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枕崎台風

枕崎台風(まくらざきたいふう、昭和20年台風第16号)は、1945年(昭和20年)9月17日14時頃に、鹿児島県川辺郡枕崎町(現在の鹿児島県枕崎市)付近に上陸して日本を縦断した台風である。室戸台風、伊勢湾台風と並んで昭和の三大台風のひとつに数えられる。被害者の内訳は死者2,473人、行方不明者1,283人、負傷者2,452人。終戦直後のことであり、気象情報が少なく防災体制も不十分であったため、各地で大きな被害が発生した。特に広島県では死者・行方不明者合わせて2,000人を超えるなど被害は甚大であり、原爆の惨禍に追い打ちをかけた。また、柳田邦男のノンフィクション小説『空白の天気図』の題材にもなった。上陸時に観測された最低海面気圧は枕崎市の916.1hPaだが、1951年(昭和26年)の正式な統計開始以前の値であるため、参考記録扱いである。当初の観測値は916.6hPaであったが、器差による-0.3の補正に加え、再測量の結果、当時の気圧計の高さに誤りがあったため、更に-0.2の補正が施され、916.1hPaが正式な記録となっている。枕崎測候所では最大風速40.0m/s、最大瞬間風速62.7m/sを記録し、宮崎県の細島灯台では最大風速51.3m/s、最大瞬間風速75.5m/sを記録した。枕崎台風が通過したものとされる沖縄本島では、戦争による観測中断のため、1945年(昭和20年)の気圧や風速のデータが残っていないが、アメリカの病院船リポーズが沖縄本島の南東海上で枕崎台風の眼に入り、最低気圧856hPaを観測したとされる。当時のリポーズ号の新聞には、風速150ノット、気圧25.55水銀柱インチを記録したとの記述がある。なお、最低海面気圧の公式な世界記録は1979年台風20号による870hPaである。呉市内では、住宅地背部の急傾斜地の至るところが崩壊し、土石流が頻発。市内だけで1,156人が死亡している。広島西郊の佐伯郡大野町(現・廿日市市)では、陸軍病院が土石流の直撃を受け複数の病棟などが全壊。医療従事者、治療中の被爆者、京都帝国大学の調査関係者などを合わせて100名以上が犠牲になった(現在、病院跡地付近に慰霊碑が建立されている)。京都帝国大学では、広島への原爆投下直後から理系学部の教官が個別に現地に赴き被爆状況の調査や被爆者の治療に当たっていたが、敗戦後の9月中旬になって京大はこの調査を全学的・組織的に進めるための「原爆災害総合研究調査班」を設置し、真下俊一・杉山繁輝医学部教授らを派遣した。調査班は大野陸軍病院で調査研究に従事していたが、上記の土石流の直撃を受け真下教授と大久保忠継助教授、講師2名、嘱託1名、学生2名、理学部から参加していた講師1名・大学院生1名、化学研究所の助手1名の合計10名が死亡、さらにその後杉山教授が死去した。殉職した教職員・学生の大学葬は10月11日に挙行(京大での大学葬は1938年(昭和13年)在任中に死去した濱田耕作学長以来2度目である)され、犠牲者の一人である理学部大学院生・花谷暉一(享年24)の遺族は学生の福利厚生のための施設を京大に寄贈した。この木造建物は「花谷会館」と呼ばれ、喫茶店などが置かれたのち現在は京都大学生活協同組合の本部が所在している。

出典:wikipedia

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