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MiG-23 (航空機)

MiG-23(ミグ23;ロシア語:)は、ソ連のミグ設計局が開発した戦闘機。MiG-21の後継機となり、アルチョム・ミコヤンが最期に手がけた機体であった。北大西洋条約機構(NATO)の使用するNATOコードネームはフロッガー(Flogger)。1967年4月3日(23-01のもので、この機は可変翼機ではない)に初飛行した。また、MiG-27()はMiG-23の発展型で、ソ連国内向けの戦闘爆撃機として開発された。1960年代にミグとスホーイ両設計局がSTOL用リフトエンジン搭載有尾翼デルタ翼機と可変翼機の製作を指示されたのが始まりである(ミグは1960年代初めから可変翼機の研究をしていたが、当時は技術的に困難であった)。ミグは新型機を製作するにあたり、リフトエンジン2基を搭載する実験機23-31(MiG-21DPD)を1966年に製作し、この機体のデータを基にしたSTOL機23-01(MiG-23DPD)と、可変翼の23-11(MiG-23)を同年に製作した。翌年の実験で23-01が機体重量と機内空間が有効に使用できないことや飛行時での不安定性があり、整備面でもこの方式が実用的でないことが判ると、23-11が採用された。可変翼は、胴体中央にある固定翼部外側にビポット軸を取付けて、その外側にある外翼部がビポット軸を回転軸として回転することで後退角を変化させる仕組みとなっており、アメリカ合衆国の開発したF-111戦闘攻撃機(戦闘爆撃機と呼ばれることもある)やF-14戦闘機、ヨーロッパで共同開発されたトーネード攻撃機など1960年代後半から1970年代前半の軍用機に共通する特徴で、このような航空機は可変翼機と呼ばれている。この時期の軍用機は敵に滑走路を破壊された場合の対処方法を重要視して設計されており、離着陸距離を短縮できる可変翼機や滑走路を必要としないVTOL、STOL機に大きな関心が集まっていた。可変翼は、高速で飛行する際は翼を後退させて抵抗を減らし、離着陸や低速飛行の際は前に広げて揚力を大きくすることができるため、MiG-23も可変後退翼の採用によって、離着陸距離を短縮している。ただしF-14の可変後退翼はさらに進歩しており、後退角や後縁フラップを自動コントロールにして空中格闘戦能力が大幅に向上していた。一方後退角を手動で制御するMiG-23の前期型(MiG-23Mなど)までは格闘戦能力の向上効果は無く、MiG-23の可変翼は、SPK-1システムを介して油圧により16-72度の範囲で後退角が変わるものであったが、戦闘時には主翼を45度の中間位置に固定させるようになっていた。しかし後期型のMiG-23MLDでは、戦闘時の後退角度は33度に変更され、後退角度制御こそ手動のままであるが、前縁フラップは自動制御になり、格闘性能を向上させている。主翼には、後縁に単隙間フラップと上面にスポイラーを装備しており補助翼はなく、前者は前縁フラップと連動して空戦フラップとして機能して、後者は後述の全遊動式の水平尾翼の組合わせにより機体のローリングの操縦を行う。尾翼は前縁後退角65度の垂直尾翼と前縁後退角57度の全遊動式の水平尾翼があり、胴体背部には垂直尾翼まで伸びるドーザル・フィンが取付けられている。後部胴体中心線の下面には、油圧により右側に折り畳まれる構造の大型のベントラル・フィンが取付けられており、離着陸時には、降着装置と連動して作動する。また、水平尾翼下の後部胴体側面の左右にエアーブレーキを装備している。機首に搭載するレーダーは、初期の機体には、MIG-21と同じJバンドを使用するRP-22サフィール21(NATOコードネーム ジェイ・バード)火器管制レーダーを装備しており、最大捜索距離は29km、目標の最大追跡距離は19.3kmの性能を持ち、全天候迎撃能力は制限されたものであったが、その後の機体には、同じくJバンドのパルス・ドップラー・レーダーを使用した、サフィール23D-Sh(NATOコードネーム ハイラーク)を装備しており、最大捜索距離は80.4km、目標の最大追跡距離は56.3kmと大幅に性能が向上した。