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宝島 (鹿児島県)

宝島(たからじま)は、トカラ列島に浮かぶ島である。郵便番号は891-5301。人口は133人、世帯数は78世帯(2015年12月31日現在)。地名(行政区画)としての「宝島」の呼称は鹿児島県鹿児島郡十島村の大字となっており、大字の区域は宝島の全域にあたる。トカラ列島の有人島では最南端(無人島は宝島の南方に横当島がある)にあり、鹿児島港から366Km、奄美大島からは90Kmの位置にある。周囲はサンゴ礁に囲まれているが、島の北東部には地元住民が「サバク」と呼称する海浜砂丘がある。集落は島の北岸の平地にあり、前籠港や十島村立宝島小中学校などの公共施設が多く所在している。島内からは多くの土器が出土しており、下層部からは縄文後期の頃のものとみられる宇宿下層式土器や八重山式土器、上層部からは弥生中期の頃と見られる須玖式土器が出土している。宝島という地名は江戸期より見え、薩摩国川辺郡のうちの村名であったとあるが、薩摩藩の直轄領であったため、郷には属さず、藩の船奉行の支配下に置かれていた。宝島の村には小宝島も含まれていた。口之島や中之島と同様に津口番所、異国船番所、異国船遠見番所が設置され、城下より在番が派遣されていた。村高は「薩藩政要録」では395石余であった。文政7年(1824年)8月、イギリス船が来島し、島民に牛を譲渡するように要求したが、在番及び郡司が拒否したため、20名から30名程度のイギリス人が島に上陸し牛3頭を略奪した。この事件で横目の吉村九助が在番所でイギリス人1名を射殺、流人であった2名の武士も争いに参加したとある。この事件が1つの要因となり、翌年の文政8年(1825年)には異国船打払令が出された。この事件の顛末を吉村昭が短編小説『牛』で描いている。1896年(明治29年)に川辺郡から大島郡に所属が変更となり、1911年(明治44年)に十島村(じっとうそん)の大字となり、第二次世界大戦終戦後はアメリカ合衆国臨時北部南西諸島政庁の支配下におかれていたが、1952年(昭和27年)にトカラ列島が本土復帰したのに伴い、下七島は十島村とし、上三島は三島村となり再び十島村(としまむら)の大字となった。また、同時に小宝島が大字宝島から分割され独立した。なお、17世紀後半のイギリスの海賊、キャプテンキッドがこの島に財宝を隠したという言い伝えがある。

出典:wikipedia

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