篠ノ井線(しののいせん)は、長野県長野市の篠ノ井駅から長野県塩尻市の塩尻駅までを結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。事業基本計画および国土交通省監修『鉄道要覧』では篠ノ井駅を起点としているが、JR線路名称公告では塩尻駅を起点としており、また列車運行上は塩尻から篠ノ井へ向かう列車が下り、逆が上りとなっている。以下、路線データ・経路図を除き特記なければ、塩尻から篠ノ井へ下り方向に記述する。東京、名古屋の両都市圏からの特急列車が中央本線から当路線に直通しており、長野県中部の塩尻市・松本市と同県の県庁所在地長野市とを連絡する役割も担う。日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている。途中、急峻な山間部を走るため、姨捨駅や2か所ある信号場のうち1か所がスイッチバックになっている。ラインカラーはオレンジ。ただし、路線図などでは松本駅以北がオレンジで、以南は中央本線と同じ青色で案内されている。松本駅 - 塩尻駅間は旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」に含まれ、松本駅・塩尻駅でIC乗車カード「Suica」が利用可能である。全線が東日本旅客鉄道長野支社の管轄となっている。関東と近畿を連絡する鉄道としては当初、平時には海路の便があり、戦時に敵の攻撃を受けやすい海岸を走る東海道本線ではなく、中山道を経由する路線が検討されていた。実際にこの路線は着工されたが、建設費が嵩むことや開通後の輸送力が制約されることなどから、工事がほとんど進まないうちに中止となった。この路線のための資材輸送線として建設が始まった直江津から長野を経由し上田へ至る路線はそのまま建設が続行され、さらに延長されて碓氷峠を越えて、高崎まで1893年(明治26年)4月に完成した。一方、1892年(明治25年)6月には鉄道敷設法が制定され、後の中央本線にあたる路線の建設が決定した。これを受けて、長野県会では同年12月に中央本線と信越本線を連絡する「長野若シクハ篠ノ井ヨリ松本ヲ經テ塩尻又ハ洗馬ニ至ル線路」を第一期線に追加するように帝国議会へ要請する決議を採択した。これを中央連絡線と称した。1893年(明治26年)3月から鉄道庁の技師が派遣されて路線の調査を行った。この結果6つの路線が候補として上がった。東側から現在の国道254号に沿って松本と上田を結ぶ三才山線、長野県道181号下奈良本豊科線に沿って松本と上田を結ぶ保福寺線、国道143号に沿って松本と上田を結ぶ二線路線、国道19号・国道403号に沿って松本と篠ノ井を結ぶ篠ノ井線、国道19号や犀川に沿って松本と長野を結ぶ犀川線、国道147号・長野県道31号長野大町線・国道19号に沿って大町経由で松本と長野を結ぶ大町線である。どのルートを選んでも険しい峠を長大トンネルで克服したり、地質の悪い区間を通過したりしなければならなかったが、距離が最も短い篠ノ井線が建設費や開業後の運営の点で有利と判断された。この報告を受けて1894年(明治27年)6月23日に帝国議会で「長野県下長野若ハ篠ノ井ヨリ松本ヲ経テ前項ノ線路ニ接続スル鉄道」が第一期線に格上げされ、また同時に提出された法案により起点は篠ノ井と確定された。1896年(明治29年)予算で建設費は3,597,470円とされ、明治28年度から31年度までの予定で施工されることになった。しかしその後工期の変更と予算の増額があり、明治35年度まで掛かって予算7,677,751円で施工された。全線を11の工区に分けて、1896年(明治29年)10月に着工され、1900年から篠ノ井方より順次延伸され、1902年に塩尻まで全通した。1906年には八王子から伸びてきた鉄道が接続して、東京 - 長野を結ぶ第2のルートが完成した。1909年の線路名称設定の際には、中央東線に含まれたが、中央東線が塩尻以西へ延伸されるに及び1911年に篠ノ井線として分離された。開業後は、急勾配の続く運転上の難所であり、また線路容量も限られることになった。そのため、昭和に入ると順次中間に行き違いの可能な駅や信号場を新設して線路容量の拡大が図られた。第二次世界大戦後も引き続き信号場の追加が行われ、このうち1961年(昭和36年)と1966年(昭和41年)の2回に渡って新設された潮沢・桑ノ原・羽尾の3つの信号場はスイッチバック式を採用した。これにより、元から存在した姨捨駅のスイッチバックと合わせて、1駅3信号場にスイッチバックを有する路線となった。1970年(昭和45年)2月、篠ノ井線用にDD51形ディーゼル機関車30両が配置され、これによって無煙化が完了した。D51形蒸気機関車重連による「さよなら篠ノ井線の蒸気機関車」が運転された。さらに1973年(昭和48年)3月28日に全線で電化が完成した。同年7月10日には中央西線の電化も完成して381系振り子式車両により特急「しなの」の一部が電車化された。西条 - 明科間の、潮沢川に沿う地すべり地帯を通過していた旧線に代わる新線の建設工事は1974年(昭和49年)に開始され、1988年(昭和63年)9月10日に完成した。この際に建設されたトンネルや橋梁はいずれも複線対応であるが、単線での開業となっている。この際潮沢信号場が廃止され、またその後羽尾信号場が使用停止されたことから、2009年時点では1駅1信号場にスイッチバックのある路線となっている。篠ノ井線は、塩尻から松本にかけての松本盆地と、長野市周辺の長野盆地を結ぶ路線で、線路は、同じく両盆地を結んで流れる犀川の川筋ではなく、冠着峠越えのルートに敷設されている。