阪急6000系電車(はんきゅう6000けいでんしゃ)は、阪急電鉄の通勤形電車である。1976年(昭和51年)から1980年(昭和55年)にかけて126両が製造され、1985年(昭和60年)に4両が追加製造された。本項では能勢電鉄に譲渡された能勢電鉄6000系(6002F)電車についても記述する。神宝線用として、5100系の電装品に2200系の車体を組み合わせている。ブレーキシステムは2200系と同一の電気指令式で、運転台にワンハンドルマスコンを採用したのも2200系と同じである。車体は、5100系と比べて窓の天地寸法が50mm拡大された。2200系や6300系と同様に、登場当時の表示幕は、急行については白地に赤文字で「急行」の表示(特急の反転)であったが、1982年に黒地にオレンジ文字の表示に変更された。しかし、黒地に白文字の「普通」表示と区別しにくいとの苦情を受け、「急行」表示は1992年に現在の快速急行と同じオレンジ地に黒文字に再度変更された。また、同時期に登場した6300系と同様に乗務員室横の戸袋には"H"のイニシャルマークが装着された(1992年の新社章導入に伴い新社章に差換え)。電動機出力は140kWで、製造時の編成は宝塚線用は電動車 (M) 4両と付随車 (T) 4両の4M4T編成、神戸線用は6M2T編成が組成された。神戸線用はホーム有効長が6両分しかない山陽電気鉄道への直通運転も考慮し、6両の基本編成と2両の付属編成の組み合わせであり、8両編成で運行されるときに中間に入る先頭車は電気連結器を装備している。起動加速度は2.8km/h/sである。2008年9月時点では、2200系からの編入車を含めて140両が在籍しており、その大半は宝塚線配置である。一部は今津南線・甲陽線用としてワンマン対応改造が施工され、3両編成となっている。6000F8両編成では、阪急初のアルミ車体が採用された。まず最初に付随車2両が落成して6001Fに組み込まれ、その後に残りの6両が落成し、先述の2両もこれに組み込まれ、アルミ車体の8両編成となった。この6000Fはアルミ車体なので車内の製造銘板が他の6000系とは異なりブルー系のものが使われている。6005Fと6006Fは、1995年に前方の視認性を向上するために前面の表示幕が大型化改造され、独特の雰囲気を持っている。これは、同時期に行われた京都線用5300系の前面改造についても同様である。正面貫通扉に付けられているヘッドマーク受けはデビュー当時ついておらず、暫くはヘッドマークをつける際はアダプターを装備したが、後に標識受けを常設する形に改められている。1998年(平成10年)から2002年(平成14年)にかけて、検査の際に車体を再塗装するにあたり、6300系や8000系と同様に車体上部をアイボリー塗色に塗装された。これは7000系・7300系・5000系リニューアル車についても同様である。なお、6001Fのみ一時期8000系と同じ側面にアイボリー塗装が試験的に施されたが、後に前面にもアイボリーが追加されるようになった。宝塚線の6007Fは元々他編成と同様の組成であったが、今津南線と甲陽線のワンマン化に伴い編成替えが行われ、2200系からの編入車 (6770) や暫定T車(6610・6510)などを組み込んだ編成となっている。6024F+6014Fは4両+4両の8両編成を組んでいる。梅田寄りから8両目の6114は暫定T車となっていたが、2016年に解除された。ワンマン対応改造施工車の一部は前面貫通扉のワイパーが8000系列と同じ電動式に更新されている。6021F・6022F・6023Fには扉開閉予告灯が、6010F・6021F・6022Fには増粘着材噴射装置が装備されている。7000系・8000系・8200系・9000系と連結運転が可能であるが、機器がほぼ同一である5100系との連結運転はブレーキの相違のためできない。2200系からの編入車。阪急2200系電車の項も参照。6000系は登場当初、6001Fが宝塚線に阪急初のアルミ車体2両を含んだ8両貫通編成が投入され、1年間以下のような編成で運用されていた。アルミ車体の車両は中間の2両である。一方、神戸線用として6020F・6010Fが登場した。将来の山陽電鉄乗り入れ運用への充当を考慮して2両 (6020F) +6両 (6010F) の8両編成で製造され、しばらくは8両固定編成で使用されたが、6024F・6014Fの製造で運用に必要な編成数が揃ったことにより、1977年12月より6000系による山陽電鉄乗り入れ・分割併合運用を開始した。1977年、アルミ車体の6000Fを6両製造し、6001Fの中間のアルミ車2両を組み込んで、アルミ車体のみの8両編成が組成された。