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記者クラブ

記者クラブ(きしゃクラブ)は、公的機関や業界団体などの各組織を継続取材を目的とするために大手メディアが中心となって構成されている任意組織。英語では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記される。大手メディア以外の記者・ジャーナリストも加盟できる「プレスクラブ」(日本では、社団法人である日本記者クラブや、日本外国特派員協会などが該当)とは全く性格を異にし、日本独特のシステムと言われ、フリーランスなどに対し排他的であるとして近年、批判を受けている。アメリカのホワイトハウスや連邦政府の官庁、国連本部などに似た組織が存在している。日本新聞協会は、記者クラブの目的を「国民の『知る権利』と密接にかかわる」ものと定義している。しかし加盟社以外の記者会見参加を認めないケースがみられるほか、記者クラブをもつ組織が記者クラブ加盟社、所属記者以外の取材に消極姿勢を取るなど、記者クラブ以外のジャーナリストによる取材活動が差別されており、経済協力開発機構や欧州議会などから記者クラブの改善勧告を受けている。公的機関はクラブに対し記者室を提供、光熱費なども負担しており、「便宜供与に当たるのでは」といった批判も出ている。また、官房機密費を使っての供与疑惑も持ち上がっている。取材対象側から情報提供を安定して受ける結果、横並び意識になり、また記者の能力低下も懸念されている。批判や問題が多いと判断した一部の政治家が1990年代から制度に切り込み、今日では首相官邸・中央省庁も記者会見をクラブ以外にも開放する試みが始まっている。しかし「それは見せかけだけで実際会見場に入って挙手してもまったく当ててもらえず質問すらさせてもらえないのが現状」との批判もある。記者クラブは法人としての登記が為されていない私的な組織で、主に大手メディアが構成する。日本には約800の記者クラブがあり、中央省庁・国会・政党を初め、企業・業界団体、地方自治体の役場などに置かれている(詳細は記者クラブ一覧を参照)。ほとんどの記者クラブは庁舎内に専用の記者室を取材対象側から無償もしくは低額で割り当てられ、情報提供などを独占的に受けている。光熱費などの運営費も負担しないケースも多い。年間110億円、全国紙1社あたり数億円の負担を免れているという(詳細は記者室を参照)。記者はほとんどがクラブに常駐する。加盟報道機関が複数当番制で「幹事」社となってクラブの運営にあたる事が多い。情報は情報源の広報担当から幹事社に伝えられ調整され、幹事が件名や発表日時などその報道に関する約束事を記者室の「ボード」(黒板)に書く。黒板に書かれた約束事は「黒板協定」「クラブ協定」「しばり(縛り)」などと呼ばれ、加盟社が順守するべき約束事とみなされる(報道協定参照)。欧米の記者発表で「エンバーゴ」と呼ばれる解禁日時付きの事前報道資料提供と同様である。記者会見は、ほとんどがクラブ主催となっており参加者も加盟社に限られ、仮に加盟社でない記者が参加できても質問は出来ないことが批判を受けていたが、最近は開放の動きが進んでいる。中央官庁の大臣会見は省庁が主催するケースも多いが、記者クラブ主催の方が、記者クラブ外からの参加に柔軟な場合もある(詳細は記者会見を参照)。外務省などは広報対象が広範(海外メディアも含む)なため、もともと省が主催している。省庁などの側は記者懇談会やぶら下がり取材、国会記者証(入館許可証)の交付などの対象を、記者クラブのメンバーに限って認めることが多い。日本新聞協会は記者クラブの機能を「公的情報の迅速・的確な報道」、「公権力の監視と情報公開の促進」、「誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整」、「市民からの情報提供の共同の窓口」と定義している。記者クラブの構成員は主として大手メディアの記者である。日本新聞協会は「日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者などで構成」されていると説明する。