東京理科大学は東京物理学講習所(後に東京物理学校に改称)を前身とする理系学部を中心とする大学である。明治30年に京都帝大が創立され、そこに理工科大学(理工学部)が設置されるまで、明治期に自然科学の教育を施したのは東大と物理学校だけであり、自然科学教育を施す現存する高等教育機関として2番目に長い歴史を持ち、私学としては最古である。夏目漱石の『坊っちゃん』に登場する「物理学校」は、この東京物理学校を指す。2006年の同学創立125周年を期に、「Con'science'(カンシャンス:英語・フランス語で「良心」の意)〜21世紀の「科学」は「良心」へ向かう〜」のコンセプトを打ち出した。2016年現在、日本の私立大学として唯一ノーベル賞受賞者を輩出した大学である。「理学の普及をもって国運発展の基礎とする」教育と研究をともに重視する教育研究機関を目指している。教育面では、建学時からの伝統である実力を備えた学生のみを卒業させるという「実力主義」を受け継ぐ。研究面では、情報科学教育研究機構、総合研究所および生命科学研究所などの整備・拡充に努めている。8学部33学科を有する日本を代表する規模の理工系総合大学である。前身の東京物理学講習所、および東京物理学校が夜学として開設された経緯から、現在も夜間学部である理学部第二部を有する。1993年(平成5年)には、唯一の文系学部となる経営学部が設置された。現在は一般の大学同様に入学試験が課せられているが、東京物理学校時代は入学試験を行わずに希望者全員を入学させるものの卒業基準は厳しく、実力の無い者は卒業させないという方針が取られており、卒業者は入学者の10%にも満たなかった。また、日本が近代化を成し遂げた明治から大正にかけて、当時のエリート養成学校である師範学校と中等学校の数学、物理学、化学の教員のうち、実に半数以上を物理学校の卒業生が占めていた。
学部卒業生の6割程度が大学院修士課程に進学し、自大学院だけでなく、他大学院へ進学する者が多いのも特徴である。特に東京大学大学院への進学者数は全大学中第2位(東大からの進学者を除く)である。
世界における本学の位置は、QS世界大学ランキングによると第601-650位である。アジアだけで見ると、第104位に位置している。創立125周年を記念して公式イメージ・キャラクター「坊っちゃん」と「マドンナちゃん」が制定されている。これは夏目漱石の小説「坊つちやん」に出てくる主人公及び「マドンナ」に因むものである。政治・経済・法律に関する学問所が多かった1881年9月11日に「理学の普及を以って国運発展の基礎と成す」の信念の下、東京帝国大学仏語を卒業した21名の青年理学学士(櫻井房記・高野瀬宗則・千本福隆・中村精男・中村恭平・小林有也・寺尾寿・保田棟太・桐山篤三郎・信谷定爾・谷田部梅吉・加瀬代助・赤木周行・三守守・難波正・和田雄治・沢野忠基・三輪桓一郎・名村程三・鮫島晋・豊田周衛)によって東京物理学講習所が、麹町区飯田町四丁目1番地(現在の千代田区飯田橋二丁目1番地から九段北一丁目6番地周辺、九段下)の私立稚松(わかまつ)小学校の一部を借りて設立される。設立当時、授業は夜間に行われていた。実験機材は創立者21名の母校である東京帝国大学から講義の度ごとに借り入れ、終了後に返却していた。創立者達は仕事の傍ら無給で学生の指導にあたった。1885年には財政が窮地に陥るも、創立者21名のうち16名(高野、千本、中村精男、中村恭平、寺尾、保田、桐山、信谷、谷田部、三守、難波、和田、三輪、名村、鮫島)が「維持同盟規則」(一人30円の寄付と週2回の無償講義、教師が都合で講義に出られない時は理由を問わず25銭を払うという決まり)を結び、この場を凌ぐ。当初は移転を繰り返し、1886年11月に、神田小川町1番地の仏文会校舎へ移り、神楽坂に移るまで約20年間置かれた。夏目漱石の「坊っちゃん」の主人公が通ったのは、この校舎である。夜間部は、理学部第二部および工学部第二部があり、夜学として創立した本学を象徴する学部である。なお、専門学校時代(東京物理学校)までは入試試験は存在しなかった。組織は、以下のとおりである。アルファベットによる学科の略は、ローマ字(例・数理情報科学科=Suri Joho Kagaku)、または英訳(例・建築学科=Architecture)の頭文字などから採られている。大学内部ではこの英字略称を使用することが多い。理学部・工学部について、大学は両者の第一部と第二部をそれぞれ独立した学部として扱っており、学部長以下教学組織を完全に分離している。本項の記述もその見解に従う。ただし、文部科学省の認可は、同一学部内の第一部と第二部として下りている。したがって政府関係の研究会や評議会・諮問会議などでは第一部と第二部の区別なく「東京理科大学工学部教授」などと表記される。2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智は東京理科大学大学院理学研究科修士課程を1963年に修了し、理学博士を1970年に取得している。21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択されている。グローバルCOEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択されている。戦略展開プログラム国際共同・連携支援(総合戦略型)1 - 3、6 - 9号館は狭い土地に建ち並ぶビル群となっている。校舎間の公道はほとんど私道化され、学生たちが群がっている。図書室は1号館の9 - 11Fにある。これらの校舎がある場所から外堀通りを市ヶ谷方向に進んだ場所に、若宮校舎(数学科研究室)、11号館(ターミナル室)、5号館(化学科研究室・体育館)、10号館(化学科実験室)がある。