楊 潔篪(よう けつち、ヤン・ジエチー、1950年5月1日 - )は中華人民共和国の政治家、外交官。現在、国務委員・中共中央外事工領導弁公室主任。過去に、第10代外交部長(外務大臣)を務める。1950年5月1日、上海市に生まれる。1963年、上海外国語学院(現上海外国語大学)附属中学に入学。1968年、文化大革命によって学業を中断され、工場勤務を強いられた。その後、1971年12月に中国共産党へ入党する。中華人民共和国とアメリカ合衆国が正式に国交を結ぶ以前、外交部は外国語の堪能な人材を選抜し、イギリスに留学させていた。楊も1973年にイギリスに派遣され、バース大学やロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んだ。1975年に帰国した楊は、外交部翻訳室に配属された。後にアメリカ合衆国大統領となるジョージ・H・W・ブッシュ(1974年から1975年にかけて、アメリカ合衆国在北京連絡事務所長を務めた)が1977年に中国を訪問した際には、その全日程において、通訳として陪席している。1983年以降、駐アメリカ合衆国大使館二等書記官、一等書記官、参事官、外交部北アメリカ・オセアニア局参事官兼処長、副局長、公使、外交部部長助理(外務次官補に相当)などを歴任。1998年2月には外交部副部長(外務次官)となったが、これは当時の中国で最年少の副部長であった。2001年2月16日、楊は第7代駐米全権大使に任命された。楊は当時50歳。20年以上にわたる中国とアメリカの国交の歴史において、最年少の駐米大使である。大使の任期を終え、2005年3月に帰国した楊は、外交部副部長に再任される。2007年4月27日、外交部長に就任。2013年3月16日、外交部長を退任し、国務委員に就任。中国共産党での経歴は、第16期中央委員候補、第17,18期中央委員、現在、中央外事工領導弁公室主任。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで国際関係学を專攻した楊は、1983年以降、対米外交に携わり、ブッシュ家などアメリカ要人との人脈を形成していった。中国政府内では随一の「知米派」とされる。56歳での外交部長就任は、初代の周恩来総理の51歳に次いで若い。「Tiger Yang」との渾名があるが、人柄は温和だと評される。「篪」は「虎」の異体字とされるが、本来楽器の一つを表す文字であり、音は「池」と同音同声調で「虎」とは音が異なる。
出典:wikipedia
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