが設定され、ボディタイプは、4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、バンの4種類。セダン、ハードトップはサイドウインドウ下の「Jライン」と称するガーニッシュが特徴であり、その色は標準のダークグレーのほか、外板色が白の場合Jラインは黒となり、紺メタリックではオレンジ色も選べた。直列6気筒2000ccのL20型を搭載、ホイールベースを150mm延長し、フロントオーバーハングを55mm延長したロングノーズの2000GTシリーズのGT、GT-E、GT-X、GT-XEが追加設定される。フロント周りはポンティアックを思わせる処理がなされ、スカットル部のエアアウトレット風の処理がサメのエラを連想させるデザインであったためサメブルと呼称された。マイナーチェンジ車は、オイルショック・排出ガス規制で売れ行きが伸びなかった。オイルショックや排出ガス規制対応のため登場が遅くなり、販売不振のため次期モデル910型系の登場が早まるなど、わずか3年4ヶ月の生産に留まった。広告出演は加山雄三で、キャッチフレーズは「ヘビーデューティ」であったが、引き続きのサイズ肥大化の一方で排気ガス対策とこれに伴う性能低下対処が最優先されたモデルであった。ボディタイプはセダン、2ドアハードトップ、バンで、輸出用にワゴンが存在。ロングノーズの6気筒2000ccモデルはG6シリーズとして続投。また、610型系では設定されなかったタクシー仕様車(L18P型搭載)が復活。これには沖縄向けに左ハンドル仕様がごく少数生産された。エンジンは昭和51年排出ガス規制に適合した直列4気筒のL16 / L18型、直列6気筒のL20型をラインナップ。足回りは、前輪がマクファーソンストラットとコイルスプリングであったが、後輪はSSS系とG6シリーズはセミトレーリングアームとコイルスプリングを踏襲したものの、GL / DX系は低コストのリーフリジッドサスペンションとなった。セダン/ハードトップ、ワゴン/バン:1979年 - 1983年、タクシー:1979年 - 1993年 ブルーバード史上、最後のFR車となる。1970年代、開発・販売面での迷走を続けたブルーバードであったが、このモデルは派生型のロングホイールベース型や直列6気筒モデルを廃止するという思い切った見直しが図られ、バランスの取れた4気筒中型セダンとして設計された。510型を髣髴とさせる直線基調の機能的でクリーンなスタイルなども手伝って、小型車(1600 - 2000ccクラス)で27か月連続新車登録台数第1位を記録するなど、910型は510型以来の大ヒットとなった。広告のイメージキャラクターには沢田研二を起用し「ザ・スーパースター」「ブルーバード、お前の時代だ」のキャッチコピーが使われた、このCMで910型大ヒットの立役者となった沢田は引き続き次作U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了までイメージキャラクターを務める事となる(後述)、本人が歌うCMソングやナレーションも話題となった。輸出仕様も国内仕様に準じたかたちで4気筒エンジンが用意されたものの、6気筒エンジンが必須の北米向けのみは、ホイールベースを100mm延長し、L24E型2.4L直列6気筒エンジンを搭載したセダンとワゴン(GL910 / WGL910型系)がラインナップされ、「ダットサン・810マキシマ」の愛称で発売された。国内向けガソリンエンジンは全車直列4気筒のZ型に統一され、また、この910型からディーゼルエンジン(LD20型)が登場し、後にディーゼルターボ(LD20T型)エンジンも追加される。営業車には、LPGエンジンのZ18P型が搭載された。SSSシリーズには開発当初、スカイラインRS用の4バルブDOHCのFJ20Eエンジンの搭載も企画されたが、当時日産はターボブームまっただなかということもあり、販売サイドの意向で見送られたという逸話もある。足回りは、フロントサスペンションが日本製FR車初のゼロスクラブと、ハイキャスターにセッティングされた、マクファーソンストラットコイル、リアは、SSS系にはセミトレーリングアームコイル、エレガント系、タクシー、後期型ワゴンは4リンクコイル、バン、前期型ワゴン、1987年10月以降のLPGエンジンのタクシーは半楕円リーフリジッド(ディーゼルエンジンのタクシーは1987年10月以降も4リンク式)となった。