柴田 博之(しばた ひろゆき、1976年7月8日 - )は、滋賀県栗東市出身の元プロ野球選手(外野手)。滋賀県立栗東高等学校から東北福祉大学を経て、のドラフト4位で西武ライオンズに入団。1年目のは、中堅手として5試合の先発出場を含む26試合に出場し、3盗塁を記録した。は113試合に出場してレギュラーに定着。20盗塁・三塁打8本を記録した。同年オフに左肘靭帯の損傷が発覚、靱帯移植手術を行った。このため内野への返球すらままならなくなり、以後数年間は一軍で外野手として起用される事は少なかった。は開幕戦で6番・DHで先発出場。DHのレギュラーには定着できなかったが、規定打席未満ながら3割を打ち、18盗塁を記録した。、伊東勤監督が就任。1番・DHで起用する方針であったが、レギュラー定着はならなかった。盗塁は自己最多の22個を記録した。はシーズン1安打に終わり、翌は一軍出場無しに終わる。は先発出場は3試合を含む7試合のみの出場に終わり、同年10月27日に戦力外通告を受けた。現役続行を希望して2007年オフの12球団合同トライアウトを受けたが、声がかからず現役を引退。この一連の様子はTBSのドキュメンタリー番組『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』で放送された。2008年、5月から東京都東大和市向原でトムス野球塾を開校。倉庫を改造して作った室内練習場で小中学生・一般男性はもちろんの事、幼児クラスや女性クラス等も開設し、野球を指導している。同年12月、TBSのドキュメンタリー番組『バース・デイ』でその後が放送される。2010年5月にニッカンスポーツWeb版のコラム「ニッカン今井でございます」で「引退後記」として、選手時代、引退の様子そして現在の状況が紹介されているニッカンスポーツ.com【「ニッカン今井でございます」 2010/5/13 元西武・柴田博之「トムス野球塾」/引退後記】()。2012年3月末で一身上の都合によりトムス野球塾を退社し、5月より西多摩郡瑞穂町で野球塾「やきゅうま」を開校した。父・利秋は元日本中央競馬会(JRA)騎手で、柴田政見元調教師とその弟のダービージョッキーの柴田政人(現・調教師)を叔父に持ち、柴田善臣騎手がいとこ、その息子の柴田健登厩務員は遠戚という競馬一家に生まれた。小さい頃は、本人も父の後を継いで騎手を目指していたが、体格が騎手向きではなかった(身長が伸びすぎた)こともあって、その後競馬よりも野球に熱中するようになる。競馬一家という出自に加えて自身の特徴である俊足も相まって、競走馬のような「シバタオー」というニックネームを付けられた。埼玉西武ライオンズの社会貢献活動あるいは講演活動に協力し、埼玉県内の小・中学校及び高等学校で自身の経験を基にした講演等を行っている。
出典:wikipedia
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