一方、6001Fは鋼製の中間車2両を製造して鋼製車体の8両編成に統一されている。宝塚線には8両貫通編成が、神戸線には山陽電鉄乗り入れ用に2両+6両の8両編成が配置されたが、1979年製造の6004Fのみ以下のような編成を組んで神戸線に配置され、わずかな期間であったが山陽電鉄乗り入れにも使用された(その後すぐに6554・6584を組み込み宝塚線に転属した)。また、1980年に製造された6026Fは、将来の神戸線の朝のラッシュ時における10両編成運転を考慮して、増結編成となる大阪寄り2両の中間に付随車2両を組み込んで4両とし、一方で従来は6両編成だった神戸寄りの編成については、中間車を製造せずに2両とした4+2の6両編成として製造された。なお、6026Fと6008Fについては、7000系登場後の製造のため、運転台の車掌室仕切り扉が装備されている。1984年、京都線に6300系6330Fが登場したのをきっかけに編成内の組成順序が変更されることとなった。従来のMc-T-M'-T-T-M-T-M'cからMc-M'-T-T-T-T-M-M'cに変更され、電動車が近接するユニットを組むこととなり、1980年に登場した神宝線用の7000系や1982年に登場した京都線用の7300系とともに、宝塚線用の本系列についても変更された。変更の理由はM車を隣接させることによるメンテナンスの容易さと、T車の高圧引き通し線を廃することが目的である。その結果、T車が4両連続することになり、起動時は特にM車と隣接しない中間の2両のT車では連結器の衝撃が増す結果となり、乗り心地は低下した(7000系も同様)。1984年には、翌年に予定されている神戸線での10両編成運転に備えて、本系列において最後の増備となる4両を製造した。増備された車両は付随車で、車内見附は同時期に製造された7011Fに準ずるが、車体はアルミではなく鋼製で、車体幅も7000系アルミ車と違い拡幅されていないのが特徴である。貫通扉は連結相手に合わせて小型ガラスである。運用開始までは休車の予定だったが、輸送力増強のため、2両(6671・6681)は7000系7021Fに組み込まれた。1985年、神戸線での10両編成運転が開始されたが、7021Fに組み込まれていた2両はそのままとなり、代わりに2200系のVVVFインバータ試験車との差し替えで抜かれた中間付随車(2750・2751)が編入され、増結編成に組み込まれた。一方、元々10両編成化を見越して製造されたはずの6026Fについては、中間車が新造されないまま、逆に増結編成の予備車を兼務することとなり、編成も2+4の6両編成に変更されている。同時に6026と6116については密着連結器・電気連結器に交換された。1980年代後半よりスイープファン(補助送風機)非搭載車両の一部に7013F以降と同じスイープファン搭載工事が施工された。この工事は7000系の一部や2200系にも実施されているが、1990年代以降は補助送風機はローリーファンに変更されている。1987年から1988年にかけて、神戸線の10両編成運転が大幅に増加することになった。このとき、本系列による4両増結編成は中止され、その中間に組み込まれていた6670・6680(および2750・2751)は7000系に編入された。 なお、増結用2両編成で4両を組み、10両編成の増結車として使用されていたこともある(6023-6123+6024-6124など)。1992年、2200系のチョッパ車による実用試験が終了した関係で、神戸線用の一部車両に編成替えが発生した。チョッパ試験を終了した2200系のチョッパ制御の電動車はすべて電装解除の上付随車となり、神戸線の本系列(6010F・6011F)に編入され、当時宝塚線配置であった7002F・7004Fと交換の上で宝塚線に転属した(後に6010Fは神戸線に再度転属した)。一方、2200系VVVF試験車は引き続き使用されたが、そのままだと4両編成となるため、本系列の6025-6125と編成を組むことになった。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生し、当時今津北線で運用中であった6025Fが被災し、2200系の1両が廃車された。代替車両の製造と被災車両の復旧の過程で、先に6010Fと6011Fに編入されていた車両も含め、2200系はすべて本系列に編入することとなり、全体の両数が140両となった。1997年になって能勢電鉄への直通運転が開始されることになり、6011Fが直通運転に使用する編成の予備編成として整備された。能勢電鉄用の列車無線アンテナが増設され、位置も変更されている。また、1998年には従来阪急マルーン一色だった車体の屋根の部分に6300系と同様のアイボリーの塗装が行われることになり、すでに変更完了している。