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片町線

片町線(かたまちせん)は、京都府木津川市の木津駅から大阪府大阪市都島区の京橋駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。1988年3月13日に「学研都市線」(がっけんとしせん)の愛称が設定され、以降「片町線」と案内されることはほとんどない。このほか、通称城東貨物線と呼ばれる鴫野駅 - 吹田貨物ターミナル駅間および正覚寺信号場 - 平野駅間の貨物支線を持つ。本項では正式な路線名を示す場合をのぞいて、東海道本線の尼崎駅から三ノ宮方面については「JR神戸線」、福知山線区間(尼崎駅 - 篠山口駅間)は「JR宝塚線」、関西本線(久宝寺駅 - 奈良駅間・奈良駅 - 木津駅間)は「大和路線」の愛称で記述する。JR西日本のアーバンネットワークに含まれる路線の一つである。生駒山地の北端を廻り、大阪府北河内地域の各都市や京都府南部に広がる住宅地と大阪・阪神方面との通勤・通学路線となっている。また愛称の通り関西文化学術研究都市田辺地区のアクセス路線でもある。元は路線名の由来であった片町駅が終点だったが、同駅がJR東西線開業と同時に同線の大阪城北詰駅に置き換わる形で廃止されたため、京橋駅が終点となった。片町駅が廃止された後も正式な路線名は変更されていない。1990年に制定されたラインカラーは黄緑()で、選定理由は「これからの若いエネルギーをイメージ」としていたが、2014年度に路線記号 H を導入した際にラインカラーは直通運転しているJR東西線と同じ桜桃色()に変更されている。関西の日本国有鉄道(国鉄)線で初の電化区間であり、関西国電発祥路線とも言える。また国鉄では武蔵野線に次いで、西日本地域としては初めて自動改札機を採用した路線でもある。旅客営業区間の全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」および、長尾駅 - 京橋駅間が電車特定区間に含まれ、区間外よりも割安な近距離運賃設定となっている。また、全線でIC乗車カード「ICOCA」の近畿圏エリアに含まれている。全区間をJR西日本近畿統括本部が管轄している。城東貨物線は、日本貨物鉄道(JR貨物)が同線を経由する貨物列車を運転しているが、そのうち鴫野駅 - 吹田駅付近間は第三セクター会社の大阪外環状鉄道によっておおさか東線として旅客線化する工事が進められている。2008年3月15日には城東貨物線の一部であった南側の放出駅 - 久宝寺駅間が先行開業した。当初2006年度に新大阪駅 - 久宝寺駅間の開業を予定していたが、用地買収の難航や新大阪駅付近にある開かずの踏切で地元との調整が難航していたことなどから遅れていたが、梅田貨物線に乗り入れることで解消し2018年度末までに開業する予定である。京都府内は生駒山地の東側から北側に沿っており、ほぼ全区間が単線である。関西文化学術研究都市の沿線であるため近年は利用者が増えている。起点である木津駅は京都府の最南部木津川市に位置し、片町線(学研都市線)の列車は1線のみを使用している。木津駅を出ると大きく左にカーブし、住宅地の合間をカーブしながら抜けると右側にのみホームのある西木津駅、その先で右にカーブして近鉄京都線をくぐってしばらく近鉄線と並走し、精華町に入り関西文化学術研究都市の玄関口である祝園駅に着く。左側にホームのある下狛駅を過ぎると京田辺市に入って、しだいに右手には近鉄西大寺検車区宮津車庫の横を走行し、行き違い設備を持つJR三山木駅、続いて同志社大学京田辺キャンパスの最寄り駅である同志社前駅に着き、さらにミツマンボと呼ばれるレンガ橋の天井川をくぐって京田辺駅に着く。2010年3月12日まで京田辺駅では全列車の増解結が行われていたが、これは京田辺駅以南は4両編成しか運転できなかったためである。京田辺を出ると再度天井川をくぐって京奈和自動車道との交差部に大住駅があり、左右にカーブを進みながら住宅地が多くなると掘削駅の松井山手駅である。松井山手駅は線内で一番新しい駅であり、駅周辺のニュータウン開発に伴い開業した。