南部 重直(なんぶ しげなお)は、陸奥盛岡藩の第3代藩主。慶長11年(1606年)3月9日、第2代藩主・南部利直の三男として江戸桜田屋敷で生まれる。寛永9年(1632年)、父の死去により家督を継ぎ、第3代藩主となる。藩政においては祖父・南部信直の時代に着工した盛岡城の築城工事を完成させるなど、盛岡藩の基盤固めに専念した。苛烈な性格であったという。実子はなく、更に幕閣に列し譜代大名になろうとしたともいう。そのために堀田正盛の子を養子として勝直と名乗らせて養った(勝直は18歳で早世)。寛文4年(1664年)9月12日、江戸で死去。享年59。重直は4代将軍・徳川家綱に後継者の選定と南部家の存続を事前に願い、重直の死後、家綱は裁定して重直の弟・七戸重信に2万石減封して盛岡8万石を与えて家を継がせ、同じく弟の中里直好に新規に八戸2万石を与えて家を興させ、事実上の分割相続を行った。初め花輪重政と称した七戸重信は南部重信、中里直好は南部直房と名を改めた。
出典:wikipedia
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