ベト(Beto)こと、ロベルト・ルイス・ガスパール・デ・デウス・セベロ(Roberto Luís Gaspar de Deus Severo, 1976年5月3日 - )は、ポルトガル・リスボン出身の元サッカー選手。ポルトガル代表だった。現役時代のポジションはCB。ベトは、プロキャリアの大半をスポルティングCPに捧げた(在籍10季で公式戦300試合以上と主要タイトル5)だけではなく、フランスとスペインのクラブに在籍し、レクレアティーボ・ウェルバでは3季過ごした。ポルトガル代表としては30試合に出場。1度のFIFAワールドカップと2度のUEFA欧州選手権に参加した。リスボンに生まれたベトは、スーペル・リーガの強豪スポルティングCPのユースに所属していたが、トップチームの出番を与えられる前に2クラブに貸し出された。期限付き移籍を経て、1996-97シーズンの20歳の時に復帰するとトップチームですぐさま地位を確立した。守備で最終ラインを支えるのみならず、FCポルト戦などで幾つか重要な得点を挙げる優れた得点力を見せ、主将としてチーム牽引していたが、SLベンフィカ戦では1試合で2つのオウンゴールを献上してしまった。スポルティングCPでの10シーズンの在籍中に1999-2000, 2001-02シーズンとリーグを制し、後者では2冠を達成。また、毎シーズンに最低でも1得点を記録した。2006年1月、スポルティングのパウロ・ベント監督の構想外となったベトは、2006年1月23日に移籍金100万ユーロでフランス1部のFCジロンダン・ボルドーと契約するも、在籍5ヶ月の間での出場機会は限られたものとなり、同年夏の移籍市場最終日にスペイン1部のレクレアティーボ・ウェルバへ貸し出された。2007年7月3日にレクレティーボへ完全移籍を果たし、3年契約を締結した。最初の2季は定期的に起用されていた(各シーズンで2得点を記録。また2007-08シーズンは、同胞のカルロス・マルティンス, シルヴェストレ・ヴァレラと共にプレーした)が、最後のシーズンはナシーフ・モリスの加入や怪我の問題等から3試合の出場にとどまった。レクレアティーボとの契約が終了後、2009年8月にCFベレネンセスと1年契約を締結。同2009-10シーズンは怪我の問題から出場機会は少なく、またクラブも2部に降格した。35歳間近のベトは、2011年1月下旬に再度スペインへ渡り3部のUDアルシアと短期契約を締結。同クラブではスポルティング時代の同僚と再会するも、クラブが4部に降格したことに伴い6月に両名放出された。現役引退後の2011年8月にスポルティングへ戻り、外部広報ディレクターに任命された。1997年9月6日にベルリンで行われた1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のドイツ戦 (1-1) でポルトガル代表初出場を飾った。その後2002 FIFAワールドカップに出場し、アメリカ戦 (2-3) で得点するも敗北。最終的にチームはグループリーグ敗退に終わった(同大会では右SBでの出場)。UEFA欧州選手権では2000年大会と2004年大会に出場し、こちらは、ベスト4と準優勝だった。
出典:wikipedia
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