『THE ビッグ!』(ザ・ビッグ)は、1979年8月25日から1986年3月30日まで放送された朝日放送(ABCテレビ)制作のビンゴを使ったクイズ&ゲーム番組である。本項では、リニューアル後の『THE ビッグチャンス』および『生クイズだよ!日本全国THEビッグチャンス』についても触れる。当初は関西ローカルの深夜番組で、毎週土曜 23:20 - 24:15 (JST) に放送されていた(1980年10月からは放送枠が10分拡大し、土曜 23:15 - 24:20に放送)。ABCホールからの非公開生放送で、板東英二、桂文珍、笑福亭鶴瓶の3人がレギュラーを務め、安部憲幸がアナウンスを担当していた。また、他に明石家さんまが外からの生中継を担当していたが、さんまは早々に降板した。この当時のゲームは、生放送中に実際にビンゴゲームを数回行い、あらかじめ視聴者に配られたカードで放送中に選ばれた数字が毎回異なる特定の枠(L字やT字など)内に収まった人が番組に電話を掛け、最初に通じた視聴者が賞品を賭けたクイズに挑戦するというものであった。ビンゴの確認はカードに書かれたコードナンバーを視聴者が申告すると、司会者の3人の「チェック!!」の掛け声とともにスタジオの表示板にそのカードの数字が表示され指定された赤枠の中に選ばれた赤い数字が全て収まっているかどうかで確認された。賞品の中には、後年での放送と同様に「三菱・ミラージュ」もあった。ビンゴの番号を読み上げたのは、当時は外国人女性だった。また、ビンゴの開始の際に司会者の3人が「ビンゴシュート!!」と声を揃えて発していた。音楽は芹澤廣(現・芹澤廣明)が担当。初期のテーマ曲「セクシー・ウィンド」も彼の歌唱である。この形態での放送は1982年4月3日放送分をもって一旦終了し、最終回では「さよならTheビッグ!」と題して放送された(この日には23:20 - 24:45と放送枠を拡大)。番組はその後、1983年3月6日に放送を再開。放送枠を日曜 11:00 - 11:45へ移し、ABCホールでの公開録画番組として放送されるようになった。放送再開時には鶴瓶が降板し、替わって鶴瓶の弟弟子である笑福亭鶴志がレギュラーに加わった。また、放送再開時にはネット局も付くようになり、系列局の北海道テレビが毎週土曜 11:00 - 11:45に放送していた。しかし、1984年4月1日放送開始の『Do-Up歌謡テレビ』から同日曜11:00枠でテレビ朝日制作番組を同時ネットするようになった影響で、番組は1984年4月9日から毎週月曜 23:30 - 24:32に放送されるようになった。この枠での放送は、全国ネット化直前の1984年10月15日に終了した。1984年10月21日からは『THE ビッグチャンス!』と名を改め、毎週日曜 10:00 - 11:00に放送のテレビ朝日系全国ネット番組として放送されるようになった。この全国ネット化を果たした際に鶴志が降板し、替わって稲川淳二がレギュラーに加わった。また、全国ネット化以後は番組前半で視聴者2チームによる対抗戦形式での商品獲得クイズ&ゲームコーナーを、後半でビンゴコーナーを行うようになった。1985年3月までは関西ローカル日曜昼時代と同様にABCホールからの公開録画だったが、1985年4月に『生クイズだよ!日本全国 THEビッグチャンス』と改題。以来、番組自体が終了する1986年3月までは、関西ローカル土曜深夜時代と同様にABCホールからの非公開生放送となった(スタジオ運用の都合上、ABCエキスタが使われたこともある)。また、同年10月からはゲームコーナーを廃止し、1回目のビンゴで選ばれた視聴者が電話で「フットワークうまいもの便」などの賞品を賭けたクイズに挑戦するという形に変更された。これも関西ローカル土曜深夜時代のクイズとほぼ同様の進行方式である。公開放送時代から自動車を獲得した観衆を称えて天井から大量の紙吹雪が降り、エンディングまで降り続くという演出があったが、非公開になってからもエンディングの紙吹雪のシーンは引き続き行われていた。なお全国高等学校野球選手権大会が行われる8月盆期はABCテレビではそれを優先するため、ABCから系列ネット局向けの裏送りを行い、ABCでは別時間帯に録画で放送された。放送時期・配布方法により3種類が存在する(全て5×5の枠に1〜25までの数字をランダムに配置したもの)。全国ネット化(『THE ビッグチャンス』)以降の局を以下に記す。
出典:wikipedia
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