その後の発展型には、サフィール23ML(NATOコードネーム ハイラーク2)やルックダウン・シュートダウン能力を付与したサフィール23Pなどの能力向上型を装備している。武装は、胴体中心線に23mmのGSh-23L機関砲を装備しており、ハードポイントは胴体中央下面・主翼固定部・可変翼に兵装パイロンを装備している。燃料容量は機内に4,650-4,700ℓを搭載でき、さらに最大で2,370-2,400ℓを増槽に入れて搭載することができる。MiG-23は本来、前線の制空権を確保するための前線戦闘機であるため、空中戦のみならずある程度の対地攻撃能力も持つよう設計されていた。MiG-23MLなど、後期型では種別は多用途戦闘機に変更されており、アンゴラではMiG-23MLAの対地攻撃能力に対して高い評価が出されている。また、特に対地攻撃を重視した派生型もあり、その内ソ連空軍向けに開発された機体はMiG-27と呼ばれている。一方その輸出向けの機体の名称はMiG-23のままであり、名称の変更の有無はソ連内の予算獲得問題の関係(名称が違うと予算が付きにくい)であったと言われている。戦闘機型としては、初期レーダー搭載型MiG-21同様のサプフィール21レーダーを搭載した初期生産型のMiG-23S、本来のサプフィール23を搭載し1970年代にソ連空軍の主力となったMiG-23M、及びそのダウングレード・輸出型のMiG-23MSとワルシャワ条約機構向けの輸出型MiG-23MF、機体構造を全面的に見直しエンジンを換装した後期型のMiG-23ML、その防空軍向けの迎撃戦闘機型MiG-23P、それに準じた空軍向けのMiG-23MLA、第4世代機に対応するための改良型MiG-23MLDとその輸出型などがあり、戦闘爆撃機型には輸出向けのMiG-23BN、ソ連空軍向けのMiG-27/K/M/D及びインド空軍向けのMiG-27ML(MまたはLとも呼ばれる)、その他練習機型の前期型MiG-23UBと後期型MiG-23UMなどがある。艦上攻撃機型MiG-27は量産されなかった。なお、攻撃機型MiG-23/27シリーズの国内対抗機と言える機体にSu-17シリーズがある。Su-17シリーズはいずれも前線偵察機としても使用されたが、MiG-23/27シリーズには結局、偵察能力は付与されなかった。MiG-23は、ブルガリア、ルーマニア、ポーランド、チェコスロバキアといった東側諸国へ相当数が輸出され、その他にはアルジェリア、インドといったアジア、アフリカなどの非同盟諸国やキューバ、アンゴラといった社会主義・共産主義諸国にも輸出された。また、日本周辺では北朝鮮に約46機が配備されており、2003年3月にMiG-29 9-13と共に米軍偵察機RC-135を迎撃、2009年4月5日に行われた北朝鮮によるミサイル発射実験の際に北朝鮮側のMiG-23が周囲を警戒、うち1機が原因不明で墜落した。2010年11月23日に発生した延坪島事件においては、北朝鮮側は砲撃直前にMiG-23戦闘機5機を出動させ、哨戒任務を行っていた。しかしながら、冷戦終結に伴う各国の予算逼迫と経年化によりMiG-23の多くは既に退役しており、ヨーロッパでは2002年10月のブルガリア空軍からのMiG-23MLA/MLD/UBの退役を最後に姿を消した(但し、同空軍が1機のみ保有していたMiG-23MLはその後も運用されていたという。また、MiG-23BNもしばらくは保管状態であったといわれる)ウクライナではMiG-23M及び後期型(主としてMiG-23MLD)や複座型、並びにMiG-27(サブタイプ不明)がMiG-21やMiG-29などとともにリヴィウやオデッサの飛行場に列をなしている2005年や2006年の写真が存在するが、運用中であるということではなく近年退役して保管状態にあるものと考えられる。このほか、ビーラ・ツェールクヴァでの保管機、ハルキウでの教材用保管機などが知られる。但し、ウクライナ国防省の公式ページでは現在の運用機に含まれており、一部資料では100機以上が現役にあるとされる。ベラルーシでの現況は不明であるが、若干機数が保管状態にあるようである。