八戸小唄(はちのへこうた)とは、青森県八戸市に伝わる新民謡。八戸小唄は、1931年(昭和6年)に当時市長であった神田重雄の呼びかけで作られた民謡である。当時、八戸鮫港の築港完成を祝って作られ、大変人気の民謡になり替え歌までも登場したという。南部民謡のひとつとなり、全国的に広まったとされる。今も八戸市内の神社祭りなどで流されている。ジャンルとしては、新民謡に分類され、歌詞には、八戸市の宣伝になる内容が随所に含まれている。作詞 法師浜桜白。作曲 後藤桃水。1967年(昭和42年)に法師浜桜白が八戸市へ歌詞の著作権を譲渡した。その後現在にいたるまで、著作権は八戸市が所持している。1931年(昭和6年)2月3日の東京日日新聞社主催の座談会において、「八戸小唄のようなものを作って八戸市を紹介したい」と重雄が発言したのがきっかけであった。民謡調の曲にしたのは「今流行りの新曲は長持ちしない、古くても民謡調にしてほしい」という神田重雄の希望があったからだとされる。同年8月~9月に法師浜桜白が作詞の原案を作り、10月に作曲されて完成した。当初は原案の歌詞には八戸城下の節はなかったが、神田重雄らとの協議の後付け加えられることとなった。当時発案者であった神田重雄にとって、八戸小唄の製作は八戸の観光開発の一つとして位置付けられた。1931年(昭和6年)に八戸小唄を最初にレコードに吹き込んだのは民謡歌手上野翁桃、鮫、小中野の芸者たちだった。その他歌った歌手は以下の通りである。お菓子や弁当なども発売されている。
出典:wikipedia
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