木津駅から松井山手駅までは終日、列車のドアは半自動扱いとなっている。松井山手駅からは複線で、京橋方面からのほとんどの普通がこの駅で折り返しており、引き上げ線も1線設けられている。第二京阪道路を越えると大阪府に入る。1989年3月の松井山手駅開業・長尾以東電化複線化までは、大住駅 - 長尾駅間に大谷トンネル・奥大谷トンネルの2本のトンネルがあった。大谷トンネルは開削されてその場所に松井山手駅が作られたため現存しない。奥大谷トンネルは京都・大阪の府境にあったが、トンネルの老朽化と複線化対応のため、トンネルの北側を切り通しにして線路が付け替えられた。旧線の路盤は埋められたが、京橋方のポータルの上部が地上に出ており、現在線の車窓からも見ることができる。大阪府内は四条畷付近まで生駒山地の北側から西側を走り、進路を変えて西進する。大阪府枚方市に入るとすぐに長尾駅、藤阪駅と続く。津田駅では島式2面4線の用地が確保されているが、実際に線路が敷設されているのは内側2線のみで東側1線は保線基地として使用されている。交野市に入り第二京阪道路を過ぎて右にカーブを進むと京阪交野線との乗換駅である河内磐船駅を過ぎて、高架駅である星田駅である。高架を下りる前に寝屋川市に入り、掘削駅の東寝屋川駅で再び住宅地が目立つようになると、その先の四條畷市内で再び高架となり忍ケ丘駅、高架を下り地上駅で2面4線の四条畷駅に着く。四条畷駅は、京橋方面からの列車はどのホームでも折り返すことができる駅で朝夕のラッシュ時は四条畷駅発着の列車が数多く設定されている。なお四条畷駅の所在地は四條畷市ではなく大東市である。続く野崎駅は野崎観音の最寄り駅で、参道は商店街となっている。大きく右にカーブして、恩智川を渡ると高架駅2面4線の住道駅、東大阪市に入って鴻池新田駅と続き、近畿自動車道・大阪中央環状線を越えると近畿車輛を左手に眺めて地平に降りると徳庵駅である。同社ではJR西日本のほか、親会社である近鉄など他社の車両も多く製造しており、車窓から搬出前の車両が見えることもある。徳庵駅を過ぎて大きく右にカーブすると、大阪市に入り、下り線はおおさか東線を越えるための高架となり、その高架からは網干総合車両所明石支所放出派出所を眺めることができる。放出駅ではおおさか東線が分岐し、同線に直通する直通快速も運転されている。おおさか東線は、放出駅 - 新大阪駅間の開業に向けて着々と工事を進めている。片町線でも年に2、3回線路切り替え工事が深夜に行われている。鴫野駅はカーブ区間にホームが設置されており、駅係員も終日ホームに常駐している。寝屋川を渡って城東貨物線が右に別れ、左にカーブすると現在の終点である京橋駅に到着する。なお一部の列車を除き大半の列車がJR東西線へ直通運転を行う。かつての終着駅であった片町駅は、京橋駅からそのまま直進した場所にあった。1989年3月11日に木津駅 - 長尾駅間が電化されるまでは長尾駅で運転系統が分かれ、木津駅 - 長尾駅間には気動車が運転されていた(「歴史」の節も参照)。また、当時の木津駅 - 長尾駅間の気動車列車は、関西本線亀山駅 - 奈良駅間の列車と共通の2両編成で運転されていた。JR東西線開業前は、片町駅 - 四条畷駅間では日中時間帯快速20分間隔・普通10分間隔であったが、開業後は同線と一体的な運行形態が組まれ、福知山線(JR宝塚線)宝塚方面や東海道本線・山陽本線(JR神戸線)神戸方面と直通運転を行い、日中時間帯は快速・普通とも15分間隔に変更した。普通や快速のほか、朝晩には区間快速および関西本線(大和路線)奈良駅発着の列車が運行されている。全列車が7両編成で運転されている。2010年3月12日までは京田辺駅で車両の増解結が行われ、京田辺駅 - 同志社前駅・木津駅間は4両編成で運転されていた。207系の量産車に4両編成と3両編成が存在するのは、このような運用を考慮したものである。2015年3月14日改正時点の運行形態は以下の通りである。15分サイクルでの運転が基本で、閑散時間帯の運転本数は上表のとおり、1時間当たり、区間快速は木津発着2本、同志社前発着2本、普通は四条畷発着4本が設定されている。すべてJR東西線直通で、区間快速はJR宝塚線塚口まで直通、普通はJR神戸線須磨始発、西明石まで直通となる。