矢倉囲い(やぐらがこい)は、将棋において主に相居飛車戦法・相振り飛車戦法で使われる囲い。単に矢倉と呼ばれることが多く、美濃囲い、穴熊囲いと並んで代表的な囲いの1つ。居飛車で互いに矢倉囲いに組んで戦う戦型のことを相矢倉(あいやぐら)と言い、これも矢倉と略されることが多い。この戦型のオーソドックスさと歴史、格調について米長邦雄は「矢倉は将棋の純文学だ」と述べ、将棋の世界では広まった言葉になっている。相振り飛車でも用いられるが、その場合右側に矢倉囲いを作ることになる。通常矢倉囲いとは、(先手番で相居飛車のものであると)玉将を8八に、左金将を7八、右金将を6七に、左の銀将を7七に移動させたものをいう。通常の矢倉を金矢倉(きんやぐら)ということもある。角行の初期位置に玉将が来るため、角行をうまく移動させることが必要になる。相矢倉では6八の位置に角行が来ることが多いが、4六や5七、2六の位置に来ることもある。後手は7三に持ってくる場合が多い。上部からの攻撃には強い反面、7八の金を守っている駒が玉1枚だけであり、横からの攻撃にはそれほど強くないという特徴がある。ただし6八には金銀3枚の利きが集中しているので、八段の守りが薄いというわけではない。端は金銀の利きが無いためやや弱く、例えば桂香飛角を利かせて一気に攻め立てる雀刺しという戦法がある。江戸時代には同じ音の「櫓」の文字を当てており、将棋歩式などの定跡書でも「先手櫓」「櫓崩し」などと表記していたが、昭和後期には「矢倉」の表記が一般的となった。ただ、升田幸三や山口瞳など、昭和前期に将棋を修行した人の著書では「ヤグラ」というカタカナ表記も登場していた。近年ではほとんどが「矢倉」である。語源については、加藤治郎が「お城の富士見矢倉、物見矢倉に形が似ている所からついたもの」と述べている通り、日本の城郭建築の櫓に形が似ていることから名前が付いたとされているが、別に享保年間に出た『近代将棋考鑑』にはと記載されており、「矢倉」の語源の一説となっている。金矢倉の6七金が銀に置き換わったものを銀矢倉(ぎんやぐら)と言う。5六の腰掛け銀を6七に引いて組むことが多い。7六の地点への攻めに強いことと、7八の金に6七の銀が利いていることが特徴である。また、右銀を6七まで持ってくるため、手数がかかるのが欠点である。7八と6八の両方に金を持ってきて4枚で囲う場合もある。通常の場合、5六に銀を保留して▲6七銀は少し先送るものである。右辺の状態により▲6七金右なら金矢倉になる。急戦矢倉の右四間飛車から、持久戦にシフトした場合に現れることが多い。金矢倉の7八の金を6八に変え、玉を7八に持ってくる形を片矢倉(かたやぐら、半矢倉)という。天野宗歩が愛用していたことから別名天野矢倉(片天野矢倉)とも言われる。囲う為の手数が1手少なくて済むほか、角の打ち込みに強い利点がある。一方で欠点としては、7九に金や飛車を打たれる心配がある、8七に利いている駒が玉のみなので8筋が弱くなっていることが挙げられる。盤上に自分の角がいると組みにくく、また相手の角打ちを牽制している意味があるため角換わりでよく用いられるほか、角交換の起こりやすい脇システムと併用すると相性が良いことが藤井猛により発見され、この組み合わせを藤井流早囲いと呼んでいる。片矢倉の6七金を5八金のままとした形(7八玉、7七銀、6八金、6七歩、5八金)は、コンピュータ将棋のBonanza Ver. 2 (2006年)が多用していたことから、ボナンザ囲いと呼ばれる。金矢倉に右銀を5七の位置に加えたものを総矢倉(そうやぐら)という。金銀4枚で囲っているため堅い。(通称四枚矢倉だが、昔の本では三枚矢倉ということもある)角を4六に動かした場合に組まれることが多い。後手側で見られることが多い。総矢倉の相矢倉となった場合には双方とも攻め手を欠き、互いに飛車を動かすだけの千日手となるのが通説であった。米長邦雄や谷川浩司らが千日手打開の手を模索し、実戦でも試みている。金矢倉から9八香~9九玉と組んだ形を矢倉穴熊という。先手4六銀・3七桂型からこの囲いに組む戦法がよく見られた。ここから8八金、または8八銀~7七金、と発展させることもある。7七金型は俗に「完全穴熊」とも呼ばれている。右銀が6六の位置までくると菱矢倉(ひしやぐら)となる。"菱矢倉" というよりは6六(4四)銀型と呼ばれることが多く、相矢倉でよく見られる。