中島 裕之(なかじま ひろゆき、1982年7月31日 - )は、オリックス・バファローズに所属する兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手(内野手)。妻は、ファッションモデルの相沢紗世。NPBでは、西武ライオンズ・埼玉西武ライオンズへの在籍中から、オリックスへの移籍1年目の2015年まで本名を登録名に使用していた。2016年からは、登録名を中島 宏之(読みは本名と同じ)へ変更している。出生時は右肩が母体内で引っかかるなどの難産で、担当医からは「右肩に何らかの障害が残る可能性がある」と指摘され、乳児の頃から柔らかいゴム製のボールを半ば強制的に握らされていたという。伊丹市立桜台小学校時代は投手として幼馴染みの山崎勝己とバッテリーを組み、全国大会に出場。伊丹市立天王寺川中学校では宝塚シニアに所属し、高校進学時には県外の強豪校からもスカウトされ、地元の名門である報徳学園高校を山崎と共に受験。しかし山崎は合格したものの中島は不合格となり、野球では無名の伊丹北高校に進学。シニアでの厳しい練習から野球に嫌気が差していたこともあり、強豪校とは違う練習環境の中で力を伸ばしていった。後に本人は「報徳に入学していたら野球を続けていなかったと思う」と述べている。高校では1年時からレギュラーとなり、1年夏は右翼手として兵庫県大会に出場、2年夏には1番打者として16強入りに貢献。以降は先発投手を務めるようになり、3年夏は「1番・投手」として出場し兵庫大会4回戦敗退。高校通算43本塁打。のドラフト会議において西武ライオンズが5位指名で交渉権を獲得し契約金4000万円、年俸600万円(金額は推定)で入団した。無名校出身ながら高卒で指名された理由について、当時同校の監督だった後藤博雄は「真面目な性格が下積みにも耐えられるとスカウトが評価したのではないか」と語っている。2012年12月18日にオークランド・アスレチックスと総額650万ドルの2年契約+出来高(3年目は年俸550万ドルの球団オプション)で、契約。会見ではアスレチックスとの契約の理由についての問いに対しての「まぁ、(GMの)ビリー・ビーンが格好いいと…」という答えを通訳が「Billy Beane is extremely sexy and cool(ビリー・ビーンがセクシー&クールだから)」と英訳し、Twitterやアメリカのメディアで話題となった。中島の獲得には古巣である西武の他に阪神タイガースやオリックス・バファローズが手を上げ、複数球団による争奪戦となった。そして2014年12月5日に、山崎が所属するオリックスが中島の獲得を発表。小学生時代以来約20年振りに、山崎と同じチームに所属することになった。オリックスとの契約期間は3年で、背番号は1。剣道の上段構えのようにバットを高く掲げた特徴的な構えからスイングする。相手の呼吸に合わせて間合いをとるため逆に自分の呼吸を読ませないように考えた結果、左腕が上がって口元を隠すフォームに行き着いたという。早いボールカウントから積極的に踏み込んで打ちに行く傾向があり、ファーストストライク時の打率が高く広角に長打を放つことができる。これは高校時代に練習で打球が左翼後方のテニスコートやプールに飛び込むことが多く、他の部から苦情が頻出したことから監督に「危ないから右に打て」と指示されて取り組んだという。本人曰く「ゴルフのピッチング・ウェッジを打つ感覚」で右手を押し込む強さを加減して打球の飛距離を調節できると言い、宮本慎也からは「天才」と評された。基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年までの通算対左打率.255と左投手に弱いが、同対右打率.321と右投手に強い。同得点圏打率.318と勝負強さも備え、10打席に1つ近い割合で四球を選ぶ選球眼も兼ね備える。一方でバントは苦手としており、犠牲バントのサインが出ると「(投手が)楽なところに投げてこないかなぁ」と毎回思うという。また、狙った場面で犠牲フライを打つ技術も持ち合わせている。西武時代は遊撃手としてプレーし、守備では下半身と地肩を活かしたプレーを特徴とする。レギュラーに定着した頃は失策数も多かったが、ゴールデングラブ賞を受賞した2008年から守備練習を増やした結果徐々に堅実さが加わり、2010年にはリーグ2位の守備率を記録するなど例年守備率を向上させている。一方で遊撃手としては守備範囲が狭く、2010年には守備イニング1000以上の同ポジション中で両リーグワーストのUZR-19.4を記録し、2012年にも両リーグワーストのUZR-23.2を記録した。アスレチックス傘下のAAAサクラメント、AAミッドランドでは遊撃手だけでなく、三塁手や二塁手としても起用された他、2014年シーズンの終盤は一塁手も経験した。日本復帰後、守備を指導した森脇浩司監督は「まだまだ伸びしろがあるし、天性でやっている部分もある。理にかなうことが大事」と語っている。 オリックス1年目の2015年には、主に一塁手や指名打者として出場。安達が遊撃手のレギュラーに定着していたことや、中島自身に故障が相次いだことなどから、遊撃手としてのスタメン起用は1試合にとどまった。しかし、安達が前述の事情で出遅れた2016年には、開幕の当初に遊撃を守った。走塁では一塁到達タイムは5秒台が多く、良くて4.25秒と足が速いほうではないがベースランニングは上手い。三塁打時には12秒台前半を記録し、盗塁成功率も日本での通算約75パーセントを誇る。このためメジャーリーグのスカウトからは「スピードのあるマイケル・ヤング」「頭脳的なベースランニングのラン(得点)・プロデューサー」と評価された。愛称は「ナカジ」。西武の後輩野手たちからは「打撃のアドバイスを求めても、返答は擬音が多くてわかりにくい」「時々何を言っているのか理解できないことがある」と言われている。球場に来た長嶋茂雄から打撃指導を受けた際、長嶋独特の擬音を交えた指導にほかの西武の選手が首をかしげる中、中島のみ「長嶋さんの理論がわかりました」と語ったという。女性人気が高く、2010年のバレンタインデーにはチームNo.1となる120個のチョコレートが届いた。一方でファン感謝デーなどの際にいきなり女性に尻を揉まれるといったことも頻発しており、試合だけでなくこれらの行事などでもファウルカップを着用している。シーズンオフにはチームメイトの伝を頼って海外に一人旅に出ることが多く、2008年にはアレックス・カブレラの出身国であるベネズエラ、2009年は同じくヒラム・ボカチカのプエルトリコに旅に出ている。特にスペイン語ができるわけでもないのに物怖じせずに旅に出る姿勢から、金村義明から「絶対メジャーリーグ向きだ」と評された。現在の妻で4歳年上の相沢とは、2011年1月に、女性ファッション誌の対談連載企画で初対面。その直後に中島が相沢にデートを申し込んだことをきっかけに、同年5月頃から交際が始まった。中島がアスレチックスに在籍していた時期にも、遠距離恋愛を続けていたという。オリックス入団後の2015年に、第1子の誕生がきっかけで結婚を決意。2016年から自身の登録上の名前を「宏之」に変更したのは、長女の命名を依頼した姓名判断関係者から、「(自身の名前に)『宏』の字を入れた方が良い」と勧められたことによる。
出典:wikipedia
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