また、豪州日産では1985年まで生産を行っていた。営業車を除く全車、前輪にベンチレーテッドディスクブレーキを装備。キャブレター仕様を除くSSS系、後期型 2.0L のエレガント系にはウレタン製衝撃吸収大型バンパーが装備された。これらの機構的特長を前面に押し出した「走る。曲がる。止まる」のキャッチコピーは、「技術の日産」ファンのユーザーの購買心理に好意的に迎えられ、ダッドサン・ブルーバードの名称としては有終の美を飾る事となった。(但し、車両カタログや広告上では、NISSANブルーバードの表記であった。)SSS-XGシリーズにはデジタルメーターも標準装備する。当モデルをオープンカーに改造したものが、発売当時開場したばかりの横浜スタジアムでリリーフカーとして使用されていた。営業車モデル(タクシー用)は、FF(前輪駆動)のU11型にフルモデルチェンジされた後も、FR(後輪駆動)の910型が継続生産されていた。その理由に、以上の理由で、FF(前輪駆動)のU11型の営業車モデル(タクシー用)の設定を断念せざるを得なかった事情があった。セダン/ハードトップ:1983年 - 1987年、マキシマ:1984年 - 1988年ブルーバード初のエンジン横置きFF(前輪駆動)車。先代の910型の流れを汲んだデザインで、ボディタイプは、910型に設定されていた2ドアハードトップは廃止され、4ドアセダン、4ドアハードトップ、ステーションワゴン、バンの4種類が設定され、前モデルの910型系と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるトルクステアなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる。ガソリンエンジンは、すべてCA型に統一され、ディーゼルエンジンは、ノンターボのLD20型 65馬力の1種類のみの設定。広告には、沢田研二が先代の910型に引続き起用され引き続きCMソングとナレーションも担当した他、これまでのビジュアル中心のものに加えてコミカル風のCMも作られた、ブルーバード・マキシマCMはCMソングとナレーションのみに止まり、沢田降板後の後期型CMは無名の外国人タレントを起用しCMイメージも一新した(このCM以降、U14までCMに有名タレントが起用される事はなく、その間海外無名タレントの起用や車が走っているだけの映像が使われた)、キャッチコピーは前期型は「ブルーバード、お前はスーパージェネレーション」「走りが、だん然、素晴らしい」、後期型は「人の中へ。」であった。1983年の日産創立50周年を機に一新された米国のペンタグラム社が製作したロゴフォントを採用。先代の910型系までの正式車名であった「ダットサン・ブルーバード」から、U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「日産・ブルーバード」へと改められ、車検証の車名欄も、先代の910型までの「ダットサン」からU11型から「ニッサン」へと改められている。ADワゴン(ステーションワゴン)はターボSSSとLXの2グレードがあり、ターボSSSは当時珍しいガソリンターボのワゴン車であった。海外輸出については、これまでのダットサン160~200Uから正式に「日産ブルーバード」(中文:日産藍鳥または青鳥)となりメーターがドイツ・アウトバーン対応のMAX240km/h以外は日本国内仕様と同一である。一方オーストラリアでは、日本より遅れること2年後に生産が開始されたモデルである。前輪駆動生産のライン関係などに大幅な遅れをとった関係から910型が長らく生産された要因とされた。ブルーバード初の四輪駆動車が登場。ボディタイプは、4ドアセダンと4ドアハードトップ。丸みを持たせたデザインで、H/Tはセンターピラーレス構造を先代に引き続いて採用。V6エンジンの上級グレード「マキシマ」とバン/ワゴンはU11型を継続生産。グレード構成は、伝統の「SSS(SSS/ツインカムSSS/ツインカムSSS-X)」シリーズのほか、「アーバンサルーン(LE/SEサルーン/XEサルーン/スーパーセレクト)」シリーズを設定。価格帯は1600LE 5MT車119.8万円~1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITED 4AT車299.8万円と、同型エンジン搭載車でも、セダンとH/Tとでグレードと装備の組合せが異なるなどワイドバリエーションを誇った。