しかし地方の月刊誌やコミュニティFM、ケーブルテレビ局などの加入は、地元の市政記者会(市役所記者クラブ)などで認められているだけである。また外国報道機関が加盟するクラブは少数にとどまる(新聞協会は「増えつつある」としている)。加盟社の記者は新聞社やテレビ局であっても、ストレートニュース(主観や分析を交えず事実のみを記す記事)を中心とする通信社的仕事を行う。そのため、担当する対象に常駐して取材を行っており、日本新聞協会も構成員の「継続的に取材」にこだわっている。これは「ストレートは通信社、批評・解説はジャーナリスト」という世界の潮流とは、ずれており、効率性の面からも賢くないほか、記者の分析眼が養いにくくなるなどの弊害もある。記者クラブは前述の通り、大手メディアが組織している。従って会員制と言えるが、大手以外のジャーナリストなどの入会は難しい。日本新聞協会は入会資格を「公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務」「報道という公共的な目的を共有」「記者クラブの運営に、一定の責任」「最も重要なのは、報道倫理の厳守」と説明している。実際に入会審査するのは各記者クラブだが、審査過程は不透明で、加盟社が1社でも反対すれば入会は認められず、新規参入が事実上阻害されている。外国メディアへの対応もこれと同じで、入会を巡って激しい交渉が行われた(詳細は外国人記者を参照)。クラブのその排他性から「情報カルテル」「談合」「護送船団方式」と表現されることもある。取材源側が親睦団体の建前を利用し、「官報接待」などを行うことも多々ある。入会を希望するジャーナリストの中には、クラブの一員になりたいのではなく、記者会見で取材がしたいだけという者もおり、記者クラブに代わる認定制度・会見制度を求める意見がある。これまでOECDやEU議会などから記者クラブの改善勧告を受けているが、一貫して大手メディアは記者クラブに関する事柄を報道しないため、日本国民が記者クラブの持つ閉鎖性を知る機会が限られてしまっている。また、張り込み中は部外者からの質問に答えないなどの問題も多い。プレスクラブとは記者同士の親睦を深めるための私的な団体である。よく知られたものにアメリカのや日本の日本記者クラブ、日本外国特派員協会などがあり、そのほかの多くの国にも存在する。プレスクラブは自前の建物に娯楽設備などを用意し、勉強会や、ピクニックなどのイベントで国籍などにかかわらず記者としての交友を深めるのが目的である。記者クラブに詰めている記者が普段、出勤するのは取材機関の記者室である。日中は常駐し、プレスリリースを待ったり記者会見や記者懇談会で話を聞き、必要があれば現場に取材に行く。夜になると「夜討・朝駆」(ようち・あさがけ)と呼ばれる、関係者への取材(対象者の自宅や訪問先が多い)を行う。政治報道の場合、番記者が取材対象に一日中張り付く。移動中に取り囲んで、「ぶら下がり」という非公式な会見を行うという手法も取られる。事件などのその性質によっては記者クラブの内部でも報道協定で取材を制限することもある。特に制度として確立しているのは身代金目的誘拐事件が発生した場合の誘拐報道協定である。犯人が「警察に通報すれば人質を殺害する」などと脅迫し、事件が報道されれば警察が捜査していることが犯人に露見し人質に危険が及ぶことから、報道を各社間の協定で控える。また大きな事件、事故の関係者のところに多数の記者が集まる「集団的過熱取材」(メディアスクラム)が起きた場合に、地元の記者クラブなどが中心となって取材の自粛や制限を申し合わせることもある。上杉隆は著書で、それが顕著に表れているのが「メモ合わせ」であり、クラブに加盟している記者は別会社の記者同士であるにもかかわらず、取材メモを見せ合っていると主張している。ただし同書は、「メモ合わせ」は政治家の声がよく聞き取れなかったときにその場にいた記者同士で語句を確認するためだともしている。2012年7月には読売新聞記者が取材メモを同じ記者クラブ所属の他社記者に誤ってメールで送信し、メモ内容を社外に流出させたために諭旨解雇処分となっており、取材メモは記者クラブ記者にとっても普通は厳秘である。この件では担当記者の他、編集局長が更迭、社会部長が降格などの処分を受ける事態になった。