これは、両盆地の間が最近数十万年のあいだに激しく隆起・褶曲した結果、犀川が蛇行しつつ深い渓谷を形成して、川沿いに線路を引ける地形ではなかったためであった。姨捨付近の高所から見晴らす長野盆地は佳景で、日本三大車窓の一つに選ばれている。蒸気機関車時代は難所と呼ばれた冠着トンネルも技術革新のために苦もなく列車が通るようになった。篠ノ井側から見ると、まず稲荷山駅から冠着トンネルへ向かって40分の1(25‰)の上り勾配がずっと続く。山腹に沿って曲線を繰り返しながら次第に高度を稼ぐ。千曲川(信濃川)の支流雄沢川と、同じ千曲川の支流犀川の支流麻績川の間の標高955mの尾根の下を、全長2,656mの冠着トンネルで潜り抜けると、この路線最高の標高676m地点にある冠着駅へ到達する。冠着駅から坂北駅まではおおむね麻績川に沿って下る。そこで麻績川の支流の東条川の川筋に入って再び登り、西条駅へ到達する。西条駅から明科駅までは、潮沢川に沿う区間が地すべり多発地帯であったことや、線路容量が限界に達していたことなどから1988年に新線に切り替えられた区間である。明治時代に建設された当初は、全長365mの御仁熊トンネルを抜けてサミットを通り、全長2,084mの第二白坂トンネルを通って半径300mのカーブを繰り返し25‰で潮沢川に沿って明科まで下っていく線形となっていた。1988年に切り替えられた新線では、新しく掘り直された第二白坂トンネルが1,780mとなり、さらに第三白坂トンネルが4,260mとなり、最大勾配は23‰とわずかながら改善された。また、この区間はトンネルや橋梁について複線化の準備がなされた設計で建設されたが、単線のままで開通している。明科からは松本盆地に出て、おおむね犀川の右岸に沿って通っている。途中田沢 - 松本間は山と川に挟まれた狭隘な区間を通過する。松本からは、市街化・工業化の進む平坦な田園地帯を南下し、やがて松本盆地の南端に位置する塩尻に達する。基本的に、途中の松本駅を起点・終着として中央本線新宿・東京方面、名古屋方面および信越本線長野方面と直通する列車を主体に運転されている。中央東線方面からは、特急「スーパーあずさ・あずさ」「はまかいじ」(土曜・休日のみ)が乗り入れ、ほとんどの列車は松本駅を起・終点としている。一部に大糸線方面への直通列車が設定されている。中央西線方面からは、特急「しなの」が乗り入れ、すべての列車が信越本線長野駅に直通するが、臨時の「しなの」の中には大糸線乗り入れ列車や松本駅を起・終点とする列車も存在する。また、平日の朝には塩尻駅 - 信越本線長野駅間に下り1本のみ189系使用の「おはようライナー」(途中村井駅・松本駅・田沢駅・明科駅に停車、篠ノ井駅は通過、乗車整理券が別に必要)が運転される。塩尻駅ではなく松本駅が運用上の基点となっている。松本駅を始発・終着としている中央本線方面の列車は、上下線とも中央東線方面の列車のほうが多く、列車によっては高尾駅や立川駅まで運行される列車もある。また、中央西線方面の列車は多くが中津川駅まで運行されている。これらの関係で、松本駅 - 塩尻駅間は特急も含めて比較的多くの列車本数が設定されている。一方、篠ノ井駅を起点・終着としている列車はなく、すべて信越本線の長野駅まで(から)乗り入れる。長野駅を起点・終着としている列車も大半は中央東線方面と直通運転している。一部は松本駅までのものもある。篠ノ井線のみを走行する列車は2015年3月14日のダイヤ改正時点で塩尻発松本行きが3本、松本発塩尻行きと聖高原発松本行きがそれぞれ1本、松本発明科行きが1本となっている。快速列車は長野駅 - 松本駅間を朝夕に1往復(朝は長野発松本行き、夜は松本発長野行き)に限りE257系を使用するものがあり、この列車にはグリーン車の設定がある。また上諏訪発長野行き快速1本も、篠ノ井線内で快速運転を行う。このほか、長野駅または松本駅 - 飯田線飯田駅を結ぶ「みすず」(篠ノ井線内で快速扱いとなるのは松本発の1本のみであるが各駅に停車)、および午前中の長野発松本行き上り2本(安茂里駅・今井駅のみ通過で、篠ノ井線区間は各駅停車)がある。これらは基本的に211系・E127系(長野総合車両センター所属)が使用されている。313系(JR東海神領車両区所属)も、松本駅発着の中央西線方面の列車において2両または4両で使用されるほか、飯田線直通(岡谷駅経由)の普通列車にも1往復に3両で使用されている。このため、松本駅 - 塩尻駅間はJR東日本の路線としては珍しく、転換クロスシート車両の普通列車が多く乗り入れる区間となっている。2013年3月16日のダイヤ改正より、塩尻駅 - 長野駅間の一部の列車でワンマン運転が開始された。ワンマン運転の際に使用されるのはE127系のみである。全線で貨物列車が運行されている。コンテナ輸送も行われているが、寒冷地の長野県への石油(灯油・重油・ガソリンなど)輸送が盛んである。石油は、京葉地区や京浜地区、中京地区にある製油所から内陸の油槽所へ送られている。輸送の高速化のために、タキ1000形貨車で編成された高速貨物列車も設定されている。牽引機は、EF64形電気機関車やEH200形電気機関車である。また、篠ノ井線で列車の発着がある駅は南松本駅のみである。篠ノ井線はJR東日本の路線であるが、以下のようにJR東海の車両も乗り入れる。以下において、気動車・客車などの車種が記されていないものは電車である。列車運行上の下り方向(塩尻駅から篠ノ井駅に向かって)に記述する。なお便宜上、篠ノ井側の全列車が直通する信越本線篠ノ井駅 - 長野駅間も合わせて記述する。
出典:wikipedia
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