エンジンは先代U11型と同じCA系を改良し、DOHC・135馬力のCA18DE、SOHC・88馬力のCA18i、SOHC・79馬力の1600ccのCA16S、ディーゼル・67馬力のLD20-IIが用意された。また、1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDに搭載されたDOHCターボのCA18DETは、インタークーラーの装着やプレミアムガソリン仕様化が行われたことで最高出力が175psにまで高められた。センターデフ式フルタイム4WDシステムの「ATTESA」は、2WDシリーズに対してそれぞれ「SSS ATTESA/SSS ATTESA LIMITED」、「アーバンATTESA(SE ATTESA/XE ATTESA)」シリーズとした。「アーバンATTESA」シリーズは「SSS ATTESA」に標準のリヤビスカスLSDがオプションであった。前期ではCA18i(88ps)、後期ではSR18Di(115ps)に設定。北米市場ではセダンが1990年-1992年と短命ながらもスタンザとして販売されていた。なお、1993年より同市場で発売されているアルティマは後継車種である。このため海外輸出では、セダンの他ハードトップも加わり香港・シンガポールなどといった東南アジア地域に絞られた。なお、後期型におけるCMのナレーションは長塚京三が担当し、バック音楽には「アメイジング・グレイス」を採用、キャッチフレーズは「グッド・カー」だった(因みに前期型のキャッチフレーズは「ブルーバードが好きだ」)。スーパー・トー・コントロール・サスペンション(STC-Sus)と呼ばれるリヤサスペンションをATTESA車に初採用。サスペンションの型式としては2WD車と同じパラレルリンク式ストラットであるが、ブッシュのたわみを利用して2本の不等長のパラレルリンクとラジアスロッドとが後輪の受ける横力に応じてトーをコントロールすることでコーナーリング性能向上を目指す機構であった。HICASを積極的・能動的な四輪操舵とするならば、いわば受動的な四輪操舵機構であり、開発テーマの一つ「アコースティックな走り」実現に寄与していた。U13型では2WD車にも拡大採用されたものの、同時期のプリメーラでは採用しておらず、その後採用した車種はない。FF車のリヤサスペンションがマルチリンクビーム式やトーションビーム式が主流となり、独立懸架式はW11型アベニール以降マルチリンク式となったことや、機構としてブッシュの劣化に伴う性能維持に難があること等が理由と思われる。ラリー競技参加を主眼として、ラリーバージョンの「SSS-R」を設定。オーテックジャパンが開発し、日産自動車で製造、NISMOで販売された。「ATTESA」を搭載したフルタイム4WD セダン1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDを基本としており、エアインテークが設けられた専用エンジンフードが外観上の特徴。国内JAF競技用ベース車という性格からロールバーが標準装備であり、トランスミッションもクロスギヤレシオ化されている他、様々なラリー用オプションがNISMOから用意された。エンジンは、ベースとなったCA18DETにチューニングを施したCA18DET-Rを搭載。CA18DET-Rは、A/Rを標準車の0.64から0.89の高速高出力型としたギャレット製T25型タービンを採用、圧縮比を標準8.5から8.0に下げて最大過給圧を600mmHg(レギュラー使用時500mmHg)から690mmHgまで上昇させることで、標準175ps/23.0kg·mに対して185ps/24.5kg·mの出力を誇った。また、カムのオーバーラップ増やステンレスエキゾーストマニホールド、コスワース社製の専用鍛造アルミピストンの採用など、特筆すべき点が多い。ボディタイプは4ドアセダンのみ。定員2名(後に定員4名仕様追加)。価格は東京地区標準275万円。競技車両としての使用を前提としていたため、保証が標準車と一部異なる他、装備内容も最廉価グレード1600LEとほぼ同等まで省略されている。外観では、コーナーリングランプがないため1600LEと共通(ブラックアウト処理)となっている一方で、1600LEでさえも標準のフェンダーマーカーの点灯機能が省略されていた他、定員4名仕様車の後席座面等、標準車と異なった部品が用いられていた。