火炎放射戦車(かえんほうしゃせんしゃ)は、砲塔や車体前面などに設置された噴射口から加圧した油を噴射し着火することによって、火炎を放射する戦車。火炎放射器を主武装とした戦闘車両である。主に、陣地攻撃、森や建物・塹壕に潜む敵兵のあぶり出しなどに使用された。最初に火炎放射戦車を使用したのは、1936年のエチオピアにおけるイタリア軍といわれる。L3軽戦車にトレーラー式の油槽を装備したものであった。組織的に火炎放射戦車を運用し始めたのは第二次世界大戦中のドイツ軍・ソ連軍である。携帯式の火炎放射器と比較し、燃料搭載量が多いことが利点となっている。油輸送専用のトレーラーを牽引させる方式と、戦車内に油槽を持たせる方式に二分できる。第二次大戦以降は、歩兵の対戦車兵器が急速に進歩して、もともと射程が短かった火炎放射器を射程面で凌駕し、火炎放射戦車の方が射程外から反撃されるようになったため、ほとんど開発・使用されていない。その他にも装甲兵員輸送車にも火炎放射器を搭載した(Sd Kfz 251/16)などがある。従来の火炎放射戦車は元が軽戦車だったため、打たれ弱かった反省から、中戦車T-34・重戦車KV系の火炎放射化が決定された。遅まきながら、イギリスも火焔放射戦車を運用し始めた。この他、ユニバーサル・キャリアにも火炎放射器装備型「ワスプ」が存在した。海兵隊が太平洋戦線で使用するために、M3やM5といった軽戦車、M4中戦車を改造して火炎放射器を搭載した。硫黄島の戦いや沖縄戦などで、日本軍の地下壕にたいして歩兵が携帯する火炎放射器と併せ使用されている。第2次世界大戦後の朝鮮戦争でも使用され、第1次インドシナ戦争やインドネシア独立戦争でもアメリカから供給された車輌が使用された。ベトナム戦争でも、M113装甲兵員輸送車をもとにしたM132自走火炎放射器とともに、M48パットンをもとにしたM67"ジッポー"火炎放射戦車を使用した。
出典:wikipedia
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