左銀が7六に移れば銀立ち矢倉(ぎんだちやぐら)となる。相矢倉よりも対振り飛車の玉頭位取り戦法で用られることが多い。昭和40年代に盛んに指されたが、現在はあまり流行していない。玉が8九に、左銀が8八にいる菊水矢倉(きくすいやぐら)または"しゃがみ矢倉"は、昭和20年代に高島一岐代が考案し、出身地の大阪府中河内八尾市の偉人・楠木正成の家紋「菊水」にちなんで命名した。矢内理絵子が愛用していることから矢内矢倉とも呼ぶ。棒銀や雀刺しなどの上部からの攻撃に強いが、横からの攻めに弱いのが難点である。天野高志も愛用している。金の形が低いへこみ矢倉は、相矢倉戦ではあまり出てこないが、急戦矢倉(後手番)、角換わり、相振り飛車には出てくる。兜矢倉(かぶとやぐら)は急戦時に一時的に用いたり、角換わり戦で用いる。"カブト囲い"とも呼ばれる。右矢倉(みぎやぐら)は相振り飛車でのみ用いられる。玉を右側に囲うのでその名がついた"相矢倉"の場合、初手から▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩のあと、5手目に▲6六歩か▲7七銀とするのが最も一般的な出だしとされる(この5手目で▲6六歩とするか▲7七銀とするのかが、後述の急戦矢倉において重要な要素である)現代矢倉の出だしは24手まで定跡化されており、24手組と呼ばれる。旧24手組は中原、米長、加藤などが盛んに指しており、1980年代後半から飛車先不突矢倉の思想が取り入れられ、後手急戦の流行を経て1990年代前半から新24手組と呼ばれる形が定着した。図の局面に至るまで、若干の手順前後は駆け引きである。近年ではこれら以外の手順で始まる相矢倉、いわゆる無理矢理矢倉(ウソ矢倉)も指されている。たとえば▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩とする振り飛車模様からや、▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲6六歩とする横歩取り拒否からなど。堅陣の矢倉を攻略するため、或いは自玉の堅さを生かす戦法が色々作られており、長い研究の成果で定跡化が進んでいる。矢倉での戦い方は双方が矢倉囲いに玉を収めてから戦うことが多いが、先手が戦型を決めやすい。(主導権を握られるのを嫌い、主に後手が)矢倉に囲わずに、積極的に攻勢にでることを急戦矢倉といい、その種類も多岐に渡る。双方が矢倉を築いてから戦いを起こす一般的な指し方。多くの場合、先手が主導権を握って先攻後手が反撃する形になる。しかし、先手が敢えて後手に主導権を渡す指し方もある。近年では急戦矢倉や変化型の減少により、大半は以下のような、がっぷり四つの戦いになる。急戦矢倉は角道を止めた先手に対し、後手から仕掛けていくことが多い。先手に主導権を握られる展開を避けたい、後手の積極策と言える。相矢倉の駒組みは常に相手の急戦矢倉を警戒した駒組みが求められ、これらの急戦矢倉を軽視すると、一瞬のうちに矢倉囲いは崩壊するので注意が必要である。先手が五手目に6六歩とするか、7七銀とするかで成立する急戦は異なり、例えば居玉棒銀や右四間飛車は6六歩型に、矢倉中飛車や阿久津流急戦矢倉は7七銀型に対して用いられる。米長流急戦矢倉のようにどちらでも成立する急戦もある。有力な急戦矢倉戦法を開発した棋士が好成績を挙げることも多く、升田幸三の雀刺しや升田流急戦矢倉、米長邦雄の米長流急戦矢倉、谷川浩司の居玉棒銀などはタイトル獲得にも結びついている。(升田は大山康晴を破って三冠、米長は中原誠を破って四冠、谷川は羽生善治を破って永世名人になっている。)相矢倉模様から急戦を仕掛けずに、趣の異なる作戦に組み替えるのも有力な作戦であり、相手の意表を突いたり、駒組みの不備や手順前後を咎める1手段である。相振り飛車では、矢倉の他に金無双、美濃囲い、穴熊囲いが用いられるが、それらに比べて上部が手厚いのが長所で、相振り飛車でよく見られる浮き飛車に対して、金銀で圧力を加えることが出来る。しかし、引き飛車の四間飛車や四手角など、盛り上がった形をとがめる作戦もあるため注意が必要とされている。対三間飛車で見られることが多い。また、相振り飛車では「へこみ矢倉」を用いることも多い。
出典:wikipedia
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