なお、6001Fのみ前面部のみアイボリーの塗装がされない試験塗装を施されていたが、その後他車と同様の塗装に変更されている。1998年、山陽電鉄との乗り入れが廃止されることになり、当時設定されていた夕方の今津線直通準急とその送り込み運用を除き、神戸線での6両編成運用が消滅することになった。神戸線では6+2の8連で構成されてきた本系列だが、増結用の2連に中間T車を挿入して甲陽線・今津南線に転用することになり、基本編成の6連はT車2両を挿入して4M4Tの8連に再編成し、宝塚線に転属させることとなった。これは6000系の性能上神戸線では4M4Tで走行不能との判断によるものである。これは本系列のベースとなった5100系が神戸線時代に常に6M2Tの8連もしくは4M2Tの6連で運用されていたのと同様である。一方、同年10月から開始される今津南線と甲陽線のワンマン運転用として本系列が使用されることになった。これは、ドア開閉等を伴うワンマン運転時の運転士への負担を軽減するため、ワンハンドルマスコン車を改造対象としたためとされている。増結用に使用していた本系列2両編成を中心に宝塚線所属車も交えて編成変更が行われ、予備車の6026Fも含めて最終的には3両編成6本が用意された。ワンマン化改造された編成の先頭車は予備車の6026Fを除いて自動連結器に取り替えられ、また中間付随車にCPを増設した。またこの関係で宝塚線用の6007Fに元6010Fの中間車だった6610-6510の電装を解除し暫定T車扱いとして組み込まれるなど、趣味的に興味深い改造も行われている。6760は休車となった。また同じ頃、長らく今津線運用だった6025Fが、6025-6125は7000系6両編成と連結して8両編成化され、また6050-7616-7516-6150の4両は7000系中間車を組み込み、2200系時代を髣髴とさせる8両編成となって神戸本線に復帰した。2002年には宝塚線に転属した6024Fと、休車になっていた6760との間で編成替えが行われた。6614が6024Fから外され6000Fの6600と差し替えられ、6024Fには代わって6760が編入された。このとき6114の電装は解除され、暫定Tcとなった。この編成変更は、編成から外された6600を用いてアルミ車体の車両の車体更新を行うための事前調査をすることが目的であったが、6600の車体の状態が予想以上に悪かった事から、更新は見送られてそのまま休車となり、2011年3月に6000系初の廃車となった。一方、今津線の6016Fと7000系と連結して本線運用に入っていた6025-6125との間で編成替えが行われ、6016Fが2両編成となって久々に増結運用に復帰した。2014年7月31日、能勢電鉄に6002F編成が譲渡され、翌8月1日より運行を開始した。運用は阪急8両編成車と共通運用であるため、阪急宝塚線での運用が多く(箕面線にも入線することもある)、能勢電鉄内は日生エクスプレスのみの運用となっている。なお、日生エクスプレスは平日ダイヤ時のみの運行であるため、土曜・休日ダイヤ時は自社線には入らず、専ら阪急宝塚線内での運用に就いている。2015年に7021Fに組み込まれていた6671,6681が7001Fの6連化に際して脱車されていた7551,7581に差し替えられ、6671,6681は正雀車庫で休車となっている。2015年1月より,同年3月21日のダイヤ改正により新設される通勤特急の10両編成運用に対応させるため,6007,6008,6013,6015の梅田寄りの先頭車に転落防止幌設置用の金具が取り付けられた。これらの編成は梅田寄りに増結用の2両編成を併結して一定の期間固定されて通勤特急専用車両となる。2016年夏ごろより6014Fが箕面線の予備指定編成となっており、8月には箕面線で数日間運用された。本系列も3300系などのようにリニューアルされている。最初にリニューアルしたのは6007Fである。概要は、側扉の窓を縦長に、車内化粧版は従来より濃いものに、床の模様を5010Fと同じものにそれぞれ変更、また、車内案内表示器とドアチャイムを設置、冷房室外機キセ(カバー)を鋼製→ステンレス製に変更などである。6015Fでは、扉上部に開閉予告灯を設置、貫通扉と乗務員室扉の車内化粧板もこげ茶色に、床の模様が茶色系のものになった他、荷棚とCPの交換が行われた。なお、他のリニューアル車で採用された緑色の着色ガラスは採用されていない。2008年10月現在、6007Fと6015Fが施工されている。2015年現在の編成は以下のとおりで、2200系からの編入車を含めて139両が在籍する。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。