横並び意識は報道機関にとっても都合がよい。特に新聞は戸別配達制度で部数が安定しており、取材コストを掛けて良い記事を書いても部数が伸びる見込みはない。よって取材は程々で良く、特オチを避けて無難に過ごせば、エリートサラリーマンとして一生安泰である。公的機関では、記者クラブ以外に広報など便宜を積極的に図らないケースが多く、加盟社でないと十分に取材が行えない場合がある。日本新聞協会は「記者クラブは公権力に情報公開を迫る組織として誕生した歴史がある」とするが、十分な根拠を基にした対応ではないと言える。日本の記者クラブの歴史は明治時代にはじまった。1890年(明治23年)、第1回帝国議会が開催されたが、議会側が示した新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成し、取材用傍聴席の確保や議事筆記の作成で協力を図った。10月にはこれに全国の新聞社が合流し、名称を「共同新聞記者倶楽部」と改めた。しかし、実態は数人の記者のたまり場にすぎず、中級官僚に面会できる程度であった。大正時代に入ると本格的な記者クラブがつくられた。昭和初期までに、取材の自由を勝ち取っていった。この時期の記者クラブのほとんどは記者が個人個人で直接加入するものだった。しかし太平洋戦争が始まると記者クラブは変質することになる。まず、日米開戦前の 1941年5月、新聞統制機関「日本新聞連盟」が発足。11月28日、「新聞の戦時体制化」が決定され、日米開戦後に新聞連盟の設けた「記者会規約」により加盟は記者個人から会社単位となり、役所の発表を取材して右から左へ発表報道をおこなう翼賛クラブが1官公庁1クラブだけ認められた。取材組織として公認され、国家体制に組み込まれた記者クラブ制度が始まった。記者クラブはだんだんと政府発表を政府の意向通りに報じる「御用クラブ」と化していき、東條内閣が倒れ、朝日新聞出身の緒方竹虎が国務大臣兼情報局総裁として小磯内閣に入閣し、新聞への検閲を緩めようとしたころには、検閲と自己規制で委縮した新聞には統制緩和を生かす力はもはや残っていなかった。戦後、GHQは記者クラブの解体を執拗にせまった。報道の自由や取材の自由を踏みにじる組織であるとして取材組織から世界一般の親睦団体への転換をせまった。これを受けて、1949年10月26日、 日本新聞協会は『記者クラブに関する方針』を作成した。記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定した。ジャパン・ロビーの圧力を受けてGHQは態度を軟化させ、公共機関に対しては記者室などの便宜供与をおこなうべきとする方針を取り、記者クラブは超法規的な措置として受け入れられた。1958年(昭和33年)には、記者室の使用を許可する大蔵省管財局長の通達が出た。記者クラブは親睦団体の建前のもと、戦争中と同じように取材組織としての活動を続けていたが、報道協定を巡って建前と実態の乖離が表面化した。役所は報道協定などによって報道制限や取材制限をもとめた。対して親睦団体は報道の自由や取材の自由を旨とした。1960年代までは報道協定が発覚すると除名処分をおこなっていたが、こういった対立の末1970年以降、記者クラブの指揮権を公然と認めるようになった。このころからテレビやラジオも記者クラブ制度に加わっていった。1978年、日本新聞協会は記者クラブの目的について「親睦」に加えて「相互の啓発」を挙げた(78年見解)。しかし、平成時代に入ると記者クラブ体制は見直しをせまられた。1990年代、バブル景気により日本経済の国際的影響力が増大し、外国人記者の活動が活発化してくると日本国内でも記者クラブに対する疑問の声が強まった。1992年、外務省の「霞クラブ」が外国人記者を正式会員として受け入れ、1993年に日本新聞協会は、外国報道機関の記者について「原則として正会員の資格でクラブへの加入を認めるべきである」との見解を発表した。1995年には江藤隆美総務庁長官のオフレコ発言のリークが問題となり、翌1996年、新聞協会はオフレコ取材は重要な手段だが乱用すべきではなく「安易なオフレコ取材は厳に慎むべき」との見解を発表した。1996年、鎌倉市は記者クラブに属さない報道機関にも記者室と記者会見を開放した(ただし企業の広報誌、宗教団体の機関誌、政党機関誌は対象外) 。