ロシアではMiG-23MLDを中心に若干数が試験用途などに運用されている模様であるが、本来であれば遙かに多くの機体が第一線、第二戦で運用されているはずであった。ヨーロッパからMiG-23が姿を消していった主な理由は、冷戦終結により単純に作戦機数が過剰となったこと、経済状況の悪化に関連し、可変翼による複雑な機体構造とその維持費の高さの問題、そして欧州通常兵器制限交渉などであった。ロシアに関しては、欧州通常兵器制限条約締結の他に空軍の「以後の作戦機はすべて双発とする」とした決定もあり、1990年代の経済崩壊がさらに退役を早めたといえる。これら多くの国でMiG-23/27の退役が進む一方、2005年になってアンゴラはロシアに対し自国のMiG-23を能力向上型のMiG-23-98に改修する契約を結んでおり、2007年現在実際に改修されたとされる機体の写真が公表されている。また、リビアのMiG-23MLAもウクライナでオーバーホールを受けている。コンゴ民主共和国では、新規に中古の複座型が導入されている。コートジボワールでは、フランス軍によって破壊された同国のSu-25UB(旧ベラルーシ空軍機)の補完として旧ブルガリア空軍機のMiG-23MLD(輸出型)が輸入されている。世界ではより新しい機体の導入も難しくはなくなっているが、こうした新たな動きから、今後すぐにMiG-23シリーズが世界から全廃されることはないようである。MiG-23は、モンキーモデルの情報が流れていたこと、同時代のMiG-25がベレンコ中尉亡命事件でその実態が暴かれて評価が下がった影響などがあり、旧来西側からは非常に低く評価されてきた。冷戦終結後その評価は一変し、特に全面的な改設計により大幅に能力を高めたMiG-23ML以降の後期型に関しては、西側のF-4ファントムIIを凌駕する性能を認めた。また、その攻撃力と加速力の高さによりF-16、F/A-18などにとっても脅威になると考えられている。ミグ航空局ではマッハ1前後の加速力はF/A-18を凌ぐとしている(ただしF/A-18は元より遷音速域での加速性能が弱点として挙げられている機体である)。しかしながら、スピードと遠距離からのミサイル攻撃を重視するという設計当時の世界的な潮流に漏れず、MiG-23も空中格闘戦向きの設計にはなっておらず、特にロール率が悪いため、旋回方向をすばやく変えることが出来ない。とは言え、主翼が前進状態であればそれなりに敏捷であり、アンゴラでは、ミラージュIIIやインパラとの至近距離(半マイル(およそ800m)程度と言われる)のドッグファイトで後ろに回りこみ、相手を撃墜している。実戦においてより大きな役割を果たしたのは攻撃機型で、インドやスリランカ、エチオピアなどでの働きが知られている。MiG-23は、対戦闘機戦闘においては、使用国自体の体制的な問題もあり、西側製の戦闘機に多くの場合敗れている(アンゴラは、有利な態勢で戦闘を行うことの出来た希な例である)。リビア空軍機をアメリカ海軍機が撃墜したことはアメリカ合衆国によって広く宣伝された。また、イスラエルも同様に自国の戦果を大きく宣伝しており、多数のMiG-23を撃墜し自らの損害はごく僅かであったとしている。中東戦争やその後の消耗戦、イラン・イラク戦争及び湾岸戦争以降のイラクでも多くの機体が撃墜・破壊されたとされている。一方、使用国及びソ連側からは戦果として主張されているケースも少なくない。なお、重度のプレッシャー下にあることによる戦果の過大な報告に加え、損傷と撃墜・撃破の差異がつかず帰還機が「撃墜」と報告されることも多く、事後にならなければどちらの側の情報も信憑性は高くはないため、実際の「成績」を知ることは著しく困難である。以下は伝えられるとおりの情報の簡略な紹介である。本機には細かいNATOコードネームが付けられていた。詳しくはフロッガーを参照。前線戦闘機として開発された。戦闘爆撃機として開発された。主として、迎撃任務もこなせる高規格の多目的戦闘機として開発された。MiG-23シリーズの近代改修案として提示された派生型。MiG-23およびMiG-27シリーズの運用国・地域。

出典:wikipedia

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