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湯之谷温泉 (愛媛県)

湯之谷温泉(ゆのたにおんせん)は、愛媛県西条市(旧国伊予国)にある温泉である。愛媛県西条市の国道11号線から200m山裾の閑静な場所にある温泉旅館。カフェ&食事処を併設しており、温泉のみの利用や、食事のみの利用もできる。四国霊場八十八箇所の遍路道(讃岐街道)が敷地内に通り、約300m範囲内に第64番札所前神寺札所があることから、昔からお遍路さんの利用が多い。平成27年3月11日、愛媛県地域産業資源に登録された(分類:観光資源)。○温泉   大浴場(男女各1)   営業時間 8:30~22:00・定休日無し (※温泉設備メンテナンスのため年数回休業)○宿泊   定員 40名   和室・洋室(露付)・ゲストルーム(相部屋を前提とした部屋)   営業時間 15:00~10:00・定休日無し・カフェ&食事処   座席数30席   外に足湯を設置しており、テイクアウトで喫茶メニューも楽しめる。   営業時間 11:00~14:00・定休日水曜日・駐車場   50台(無料駐車場)・沿革   創業 大正元年 公衆浴場を開く   大正3年 内務省大阪衛生試験所で食塩含有炭酸泉であると、泉質の卓効を認定   大正14年 現在のような形態になり湯治客で賑わう   設立 昭和35年9月12日   昭和39年1月18日 愛媛県から温泉法第2条の規定により温泉として認定 (愛媛県指令薬第1号)   同年 愛媛県より温泉法第12条第1項の規定により正式に温泉経営の許可を得、温泉旅館としてリニューアル   平成24年3月9日 湯治客の遍路宿から新しく観光客も視野に入れ、露付客室・足湯・カフェを新設してリニューアルオープン   平成27年3月11日 愛媛県地域産業資源の促進に関する地域産業資源に追加登録(分類:観光資源)一軒宿の「湯之谷温泉」が存在する。伊予の三古湯(湯之谷温泉・道後温泉・鈍川温泉)の一つとして、長い歴史(約1400年)を有している。開湯伝説によれば、斉明天皇が661年に百済へ向かった際に入湯したとされる。書物に温泉名が最初に名前が登場するのは西条藩が天保13年(1842年)に編集した「西条誌」である。・歴史書物への記載「湯之谷温泉」名が最初に登場したのは江戸時代で、西条藩が天保13年(1842年)に編集した「西条誌」である。安永年間(1772~1781)西条藩奉行 竹内立左衛門が「湯之谷と称する処に自噴する泉水を霊泉水として加温し、湯治に利用した。」また、文化年間(1804~1818)『西泉村の医師 徳永禎助が屋舎を建て、病客を引き治療に 用いた』と書かれている。江戸時代には西条藩御用達の湯治場として利用されてきた、歴史ある霊泉である。古代からの恵みの湯之谷温泉   良質の源泉とエネルギー(パワー)の湧き出づる地太古の昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)(※1)が少彦名命(すくなひこなのみこと)(※2)の命を蘇生させようと別府からこの地へ地下から温泉を引いたとされている。(『伊豫国風土記』より)湯之谷温泉は別府と中央構造線(トイ)で繋がっており、今も中央構造線上からこんこんと湧き出している。湯之谷温泉と別府の湯質が似ているのは、大国主命の少彦名命への想いの深さ故だったのか。国造りをした神々の神秘の力を感じる。これよりのち、歴代天皇がこの地を訪れ、この温泉に入湯したと伝えられている。西暦600年代半ば、斉明天皇(※3)が湯之谷温泉に訪れた際、湯を石で囲い入湯されたという伝説も残っている。また、「日本紀斉明天皇7年 鎮西征伐の勅を下し給ひ大伯海時を船将として、太田姫と共に御船にあらせしが、月満時至るとも安産の様なく、此の石湯行宮に詣で、安産の祈り有りけるに、一人の霜姫を生み給ふ、 号して大伯皇女と云ふ」との古記も残っている。(橘新宮神社(※4)資料より抜粋)このことにより、後に祠を建て石湯八幡宮と名付け、病傷の治癒に用いられ霊泉として崇め奉られ現在に至っている。またこの中央構造線は、高野山・伊勢神宮・豊川稲荷等日本を代表するパワースポットとも繋がっており、地球の0地場(地球のエネルギーが湧き出すところ)と言われている。※1 大国主命(おおくにぬしのみこと)    国造り、農業、商業、医療、温泉、縁結びなどの神として信仰される。    「人間関係の縁のみならず、この世のいっさいの縁を統率なさっている」として、男女の縁はもちろん、広く人と人との根本的な縁を結ぶ神。※2 少彦名命(すくなひこなのみこと)    国造りの協力神、医療・温泉などの神。※3 斉明天皇   飛鳥時代の女性天皇。(第35代・37代)   天智天皇の生母。※4 橘新宮神社    湯之谷温泉より東に約1Km。    祭神3座の木体(中央は白色の衣の天子像、左は春宮とのこと。尊号はないが、斉明天皇と二人の皇子かと察せられる)、並びに公卿神像24体(元は32体か33体あったが一部が焼けた)という木像があり、こちらは斉明天皇近侍の像と考えられ、そのうち旧い神像1体の時代は特定できていないが、その内部に「熟田津村橘」及び、経文の墨書が認められる。同名の温泉が、鹿児島県霧島市(湯之谷温泉 (鹿児島県))にもある。また新潟県魚沼市には湯之谷温泉郷がある。

出典:wikipedia

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