こういった流れのなかで、記者クラブの既得権益は、親睦団体という建前では維持しにくくなった。1997年、日本新聞協会は記者クラブを「公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする『取材のための拠点』」と改めた(97年見解)。2001年、長野県が脱・記者クラブ宣言を行い特権廃止の動きは県レベルまで拡大した。2002年、新聞協会は、記者クラブは「取材・報道のための自主的な組織」であるとの見解を出した。しかし末端組織である、各記者クラブは抵抗を続けていた。記者クラブの閉鎖性・排他性・便宜供与は揺るがなかった。2009年、政権交代が起きて以降、記者会見オープン化が徐々に行われた。2005年3月24日 - ライブドアがインターネットメディアとして初めて気象庁記者クラブに加盟を申請。しかし、2006年3月15日、前社長・堀江貴文が証券取引法違反で起訴されたことを理由に申請を出席者の全会一致で却下。2005年7月9日 - フリージャーナリスト(ルポライター)寺澤有と船川輝樹週刊現代副編集長が、警察庁とその記者クラブ加盟社15社を相手どり、警察庁庁舎内で行われる記者会見などに出席し質問することを妨害してはならないとの仮処分申請を東京地方裁判所、東京高等裁判所に申し立てるが棄却。最高裁判所に特別抗告している。2010年3月4日 - 日本新聞労働組合連合(新聞労連)が記者クラブの全面開放をもとめる声明を発表。ここでは日本における記者クラブに対して挙げられている利点と弊害を記述し、あるものについては事例を示す。記者クラブの弊害が指摘されて久しいが、それでも記者クラブが廃止されないのは、記者クラブにはメディア側およびニュースソース側にとって一定の利点があるからである。以下にあげる「利点」はそれぞれの立場にとっての利点であり、それがすなわち情報の受け手である国民にとっての利点となりうるかについては、別途考慮を要する。記者クラブ制度は憲法で保障されているとされる「国民の知る権利」を確保するために必要だとする意見がある。一方、政府や公共機関が記者クラブという特定の組織のみに情報を提供する事こそが「国民の知る権利」を侵害するもの(憲法に違反した行為)だとする意見がある。国民の「知る権利」は憲法が保障しているとする憲法解釈にはほぼ異論はない。そのためこの問題は単に記者クラブ制度の良し悪しにとどまらない憲法に関わる問題でもある。記者クラブに加盟していないために取材が出来ない個人や組織が、権利侵害だとして国や公共機関を憲法違反で訴える可能性もある。多くの批判を受け1990年代から記者クラブの見直しが始まった。2010年3月26日、内閣総理大臣の鳩山由紀夫は、記者クラブに属さない記者を記者会見に参加させた。1994年、新生党代表幹事の小沢一郎が記者クラブ以外の雑誌社記者も会見に参加できるという当時では画期的な試みを行ったが、小沢とメディアとの対立などもあって途中で挫折に追い込まれた。2002年、民主党幹事長の岡田克也がスポーツ紙や週刊誌や日本国外報道機関などのあらゆるメディアが会見に参加できる方式を導入した。それまでは野党クラブ以外のメディアが会見に参加することができなかった。2009年10月14日、自由民主党総裁・谷垣禎一は定例記者会見を、自民党の記者クラブである平河クラブ以外の日本国内外のあらゆるメディアやフリーランスの記者・カメラマンにも開放した。ただし、最初の質問権は平河クラブのみで、平河クラブの質問が一通りした後に、平河クラブ加盟社以外のフリーランスの記者も含めて質問出来る様になっている。会見所開放当初は熟慮したものではなかった。2004年3月30日、外務省は中央官庁・都道府県庁・警察などに対し、日本国外メディアの記者を会見に参加させるよう依頼する文書を発送した。2009年9月16日、鳩山由紀夫内閣が成立した。外務省を皮切りに記者会見のオープン化が行われた。ネットメディアやフリーランス記者などが記者会見に出席し、質問できるようになった。2010年(平成22年)4月現在、外務省や金融庁、法務省、総務省、内閣府の一部(行政刷新会議など)、環境省、首相官邸など14府省で行われている。