倉 義和(くら よしかず、1975年7月27日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(捕手)。京都府京都市山科区出身。2008年からの2年間、広島の選手会長を歴任。二軍バッテリーコーチを兼務していた2016年に、現役引退を表明した。京都成章高では大家友和とバッテリーを組み、3年夏の京都大会で準優勝。京産大へ進学。関西六大学リーグ通算77試合出場、250打数64安打、打率.256、5本塁打、33打点。4年春のベストナインに選出。1997年のドラフト会議で広島東洋カープに5位で指名され入団。1年目の5月7日の横浜戦で延長10回裏にプロ初出場を果たし、12回表のプロ初打席では3バント失敗で併殺打に倒れたが、14回表にプロ初安打となる決勝タイムリーを放っている。しかし、その後はなかなか出場機会が得られず、には後輩の石原慶幸にレギュラーを奪われている。因みに、この頃は課題とされてきた打撃が二軍で好調だったこともあり、野手転向の話もあった。8月20日の対巨人戦(広島市民球場)で、ベンチに残っている最後の野手だった倉は代打で登場し、センター前へ野球人生初のサヨナラ安打を放った。この試合の試合時間、5時間42分はプロ野球・セ・リーグ歴代10位に入っている。試合終了時には午前0時を過ぎていたため、試合後の山本浩二監督の言葉は「また今日もよろしくお願いします」だった。の春季キャンプでは、ブルペンに入った際に新品のミットを慣らしていたため、エースの黒田博樹から「今の段階でミットを作っていることが投手に失礼」とその日は謝罪も受け付けられないほど激怒される騒動があった。しかしこのキャンプで正捕手であった石原が骨折したため、4月1日の開幕戦(対巨人戦)でプロ入り後初めての開幕スタメンを務め、正捕手の座を獲得した。石原が復帰すると、当時打線が低調だったこともあって打撃に優れた石原に正捕手の座を譲ったが、それまで好調だった投手(小山田保裕など)が揃って調子を崩したことから、まもなく正捕手に復帰する。最終的に自己最多の109試合に出場し、打撃面に課題は残ったものの盗塁阻止率はセ・リーグ1位の.440を記録した。キャンプで叱りつけられた黒田とは、シーズンが進むにつれて抜群の相性を見せるようになり、以後長い間「黒田専属捕手」として常にバッテリーを組むようになる。は石原(85試合出場)らとの併用で84試合出場に止まり、盗塁阻止率はリーグ最低に終わった。4月の開幕当初、チーム打線全体がドン底の状態の中新井貴浩と打率リーグトップを争っていた。しかし前を打つ6・7番の出塁率が低かったことと、後に続く1・2番が絶不調だったことで打点、得点につながらず、打順昇格が行われたのは倉の調子が落ち始めてからだった。シーズン中盤は打撃が絶好調の石原にスタメンマスクを譲ることが多かったが、終盤に再び巻き返して最終的には打率.274、7本塁打で長打率は4割を越え、併殺打はわずか2と、打撃面では自己最高のシーズンになった。10月13日には永川勝浩と共に日本テレビのドラマ「ドリーム☆アゲイン」の第1話冒頭で反町隆史演じる巨人の打者・小木駿介と劇中で対決するという設定で登場している(一部、スタントマンが担当)。に長く専属捕手を務めてきた黒田がロサンゼルス・ドジャースへ移籍したことから、開幕は特定の専属投手不在で始まったが、序盤に高橋建の専属捕手としての立場が確立すると高橋の前半戦の活躍に貢献する。以後も青木高広、齊藤悠葵など、左腕投手が先発する際には優先的に先発を任された。しかし、前年とは打って変わって打率2割前後と低迷し、長く併用されてきた石原にレギュラーを奪われる。最終的に一軍に定着した2005年以降では最低の48試合出場に終わった。ちなみにこの年の本塁打数2本のうち1本は、この年に201回2/3イニングで被本塁打数3だった東北楽天ゴールデンイーグルスの岩隈久志から放ったものである。は前年の黒田に続いて高橋もメジャーに挑戦したため、再び専属投手不在となる。シーズン序盤から石原が打撃不振に陥ったが、自身も同様に打撃不振だったため正捕手の座を奪うには至らなかった。夏場には若い會澤翼の台頭を許すこともあったが、シーズン終盤にはほぼ均等に石原と併用されるようになる。しかし出場試合数は前年を更に下回る43に止まり、打撃も一軍定着後では初の打率1割台、また本拠地が広くなったこともあって6年ぶりの本塁打0に終わる。5月に国内移籍が可能なFA権を取得したが、シーズン終了後の10月24日、FA権を行使せずに広島に残留する意向を表明した。は石原が前年より打撃を持ち直したことで出場機会を増やすには至らなかったが、4月30日の対中日戦では初の満塁本塁打を放ち、青木高広のプロ初完封を攻守にわたりアシストした。この年は少ない打撃機会ながら打率.281と自己最高を記録し、2年ぶりに本塁打を打つなど打撃好調なシーズンとなり、前年より高いレベルで正捕手争いを演じた。は7月30日の中日戦で先制タイムリー打を放つなどの存在感を見せるも、55試合の出場に終わった。は4月6日のDeNA戦で前田健太のノーヒットノーランをアシスト。シーズン途中で怪我で離脱するものの70試合に出場。打率.195に終わったが、2010年以来のホームランも放った。以降は、一軍公式戦への出場機会が徐々に減少。には、1試合で守備に就いただけにとどまった。には、現役生活を続けながら、二軍バッテリーコーチを兼務。しかし、捕手としては、一軍の公式戦に出場する機会がなかった。2016年9月20日に球団を通じて廣瀬純と共に現役引退を発表した。球団では本拠地での公式戦最終戦(25日の対ヤクルト25回戦)を倉・廣瀬の引退試合とし、同日付で今季初の出場選手登録された。引退試合は倉と縁の深かった黒田が先発登板し、倉も「8番・捕手」として先発出場した。倉が黒田とバッテリーを組んだのは、2007年9月27日の対ヤクルト27回戦以来9年振りであった。倉は黒田が1回表に先頭打者の坂口智隆へストレートの四球を出した時点で石原慶幸に交代し選手活動を終えた。その後の1回表2死1・3塁の時点から激しい雨に見舞われたため、試合は1時間20分の中断を挟み降雨ノーゲームとなった。廣瀬の出場は無く試合後に予定されていた倉・廣瀬の引退セレモニーは10月1日の振替試合に延期された。倉はノーゲーム後に雨の中ダイヤモンドを一周し、頭から本塁へ滑り込むパフォーマンスを披露した。なお翌9月26日付で出場選手登録を抹消されたため振替試合には出場出来ず、記録上では2016年の一軍公式戦への出場が無いまま現役を退いた形となった。振替試合には廣瀬が途中出場、倉は引退セレモニーにて「入団して19年、下手くそだった自分をここまで育てていただき、ありがとうございました。今年の(セントラル・リーグ)優勝は、最高に嬉しかったです。世界一のカープファンの皆さん、ありがとうございました!」との言葉を残した。今後は二軍バッテリーコーチ専任となって引き続き指導に当たると報道されている。
出典:wikipedia
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