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暗黒舞踏

暗黒舞踏(あんこくぶとう)は、日本の舞踊家土方巽を中心に形成された前衛舞踊の様式で、前衛芸術の一つ。日本国外では単にButoh(ブトー)と呼ばれ、日本独自の伝統と前衛の混合形態を持つダンスのスタイルとして認知されているが、誤解または独自解釈も多い。なお、現在は、「暗黒舞踏」ではなく、たんに「舞踏」とだけ呼ぶのが一般的である。「舞踏」には様々な流れがあり、舞踏がすべて「暗黒舞踏」なのではない。1962年からは、グループ音楽、フィルム・アンデパンダン、ハイレッド・センターなど他の前衛グループとのコラボレーションもさかんに行われ、音楽や美術作品、映画の撮影者を含めた総合芸術的なスタイルを取った。1966年7月に「暗黒舞踏派解散公演」を行い、暗黒舞踏派は解散した。しかし土方一派の舞踊活動自体は1966年以降も途切れることなく続いた。舞踊界への「反逆」ともいえる試みは、話題を呼び、加藤郁乎、澁澤龍彦、瀧口修造、埴谷雄高、三島由紀夫などの作家は暗黒舞踏に魅了され、土方とともに舞台にまであがるほどだったが、正統的な舞踊界からは異端視・蔑視され、「剃髪、白塗り、裸体、野蛮、60年代日本の突然変異ダンス、テクニックのない素人の情念の踊り」と思われるだけの存在だった。1970年代より欧州ではカルロッタ池田や室伏鴻らが独自に活動をすすめ、のち白桃房や大野一雄らの招聘公演の基盤となり、以後、欧州で認知されるようになった。1980年代に入ると、天児牛大が率いる山海塾のワールドツアーが大きな成功を収めるなど、舞踏は世界的な広がりにおいて注目を浴びた。深夜番組『11PM』や『宝島』などのサブカルチャー雑誌、男性向けの各種週刊誌で山海塾や白虎社などが紹介され、再度一般的な認知度が高くなった。日本での評価は、逆輸入的な一面がある。1986年に土方巽が没した後も発展を続けている。暗黒舞踏の成立に大きな影響を与えたものの一つにドイツの新舞踏「ノイエ・タンツ」がある。マリー・ウィグマンの『マリー・ウィグマン舞踊学校』に留学した江口隆哉、宮操子夫妻が帰国後に『江口・宮舞踊研究』を設立し、そこに入所したのが大野一雄である。やがて独立した大野に強い影響を受けた土方巽がそれを「暗黒舞踏」として完成させた。また、若き日の土方巽は前衛芸術集団「ネオ・ダダ」の中心人物・吉村益信の新宿百人町のアトリエ兼住居(新宿ホワイトハウス)に出入りしていたといわれ、暗黒舞踏の成立にもその影響が見られる。暗黒舞踏を定義することは困難である。調和/過剰、美/醜、西欧近代/土着・前近代、形式/情念、外への拡がり(extension)/内的強度(intensity)といった対において、後者のなかにこそ見いだせる倒錯した美を追求する踊り、と言えるかもしれない。伝統芸能としての踊りや民俗舞踊の大部分は、共同性の確認や補強のためのもの(例えば祭りや儀礼のとき)だが、暗黒舞踏は近代芸術の範に漏れず、個人の単独性を提示している。ピルエットや跳躍などのテクニックにより天上界を志向するクラシックバレエなどとは異なり、床や地面へのこだわり、蟹股、低く曲げた腰などによって下界を志向する。一般に剃髪、白塗りのイメージが強い。「ツン」と呼ばれるビキニ状の衣装で局部を隠し、裸体の上から全身白塗りする事が多いが、白塗りは必須ではない。舞踏の思想は、蟹股、短足といった日本人の身体性へのこだわり、神楽、能、歌舞伎などの伝統芸能や土着性への回帰、中心と周辺の視座による西欧近代の超克など様々な切り口で語られるため、簡便に語るのは困難である。舞踊界に与えた影響としては、ダンスの定義を拡大しダンスを単なる「動きの芸術」ではなく「肉体の質感の提示」とし、カウントによる振り付けではなく、言葉とイマジネーションによって動きを引き出す(舞踏譜)など、斬新な方法論を開発した点が上げられる。たとえば「自分の胎内でカレイが泳いでいる」「もしあなたの頭が十倍の大きさだったら」「“郷愁”をまっすぐ歩くことだけで表現する」「花火の家族の一家団欒」などといった、禅問答的ともいえる言葉を手がかりに自分なりの方法論で踊りを立ち上げるのが舞踏の作舞法である。当然、バレエや体操競技のような既成の方法論やテクニックは有効ではないから、手探りの状態で動きをつくっていくことになる(ただし土方が作舞した作品に関しては、言葉に対応する動きが蓄積されており、「舞踏譜」と共にレパートリー化されている)。言葉だけではなく絵画やオブジェなどから着想を得た作品もある。土方は特にフランシス・ベーコンとアンリ・ミショーの絵画から着想を得ることを好んだという。いずれにせよ、土方のメソッドは「イマジネーションと身体を結びつける回路の開発」とでも呼ぶべきものであった。その核心部分の多くは、現在のコンテンポラリーダンスに引き継がれている。

出典:wikipedia

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