宇文 部(うぶん ぶ、)は、匈奴系鮮卑の一部族で、宇文莫圭のときに強盛となった。南北朝時代にはその子孫が北周を建てた。宇文部の出自は、黄帝に滅ぼされ朔野に移り住んだ神農氏の子孫で、葛烏菟という者が最初に大人(たいじん:部族長)となったのが始まりとされる。部族名の由来は、葛烏菟の次に大人となった普回が、狩りの途中で「三紐の玉璽」を拾った際、これを天授だと思い、「天を謂いて宇と曰く、君を謂いて文と曰く」とし、国号と氏を宇文としたという。〈『周書』帝紀第一〉また、『資治通鑑』巻八十一太康六年注引『何氏姓苑』において、「宇文氏は炎帝の出自であり、炎帝が草の効能を試したため、鮮卑語で草をいう『俟汾(しふん、)』から、俟汾氏と名乗り、その後訛って『宇文氏』となった」とある。普回の子の莫那は、陰山の南から移動し、遼西に住み始める。〈『周書』帝紀第一〉匈奴の宇文莫槐は遼東の塞外の出身である。平帝(拓跋綽)の7年(293年)、莫槐はその民をむごく扱うので、部民に殺され、代わりにその弟の普撥が大人となると、拓跋綽は、普撥の子の丘不勤に自分の娘を娶らせた。普撥が死ぬと、子の丘不勤が立ち、丘不勤が死ぬと、子の莫圭が立った。太安元年(302年)、宇文莫圭は弟の屈雲を遣わして慕容の辺城を襲うが敗れてしまう。屈雲とは別に素延を遣わして諸部を攻略、慕容は親撃しこれを破る。素延は怒り、10万の兵を率い棘城を囲むが敗走し、捕虜・戦死者は1万余人にのぼった。しかし、当時の宇文部は強盛で、莫圭は自ら単于と称したという。莫圭が死ぬと、子の遜昵延が立った。そのころ、平州刺史・東夷校尉の崔は南州の名門望族を自認し、流亡中の名士を集めようとしたが、赴く者はいなかった。崔毖は慕容が彼らを拘留しているのだと考え、高句麗、宇文部、段部らと密かに結び、慕容を滅ぼして、その領地を分けることを謀った。太興元年(318年)、三国連合軍は棘城の慕容を攻めた。しかし、慕容は連合軍が烏合の衆であることを見抜き、閉門して戦わず、遣使を送り、宇文部だけに牛や酒をもてなした。この離間の計により、疑心暗鬼となった三国連合軍は解散し、高句麗と段部は兵を引いて帰った。宇文部だけは残って戦ったが、慕容の子の慕容翰の策謀により敗退し、崔は高句麗に逃走した。このとき慕容は、宇文部に伝わる「三紐の玉璽」を手に入れ、太興3年(320年)3月、元帝に奉送したという。遜昵延が死ぬと、子の乞得亀が立ち、後趙の石勒の要請でふたたび慕容を攻めるが、慕容は子の慕容を派遣してこれを防いだ。代の恵帝(拓跋賀)の3年(323年)、乞得亀は砦に立てこもって戦わず、兄の悉跋堆を派遣して慕容の子の慕容仁を柏林で襲うが、悉跋堆は慕容仁に斬られてしまう。慕容はまた乞得亀を攻撃して勝ち、乞得亀は単騎で逃げ、その衆は皆捕虜となった。慕容は勝ちに乗じて、宇文部の国城を占領した。咸和8年(333年)頃、宇文別部の逸豆帰が乞得亀を殺して後を継いだ。慕容はこれを攻撃するが、逸豆帰は講和を申し込んだ。咸康の初め、慕容部で内乱がおこると、宇文部は慕容仁側に付き、これを支援した。しかし、慕容仁が慕容に殺され、段部と宇文部は慕容部に攻め入るも慕容の配下の封に敗れた。逸豆帰は国相の莫浅渾を遣わし慕容を攻める。莫浅渾は酒を飲んだり狩猟をしたりしたので、警備など全くせず、慕容が派遣した慕容翰に破られることとなり、ことごとく捕虜となった。建元2年(344年)2月、慕容は逸豆帰を攻撃、逸豆帰は渉亦幹を派遣してこれを防ぐが、亦幹は斬り殺され、慕容に敗れることとなり、逸豆帰は遠く漠北に逃れ、そのまま高句麗に逃げた。ここに宇文部は滅んだ。逸豆帰の子の陵は前燕に仕え、馬都尉を拝命され、玄菟公に封じられる。北魏の道武帝(拓跋珪)が中山を攻め、陵は慕容宝に従いこれを防ぐ。宝は敗れて、陵は甲騎五百を率い北魏に降る、都牧主を拝命され、爵安定侯を賜う。天興元年(398年)、豪傑の于代都を従えて、陵は武川に遷る。陵に系が生まれ、系に韜が生まれ、韜に肱が生まれた。正光4年(523年)、沃野鎮の破六汗抜陵が反乱をおこし(六鎮の乱)、遠近の諸鎮は次々と呼応した。その配下の衛可孤の徒党が最盛だったので、宇文肱はそこで郷里を糾合して衛可孤を斬る。その後、中山において、鮮于修礼の配下となる。後に、定州軍に破られ、肱は戦死した。武成元年(559年)、追尊して徳皇帝という。宇文泰は徳皇帝の少子である。〈『周書』帝紀第一〉かつては南匈奴の遠属で、代々鮮卑の東部大人(たいじん:部族長)を務めた。その言葉は鮮卑とはやや異なる。人々は皆伸びたひげを切り揃え、その頭頂部でとめて頭飾りにする。数寸長くなったらこれを短くととのえる。婦女は足まで長い肌着を着る、すなわち裳(スカート)はない。秋の収穫に鳥頭を毒薬とし、鳥や獣を射る。〈『魏書』列伝第九十一〉-数代(2代?)略-
出典:wikipedia
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