グラント・ヘンリー・ヒル(Grant Henry Hill, 1972年10月5日 - )は、アメリカ合衆国のテキサス州ダラス出身の元バスケットボール選手。ポジションはスモールフォワード。身長203cm、体重102kg。2015年よりアトランタ・ホークスの共同オーナーを務めている。父親のカルビン・ヒルは、NFLのダラス・カウボーイズなどでプレイしたランニングバック、母親はウェルズリー女子大学の出身で、入学した最初の年ヒラリー・クリントンのルームメートだった。父親がNFLを引退した後、バージニア州レストンに移り住み、ヒルは高校でバスケットボールのスター選手として知られるようになった。デューク大学に進学し1991年と1992年の2年連続NCAAトーナメントでチームは優勝。1994年も準優勝を果たした。名将マイク・シャシェフスキー率いるデューク大学を卒業後、1994年のNBAドラフトでデトロイト・ピストンズに1巡目3位で指名されて入団した。ルーキーイヤーである1994-95シーズン、ヒルは鮮烈なデビューを果たす。1試合あたり19.9点、5.0アシスト、6.4リバウンド、1.77スティールを記録し、ジェイソン・キッドと共にルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)に選ばれた。さらに1995年のNBAオールスターゲームではシャキール・オニールを抑えてファン投票トップで選出された。北米4大プロスポーツリーグにおいて、新人がファン投票で1位を獲得したのは初のことである。翌1996年のオールスターゲームでは、引退を撤回して復帰したマイケル・ジョーダンを破り、再びファン投票トップで出場した。1996-97シーズンは、1試合あたり21.4得点、9.0リバウンド、7.3アシスト、1.80スティールを記録してシーズンMVP投票でカール・マローン、マイケル・ジョーダンに次いで3番目の得票を得た。また、オールNBAファーストチームに選ばれた。このシーズンNBAで記録されたトリプルダブル35回中13回がヒルによるものだった。驚くべきことに、1995-96シーズンから4年間、ガード以外の選手中で、4年連続アシスト1位となっている。またピストンズ時代、ヒルは3度チームの得点、リバウンド、アシストで同時に1位となった。これはNBA史上ウィルト・チェンバレンだけしか記録していなかったことである(2回以上記録したのもエルジン・ベイラーを入れた3人だけ)。ピストンズは、プレイオフ進出こそするものの優勝を争うにはいたらず、ヒルはトレードを希望するようになり、2000年8月3日チャッキー・アトキンスとベン・ウォーレスとのサイン・アンド・トレードでオーランド・マジックに移籍した。新天地マジックでは、トロント・ラプターズから加入したトレイシー・マグレディと共に優勝を狙う。しかし移籍後すぐ4ゲーム目で、足首を骨折する。以降、ヒルは足首の故障に悩まされ続けることになる。手術の繰り返しにより3シーズンでわずか47試合しか出場できなかった。2004-05シーズン、ようやく復調の兆しが戻り、67試合に出場した。ファンも復活を喜びファン投票でオールスターに出場した。ところが2005-06シーズンに入ると、今度はヘルニアに苛まれるようになりわずか21試合の出場しかできなかった。ヘルニアは足にも影響し再び手術をしなければならなかった。一時は引退とまで囁かれるようになる。2006-07シーズン、ヒルはオフにリハビリに成功し、マジックのスターターとして戻ってきた。全盛期のような動きは失われたものの65試合に出場しまずまずの成績を収めた。プレーオフでは古巣ピストンズと対戦したが、格の違いを見せられて4戦全敗でスイープされた。2007年オフにヒルはフリーエージェントとなり、フェニックス・サンズに移籍した。2007-08シーズン、アムウェイ・アリーナにサンズの一員として凱旋した時は、古巣マジックのファンから大ブーイングを浴びせられた。ヒルはサンズのアップテンポなバスケットに適応し、スターターとして活躍した。2011年12月9日、1年 650万ドルで契約を延長した。シーズン終了時で通算 17,000 得点に達した。2012年7月18日、ロサンゼルス・クリッパーズと2年契約を結んだ。2013年6月1日、現役引退を発表した。引退後はTNTとNBA TVの解説者として活動。2015年4月にはアトランタ・ホークスの株を購入し、共同オーナーに就任した。キャリア初期には得点、アシスト、リバウンドなどあらゆるカテゴリーにおいて非凡な成績を収め、人気、実力を兼ね揃えたオールラウンダーとして名を馳せ、トリプル・ダブルを量産しリーグの将来を担う逸材と期待された。しかし度重なる負傷によって全盛期の大半を棒に振ってしまった。共に新人賞を獲得し、リーグ最高のポイントガードにのし上がったジェイソン・キッドとは対照的である。晩年は当時のキレこそ失ってしまったが、経験値の高いベテランとしてチームに貢献。特に、長年の経験と技術をもちいたディフェンスは最盛期にもひけをとらず、相手のSG/SFを大いに苦しめ、時にはサイズで不利極まりないPFを封じ込めることすらあった。
出典:wikipedia
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