京橋駅 - 長尾駅間で快速運転を行い、長尾駅 - 木津駅間では各駅に停車する。大半の列車がJR宝塚線に直通し、塚口駅・宝塚駅・新三田駅・篠山口駅まで乗り入れる。JR神戸線への乗り入れは設定されていない。平日ダイヤの朝ラッシュ時は18 - 20分間隔で運転。それ以外の時間帯(日中の区間快速設定時を除く)では、京橋駅 - 同志社前駅間は毎時4本、同志社前駅 - 木津駅間は毎時2本運転されている。深夜には木津駅経由で大和路線に乗り入れる奈良行きが2本、早朝には木津駅経由で大和路線から乗り入れる奈良発新三田行きが1本運転されており、奈良線の快速が通過する平城山駅に停車する。ラッシュ時は基本的に住道駅で普通と緩急接続を行う。快速は1988年3月13日に設定された。当初は長尾駅 - 片町駅間に平日のみ上り1本、下り2本が運転され、途中の停車駅は四条畷駅・住道駅・放出駅・京橋駅のみであったが、同年9月1日に河内磐船駅が停車駅に追加された。1989年3月11日の改正で日中にも設定され、同志社前駅・木津駅まで運転区間を拡大し、長尾駅から終点までは各駅に停車するようになった。1989年3月11日からは全区間3両編成で運転されていたが、混雑が非常に激しいことから1990年3月10日から4両編成に変更された。1997年3月8日にJR東西線が開通するまでは、朝の同志社大学への通学用に片町発同志社前行き(7両編成で運転し、松井山手駅で後3両を切り離し)が2本運転されていたのを除き、朝ラッシュ時には快速は運転されず、1時間あたりの本数は日中は片町駅 - 同志社前駅間で3本(20分間隔)、同志社前駅 - 木津駅間で1 - 2本(40分間隔)、夕方以降は4両編成で京橋駅 - 同志社前駅間で4本(16分間隔)、同志社前駅 - 木津駅間で2本(32分間隔)が運転されていた。おおさか東線が部分開業した2008年3月15日から、奈良駅 - 尼崎駅間に大和路線・おおさか東線経由で朝夕に運転している。運転本数は朝に奈良発尼崎行き4本、夕方に尼崎発奈良行き4本である。当路線区間は鴫野駅を通過する。車両は2011年3月11日の尼崎行きまで223系6000番台4両編成を2本連結した8両編成が、同日夕方の奈良行き以降は207系が使用されている。京橋駅 - 四条畷駅間で快速運転を行い、四条畷駅 - 木津駅間は各駅に停車する。京橋方面行きの下り列車は早朝・朝ラッシュ時および土曜・休日の午前中・毎日日中に、京田辺・木津方面行きの上り列車は日中・夕ラッシュ時・深夜に運転されている。早朝には奈良・木津発がある(平日はすべて西明石駅まで運転)。朝ラッシュ時間帯は京田辺・松井山手発の列車が多数運転されている。日中時間帯は1時間あたり京橋駅 - 同志社前駅間で4本、同志社前駅 - 木津駅間で2本運転されており、塚口駅で折り返し運転となる。夕方ラッシュ時は京田辺行きが30分間隔で運転され、深夜は22時台に同志社前行き・木津行きが各1本、23時台は京田辺行き2本と松井山手行き1本が運転されている。上り木津方面の列車は尼崎駅で普通・快速から区間快速に、下り尼崎方面の列車は京橋駅で区間快速から普通に種別が変わる。2010年3月13日のダイヤ改正で普通・快速を置き換えて増発し、木津行きの最終列車も快速から区間快速に変更された。また、2015年3月14日のダイヤ改正で日中の快速が区間快速に変更された。全区間で各駅に停車する。大半の列車がJR神戸線神戸方面と直通運転している。朝晩にはJR宝塚線の塚口駅・宝塚駅・新三田駅を発着(土曜・休日夜のみ篠山口発)する列車も設定されている。朝ラッシュ時の京橋方面行きの下りは区間快速と合わせて5 - 10分間隔で運転されている。始発駅は京田辺駅・松井山手駅・四条畷駅・放出駅(放出発は4 - 6時台のみ)で、京橋行きも設定されている。平日午前中は長尾駅折り返しで運行されている。日中は京橋駅 - 四条畷駅間で1時間あたり4本運転されており、この時間帯は須磨発と西明石行きの組み合わせになっている。夕方ラッシュ時は京橋駅 - 四条畷駅間で8本、四条畷駅 - 松井山手駅間で4本運転されており、京橋駅発着の列車も設定されている。木津駅発着の普通は、木津行き上り列車が早朝のみと木津発が下り最終のみである。