ただし、依然記者クラブが主催権を持ち、大臣がオープン化を記者クラブに申し出る、記者クラブ主催の記者会見とは別にオープンな記者会見を始めるなど、オープン化の方法や程度はさまざまで、大臣が主催権を持つフルオープン化はまだ少ない。鳩山内閣の閣僚による閣議後記者会見のオープン化度合いを調べるため、大学のウェブマガジン(早稲田大学大学院ジャーナリズム研究科の「Spork!」)の記者(大学院生)が参加出来るかを調べた記事によると、閣僚18人のうち7人の記者会見について、だれが主催者なのか、省庁と記者クラブで見解が一致していなかった。学生記者の参加は、18閣僚のうち13人について「報道の対価として収入を得ている職業報道人にあたらない」などの理由で拒否された。認められた5閣僚については、いずれも記者クラブが主催を主張する記者会見だった。1996年4月、神奈川県鎌倉市は全国紙や地元紙の神奈川新聞など6社でつくる「鎌倉記者会」に市役所内の記者室を使わせるのを止め、その場所を市に登録した全ての報道機関が利用できる「広報メディアセンター」として開放した。当時の市長・竹内謙(元朝日新聞編集委員、元インターネット新聞JANJAN代表)の「一部の報道機関でつくる記者クラブが、税金で賄う市の施設を独占するのはおかしい」という考えによるものであった。2001年5月15日、長野県知事の田中康夫は「脱・記者クラブ宣言」を発表し、記者クラブから記者室と記者会見の主催権を返上させた。2001年6月8日、東京都は、都庁内の鍛冶橋・有楽記者クラブに対し、同年10月からクラブ及びスペースの使用料を支払うよう申し入れたが、後にこれを撤回し、光熱・水費と内線電話代に限って徴収することになった。また、石原慎太郎東京都知事は週刊誌や外国報道機関が会見に参加できないことについて疑問を呈している。2006年3月14日、北海道は厳しい財政状況等を踏まえ新年度から「道政記者クラブ」に対し、光熱費・水道料金等約250万円の支払いを求めることを決めた。2007年5月11日、東国原英夫宮崎県知事は定例記者会見で、「記者クラブという存在は、先進国では日本だけ」であると述べた上で、現行の県政記者クラブの在り方を見直すべきとの問題提起を行った。この直後、読売新聞など一部メディアでは否定的見解を表明した。1993年6月、東京証券取引所記者クラブである「兜倶楽部」はこれまで加盟資格は日本の報道機関に限られていた規約を改正して、新たに「日本新聞協会加盟社に準ずる報道業務を営む外国報道機関」と付記し、事実上、日本国外報道機関にも門戸を開放した。1999年3月、経団連機械クラブが廃止。この記者クラブは電機、造船、半導体、自動車など取材拠点として運営されていたが、家主の経団連側が退去を要求。報道側と発表主体企業側とでクラブ存続の方策が議論されたが、打開策が見つからないままクラブは消滅した。この背景には、電機メーカー側はオープンな記者会見を行い、ニュースリリースもメールを利用していたので、クラブを使うメリットが少なかったからと言われている。一方、自動車業界はクラブを存続させるため、日本自動車工業会の中に「自動車産業記者会」を設置したが、朝日、読売、毎日、日経が参加を拒否し、事実上、記者クラブとして機能していない。1999年7月、日本電信電話(NTT)の記者クラブ「葵クラブ」がNTTの再編に伴って廃止。葵クラブについてはかねてから一民間企業に記者クラブがあったことについての問題が指摘されていたが、NTT再編を機に報道各社で作る経済部長会が葵クラブを記者クラブとして認めないことで一致。一方、NTT側もクラブ加盟社以外の雑誌や日本国外メディアに記者室を開放する狙いからクラブの廃止を受け入れた。日本以外の国でもジャーナリストを名乗れば誰もが自由に取材できる訳ではない。これは特に保安上の理由である。例えば、事前審査を行い、記者証を発行するなどの手続きが必要である。ただし、審査によって報道機関に所属していることが確認され、保安上の問題なしとされた場合は記者証が自動的に発行されるのが原則である。記者証を持っていれば、少なくとも公的機関の記者会見には出席できる。上杉隆は政府自らが記者の身分を確認しない現状の方が危険だと指摘している。