受注生産車として月産10台程度販売された。後期SSS-Rの販売台数は前期に比べてもごくわずかで、エンジンは標準車と共通のSR20DET(205ps/28.0kg·m)である。ボディタイプは4ドアハードトップと4ドアセダン。ハードトップは側面衝突における安全性を考慮してセンターピラーが付けられ、エレガントなデザインの「ARX」(アークス)となる。セダンはスポーティな「SSS」(スリーエス)、ビジネス向けエコノミーグレードの「EEX」(イーエックス)と後に追加された「ビジネス」が設定された。セダンのデザインは、日本の日産案と日産北米スタジオ(NDI)案が比較され、独特なフォルム(レパードJフェリーのような「尻下がり」型)を持つ北米案が採用された。セダンは全高を高めに取り、室内の広さも当時のクラス最大級を誇るなど居住性が飛躍的に改善されたが、日本国内では全高がやや低く後部座席のヘッドクリアランスに若干難はあるものの、無難なデザインを採用したARXが販売の大半を担う結果となった。なお、セダン・ARX合わせても初代P10型系プリメーラ(先代モデル末期の1990年登場)に販売台数で及ばなかった。駆動方式はFFと4WDのATTESAが設定された。ガソリン2000ccエンジン(SR20DET / SR20DE搭載)車はリアLSDにもビスカスカップリングを用いており、SSSリミテッドアテーサにはフロントにもビスカスカップリングを用いた新システムの「トリプルビスカス」が採用された。装備はハイマウントストップランプが全車標準装備となったほか、上級グレードの「ARX-Z」には運転席SRSエアバッグを採用(後に全車標準装備)。車内に取付けたマイクで集音した波形と逆位相の波形を専用スピーカーから送出して車内騒音を軽減させるANC:アクティブノイズコントロール、先行してS13型シルビアに採用されていたフロントウィンドウディスプレイ(フロントウィンドウに速度・ブレーキ警告・ドア警告を表示させる)などがあった。4ドアセダンは「アルティマ」(初期はスタンザアルティマ)の名称で北米でも販売され、国内モデルよりも車幅が広く、細部が異なっていた。中国の東風汽車有限公司でも中国国内にシルフィが投入されるまで生産された。また、ARXは香港に2000ccモデルのみ輸出。主に日本国内ユーザーの要望で、箱型のオーソドックスなスタイルとなった。ボディタイプはセダンのみで、長年ラインナップされていた4ドアハードトップは消滅した。テレビCMには、当初常盤貴子、蟹江敬三が起用された。P11型系プリメーラとプラットフォームを共用したため、先代モデルに対し全長、およびホイールベースはそれぞれ20mm短縮され若干ダウンサイジングされた。グレード構成はスポーティな「SSS」系と、フォーマル / ファミリー向けの「ルグラン(FF車のみ)」「XE/FE」を設定。後に2000ccディーゼル車と1800ccガソリン車に「エプリース」を追加。トランスミッションは当初5速フロアシフトとOD付き4速ロックアップATを設定。後に耐久面で定評のあるトルクコンバーターを組み合わせたマニュアルモード付きのハイパーCVT-M6、ハイパーCVT、電子制御AT「E-ATx」を追加した。装備面では、運転席と助手席のデュアルSRSエアバッグを全車に標準装備。警察の捜査用覆面パトカーとして大量に導入された。メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなむ。古来より欧米では青い鳥は「幸せの青い鳥」として幸福の象徴とされてきた。当時の川又克二社長によって命名された。当初は「スノーバード(ユキホオジロ)」と命名されるはずだったが、これがアメリカの俗語で「麻薬常習者」を意味していたため、改名せざるを得なかったと言う逸話がある。もっともアメリカ市場では単に「ダッツン」の名で販売された。また、2代目以降のスポーツグレードに与えられる「SSS」とは「Super Sports Sedan」の頭文字を取ったものである。日産自動車の対米輸出が増加しつつあった1960年代、日産が発注した自動車運搬船にもBluebirdの名が冠せられた。Bluebirdは1968年-1981年の間、主に北米航路を中心に日産が製造した普通自動車の輸送に当たった。
出典:wikipedia
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