JR東西線開業前は朝ラッシュ時に快速の設定がなかったため、その時間帯に木津駅・同志社前駅発着列車の設定があった。1999年5月9日までは朝の四条畷駅 → 京橋駅間は4分間隔であったが、区間快速への置き換えが進んだ。2002年3月22日までは日中にも京橋駅 - 四条畷駅間の区間列車の設定が1時間あたり2本あり、この区間では1時間あたり6本が運転されていたが、区間列車については1999年5月10日に4両に減車され、最終的に廃止された。2006年3月17日までは、長尾行きや大久保駅発着の列車も設定されていた。2010年3月13日のダイヤ改正では、日中時間帯の上り松井山手行きが須磨発に変更された。このダイヤ改正以前は、夕方ラッシュ時の系統は京橋発四条畷行きで、折り返し四条畷発西明石行きとして運転されていた。2011年3月12日の改正で平日午前中の一部列車が長尾駅折り返しに変更され、夜のJR神戸線直通の一部が四条畷発に変更された。2012年3月17日の改正で日中の松井山手駅発着が長尾駅発着に変更された。2015年3月14日のダイヤ改正では日中の列車の運転区間が四条畷駅発着に見直された。アーバンネットワークエリアでは一部の線区・区間をのぞいて、大晦日から元日にかけて終夜運転が行われている。当路線では京田辺駅 - 京橋駅間で終夜運転が実施され、このうち京田辺駅 - 四条畷駅間は約60分間隔で、四条畷駅 - 京橋駅間は約30分間隔で運転されており、JR東西線に直通運転している。2001年度までは松井山手駅 - 京橋駅間において約60分間隔で運転されていた。当路線内ではこの終夜運転以外に臨時列車は運転されていない。1997年度には快速「万葉レジャー号」として新三田駅 - 奈良駅間で1往復(新三田駅 - 木津駅間は定期列車)、2000年と2001年には快速「神戸シーサイドレジャー号」が四条畷駅 - 西明石駅間で1往復運転されていた。平日・土曜・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、全列車の木津側から3両目(321系では5号車)に女性専用車が設定されている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている。なお、ダイヤが乱れた際は女性専用車の設定が解除されることがある。当路線では、2002年7月1日より平日の始発から9時までに京橋駅に到着する下り列車の最後部車両を女性専用車として試験的に導入し、同年10月1日から本格的に導入した。その後、同年12月7日からは木津方面行きの列車にも設定するとともに設定車両を木津側から3両目に変更し、平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行った。さらに2011年4月18日からは、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった。全列車が電車で運転されている。直通運転を行うJR東西線とともに全区間の列車がロングシート車で占められている。片町線は関西文化学術研究都市へのアクセスとして重要な役割を担うため、大阪方面との輸送力の強化の必要性が大きく高まっていたが、松井山手駅以東は単線区間が残っており、単線区間では京田辺駅と祝園駅でしか行き違いができず、列車の増発には限界があった。京都府は輸送需要の増加が著しい松井山手駅 - 京田辺駅間を中心に高速化・輸送力増強が早期に実現できるようJR西日本への要請を強め、1998年の補正予算でも高速化・輸送力増強事業費および駅舎整備費補助金として合計1,100万円を計上した。輸送改善の工事は1998年10月に着工し、松井山手駅 - 京田辺駅間の高速化が行われ、大住駅に行き違い設備の新設、京田辺駅の構内改良、JR三山木駅付近の線路移設および行き違い設備の新設・高架化が行われた。これにより列車の増発が可能になり、京橋方面から京田辺駅まで7両編成で運転できるようになった。さらに京田辺駅 - 木津駅間でも輸送改善工事が行われ、同志社前駅 - 木津駅間のホームを4両編成から7両編成に対応できるように延伸工事が行われ、2010年3月13日から京田辺駅で行われていた増解結がなくなり、全線で7両編成で運転することが可能になった。