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南部縦貫鉄道線

南部縦貫鉄道線(なんぶじゅうかんてつどうせん)は、かつて青森県上北郡野辺地町の野辺地駅から同郡七戸町の七戸駅を結んでいた南部縦貫鉄道の鉄道路線。旧型レールバスの運行が行われていた。1997年に休止、2002年に廃止されている。この路線を運営していた南部縦貫鉄道は沿線の開発を目的に自治体が資金を拠出して設立された。免許を取得し着工したものの沿線自治体は寒村ばかりで資力に乏しく、すぐに資金が尽き工事が中断されたが、東北地方の砂鉄を利用する国策会社「むつ製鉄」が沿線の天間林村(当時)から南部縦貫鉄道で砂鉄輸送を行う構想が持ち上がり、むつ製鉄の事業主体である東北開発が南部縦貫鉄道に出資し、1962年にようやく開通にこぎつけた。しかし、輸入鉄鉱石の価格下落により1965年にむつ製鉄の計画は頓挫。天間林からの砂鉄輸送もほとんど行われないまま中止された。並行道路にバスが走っていることから旅客も見込めず、1966年には会社更生法の適用を申請することとなり倒産、以後「更生会社」の肩書をもつ鉄道会社となった。鉄道事業だけでは経営が成り立たないため、自治体から清掃事業や給食調理を受託し、その収益で存続してきた。鉄道部門が赤字ながらも路線が維持されていたのは、東北新幹線青森延長の際には沿線に七戸駅が設置される予定があり、旧来の路線を廃止し営農大学校前駅から新線を建設することで七戸駅に乗り入れをし、新幹線アクセスによる経営改善を期待していたからである。1981年、国鉄大畑線が第1次廃止対象路線に選定されると、上北・下北一貫の新幹線アクセスを意図して大湊線とセットで引き受けに名乗りを上げた。この際に「更生会社」では大畑線引き受けに不利となるとの判断から、1984年に更生計画を繰り上げて終了した。しかし、大畑線は経営基盤防衛の観点から地元バス会社の下北バスが引き受けることとなり、また新幹線青森延長計画も1988年に「ミニ新幹線」、すなわち七戸を経由しない案で(一時)決定となった。その後、国有地である旧東北本線の路盤を借用して運行してきた野辺地 - 千曳間について、日本国有鉄道清算事業団から買い取りを要請され、その資金が捻出できないことから1997年に全線休止を余儀なくされた。その後、沿線自治体によって路盤の買い取りが行われたものの、休止中に荒廃した鉄道施設の復旧が予想以上に困難であり、復活を断念。2002年に正式に廃止となった。なお東北新幹線の八戸 - 青森間がフル規格建設へ計画変更されたのは休止後の1998年1月であり、2010年に八戸 - 新青森間が開業した東北新幹線は南部縦貫鉄道線跡と交差している。現在は、旧七戸駅構内で当時の車両が動態保存されている。なお、当路線を運営していた会社は鉄道事業廃止後も前記の受託事業を行う会社として存続し、2004年に南部縦貫株式会社と社名変更している。なおタクシー事業(通称「縦貫タクシー」)は後に売却され、通称と同名の社名で営業している。廃止まですべて気動車(レールバス・キハ10)による普通列車のみの運転で区間運転はなく、全列車が野辺地 - 七戸間の通し運転であった。1984年1月31日までは7往復の定期列車(うち朝夕の1往復は休日・休校日運休)、2往復の貨物列車(うち1往復は不定期貨物列車)が運行されており、一部を除いたほとんどの列車が中間の天間林駅で列車交換を行うダイヤであった。しかし翌2月1日の国鉄ダイヤ改正で貨物列車の運行がすべて廃止され、休日・休校日運休の列車も不定期列車に変更されたことで定期列車は1日5往復となり天間林駅での列車交換も不定期列車運転時以外は廃止された。ただし、天間林駅での駅係員とのタブレット交換は毎日行われていた。さらに1985年5月1日のダイヤ改正で不定期列車が完全に廃止され、多客時は大型車のキハ10が運行されるようになり、閉塞方式も天間林駅を境界とするタブレット閉塞式から全線票券閉塞式に変更されたことで列車交換は完全に廃止され、以後は1997年の運転休止まで1日5往復の普通列車が運行されるのみとなっていた。過去の接続路線3グループ4両が在籍し、いずれもキハ10形と称したが、各グループ間に関連はない。

出典:wikipedia

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