日本以外の国では審査や登録の制度は窓口が1つで、いったん、記者と認められれば自由に取材することができる。日本のように、全国津々浦々に私的なクラブが乱立し、1つの記者クラブで記者と認められても、他の記者クラブでは認められないということはない。また、審査や登録には公的機関が関わっていることが多く、法律の枠内で運用されている。アメリカ合衆国では、最近ではインターネットのブログでニュース報道を配信しているブロガーに記者証を発行し、話題になった。ウェブ上でニュース報道を配信しホワイトハウスから記者証を発行されていた保守系ニュースサイトの記者が違法ポルノサイトを運営、違法取引を行っていたことが発覚しセキュリティーチェックの不十分さが指摘された。フランスでは、ジャーナリストであれば「プレスカード」が発行されるが、この発行を受ける場合はメディアの関係者とジャーナリストで作られている「プレスカード委員会」の審査を受けなければならない。また、この「プレスカード」によって大統領府(エリゼ宮)や各省庁の記者会見に参加することができる。政府首脳の取材は保安上の理由で身元や身辺の調査などがある。ホワイトハウスでは「記者証」を発行してもらうためには厳重なセキュリティーチェックを受けなければならず、また発行されるまでに数ヶ月程度時間がかかることもある。政府首脳とメディアの距離が非常に近いといわれていた北欧諸国でも、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降は制限されるようになった。日本新聞協会は2004年から、外国人記者に限って「記者証」制度を認めつつある。しかし、末端の記者クラブがそれを認めるかどうか保証はない。上杉隆はその著書『記者クラブ崩壊』で、現在、記者クラブは日本とガボン、ジンバブエにしか存在しないとしているが、アメリカのホワイトハウスや連邦政府の官庁にも記者クラブのようなものがあるという担当記者の指摘がある。ジンバブエでは政府の情報メディア委員会への登録が義務化されているという報道がある。。日本には記者会見の他に記者懇談会やブリーフィング(背景事情説明)があり、記者クラブが独占している。アメリカ合衆国やイギリスでも同様のブリーフィングがあると言われている。イギリスの首相官邸(ホワイトホール)では、以前は議会記者証を持った記者しか参加できないオフレコのブリーフィングが行われていた。チャーチルが第2次世界大戦中に始めたもので、非公式なリークによって報道を操る目的があったと言われる。しかしトニー・ブレア政権以降は、フリー記者の参加が認められるようになり、オフレコも廃止された。アメリカ合衆国のホワイトハウスでは、重大な発表が行われる場合のみ発表後の混乱を避けるため、特定の大手メディア(特にテレビ)記者を秘密裏に招集して、事前説明(ブリーフ)を行うと言われる。アメリカ合衆国にもホワイトハウス 、連邦政府の官庁、国連本部などに大手メディア記者からなる記者団体がある。大手メディア記者は記者室の提供や優先的な取材機会などの便宜供与を受けている。アメリカのホワイトハウス、国務省、ペンタゴン、連邦議会詰めの記者の団体の間では、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど有力メディア記者が当局者から特別な便宜を受け、独占インタビューや特ダネを与えられている。ホワイトハウスのブリーフィング・ルームの60ある椅子は会社の名前が貼り付けてあり、最前列は通信社と大手テレビ、後方になるほど影響力の小さいメディアに割り振られる。大統領や国務長官の同行取材の飛行機内の席順も同様である。アメリカの記者クラブは常駐メディア各社のブースや机はあるが、日本の記者クラブのような休憩用のソファや冷蔵庫はない。代表取材のやり方などを調整することはあるが、取材上の取り決めや各社の協定を結ぶことはない。韓国にも、最近まで日本とよく似た記者クラブ制度が存在した。だがインターネットと既存メディアの間で軋轢が表面化した結果、2003年、盧武鉉大統領が記者クラブ制度を廃止している。

出典:wikipedia

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