なお、片町線複線促進期成同盟会ではJR西日本に対し、輸送力の増強及び夜間の時間帯の輸送改善および全線の複線化を毎年要望している。複線化については一部区間には用地がある。片町駅 - 四条畷駅間は、浪速鉄道が生駒山地北部の飯盛山西麓にある野崎観音(慈眼寺)・四條畷神社への参詣鉄道として1895年に開業させたもの。四条畷駅 - 新木津駅・木津駅間は、その頃、大阪進出を計画していた関西鉄道が1897年に浪速鉄道とともに合併した城河鉄道から四条畷駅 - 長尾駅 - 木津駅間の鉄道敷設免許を使い、翌1898年に開通させたものである。関西鉄道は網島駅 - 四条畷駅 - 新木津駅間を名阪間を結ぶ本線とし、網島駅 - 名古屋駅間に四条畷駅経由で直通列車を運転するが、1900年に大阪鉄道を合併して名阪間の本線を王寺駅経由に変更、さらに加茂駅 - 奈良駅間を大仏駅経由から木津駅経由に変更した1907年より後は、木津駅 - 桜ノ宮駅・片町駅間を結ぶだけのローカル線となった。同年国有化され、1909年に木津駅 - 桜ノ宮駅間を桜ノ宮線、放出駅 - 片町駅間を片町線とするが、1913年に放出駅 - 桜ノ宮駅間を廃止し、木津駅 - 片町駅間が片町線となった。1932年、四条畷駅 - 片町駅間が関西の国電区間では初めて電化され(1929年に開通した阪和線は当時阪和電鉄という私鉄)、木津駅 - 四条畷駅間はC11形が牽引する汽車、四条畷駅 - 片町駅間は電車になった。C11形投入後は蒸気機関車が廃止されるまで、同機が専ら列車牽引に用いられた。戦前の当路線の特色として、陸軍大阪砲兵工廠(現在の大阪城公園の一部・大阪ビジネスパーク・森ノ宮電車区・大阪市営地下鉄森之宮検車場の地にあった)と沿線に設置された工廠や火薬庫を結ぶ軍需輸送がある。これらの施設までは陸軍の専用線が敷設されていた(星田駅 - 香里製造所・津田駅 - 中宮(禁野火薬庫)・現在の下狛駅付近 - 祝園弾薬庫の3線)。戦後、施設の廃止により香里と中宮に至る専用線は道路化されたが、戦後に米軍および自衛隊の施設に転用された祝園の専用線はその後も使われ、現在もその跡をわずかに留めている。なお、香里製造所の敷地は1958年から香里団地に、専用跡は枚方市道・交野市道に流用された。中宮の禁野火薬庫は小松製作所大阪工場に流用され、1967年10月からはこの頃に一般国道昇格が決定された主要地方道水口枚方線(1970年4月1日に国道307号へ昇格)バイパスに流用されている。戦後の1949年には、四条畷駅 - 片町駅間22分間隔、所要時間34分のところを、20分間隔、所要時間は日中22分、朝夕24 - 26分に増発・スピードアップされた。1950年に長尾駅 - 四条畷駅間が電化され、非電化区間は気動車のキハ41000形に変わり、汽車は木津駅 - 放出駅間1日2 - 3往復(放出駅 - 片町駅間と城東貨物線については不明)の貨物列車だけになった(1972年に蒸気機関車使用廃止)。木津駅 - 長尾駅間は気動車が日中以降1 - 2時間間隔で運転されるだけであり、国鉄末期に増発が行われた。国鉄分割民営化後の1989年に木津駅 - 長尾駅間が電化され、全区間で電車が運転されるようになった。1997年、JR東西線が開業し福知山線(JR宝塚線)・東海道本線(JR神戸線)との直通運転を開始。同時に京橋駅 - 片町駅間が廃止された。以下で区間の「廃止」は特に注記がなければ当該駅および信号場間の営業線としての廃止を意味する。廃止日以降も車両基地への回送線としてや、重複区間であるため一部区間では線路が残っている(いた)場合はその旨注記した。祝園駅・同志社前駅・大住駅・藤阪駅・津田駅・東寝屋川駅がジェイアール西日本交通サービスによる業務委託駅、西木津駅・下狛駅・JR三山木駅が無人駅、それ以外の駅はJR西日本の直営駅である。括弧内の数値は起点からのキロ程。括弧内は木津駅起点の営業キロ。廃止区間の駅をのぞく。

出典:wikipedia

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