10号館は飯田橋駅と市ケ谷駅のほぼ中間に位置し、法政大学のボアソナードタワーが外濠の橋を渡った目の前にある。各建物は迷路のような連絡通路で結ばれている。2004年から2013年の間は都市基盤整備公団旧本社を取得したことに伴い、九段校舎との2校舎体制となっていた。2003年4月に薬学部校舎が野田に移転、跡地に5号館を新設したのを皮切りに再構築計画が進行中であり、当初は2006年4月 - 9月に2・3・7・8・9号館を解体し、それに引き続き跡地に新2号館を新築する予定であった。しかし、所在地である新宿区が2006年3月31日に施行した建築物の絶対高さ制限規定によって、制限を大幅に越える新2号館の建築計画は頓挫し、計画開始から2年半ほど経った2008年9月現在も工事は9号館の一部を解体するに留まっている。計画の大幅な遅れから、学生や地元の神楽坂商店街にも深刻な影響が出始めているため、新2号館・学生会館の計画を縮小、葛飾区金町の工場跡地に土地を取得し新たなキャンパスを建設した。その第1段階として葛飾区が実施する大学誘致事業に応募、誘致大学に選定された。もともと専門職大学院が入っていた「東京富士見ビル」を全面賃借し,2015年に改修した上で使用を開始。教養科目は神楽坂キャンパスを使用し、専門科目については富士見校舎を使用する。経営学部の研究室および階段教室、図書室、食堂、売店などを併設。「神楽坂校舎」の項で述べたとおり、2013年4月に葛飾キャンパスが設置された。この場所は三菱製紙中川工場跡地である。大学を隣接する公園と一体化させ「パーク型キャンパス」をコンセプトに、地域住民や学生が集い憩う空間を目指す。野田市南部、利根運河沿いにあるキャンパス。グラウンドや体育館、宿泊施設なども完備されている。講義棟や薬学部キャンパスなど新しい施設も多い。大学では当キャンパスをリサーチパーク型キャンパスと位置づけており、再構築に伴って様々な研究施設が建設されている。野田校舎の附近には霊波之光という宗教法人の建設物が設置してある。1958年に国分寺校地(1942年および1943年に購入し、農業理科学科が置かれ、同学科廃止後グラウンドとなっていた)の売却益をもとに、87,491 m²の土地を購入し、1959年11月に運動場の造成が完了。1966年3月に1号館(講義棟)を竣工し、同年6月までに171,652m²、1977年度までに572,679 m²の校地を取得した。1980年には、隣接する山林約60,000m²の借地権を同窓会が取得し寄贈された(理窓会記念自然公園)。1990年までは国道16号の北東側もキャンパスの一部(自動車練習場)であったが、NHK朝の連続ドラマ「君の名は」の屋外セットロケ撮影地として利用された後、関東運輸局千葉運輸支局野田自動車検査登録事務所となった。2013年に基礎工学部(2 - 4年次)と基礎工学研究科が葛飾キャンパスに移転。1993年に開設された。久喜市はキャンパスを誘致するために、用地取得や校舎建設のため30億円の補助金を拠出、また周辺道路を約10億円かけて整備した。2011年7月、東京理科大学側から久喜市に、久喜キャンパスから神楽坂キャンパスへの全面移転を希望していることが伝えられた。その後両者の間で協議が行われたが、2012年6月、2016年度より経営学部2年生から4年生までを神楽坂キャンパスに移す方針であることが明らかになり、2014年(平成26年)7月には2016年(平成28年)3月末で閉鎖して経営学部と大学院経営学研究科を神楽坂キャンパス全面的に移転する方針を固めた。久喜駅から西に約2.7 km地点に位置し、キャンパス付近は水田や畑が多く存在する農業地域である。校舎は3階建て(一部2階建て)、A棟からE棟までが、それぞれ「凹」の字のように建てられ、各棟および図書館はシームレスに行き来できる。また敷地内にはぶどう園がある。東武鉄道と東日本旅客鉄道の久喜駅の西口から東京理科大学久喜校舎まで無料のスクール・バスが運行をしている。また、校舎内においては全館禁煙とされており、喫煙者は建物の外側に設置してある灰皿附近においてのみ喫煙が可能である。理科大経営学部の特徴は、数量的・計量的な解析を中心とした科学的なアプローチによるイノベーション重視の経営学部である。また、文理融合は経営学部のモットーの1つとしている(教授陣の約半分の人数が理学/工学系である(2011年3月現在※語学系分野のスタッフを除く))。管理会計を中心とした会計学、経済政策・コンピューテーショナルエコノミクスに重点をおいた数理経済学を行っており、日銀グランプリ(2005年以降)や 日経STOCKリーグ(2003年以降)に応募している。就職においても、読売新聞が発行・編集する『就職に強い大学』2012年度版の,学部別就職率ランキングで全国1位となった。また、2013年度版の『就職に強い大学』でも学部別就職率ランキングで全国1位となった。久喜校舎における経営学研究科、経営学部のみで実施されている学園祭を「久喜祭」として毎年11月ごろに実施している。2016年3月末、経営学部の神楽坂キャンパス富士見校舎移転につき、閉鎖。基礎工学部の1年次は全寮制(4人部屋)の長万部キャンパスで過ごす。4月の入学式を日本武道館で終えた新入生は、そのまま大型バス11台程度で羽田空港へ向かう(学生の間では「拉致」と称されている)。このため入学式とは思えない量の荷物を抱えて式に参加する。また、この学部はかつては1年次には留年が発生せず強制的に(習得単位数が0であっても)2年生に進級し、葛飾キャンパスに移動することになり、他学部と異なり3年生への進級時に留年が発生するようになっていたが、2015年度より1年次でも留年が発生するようになった。ただし、1年次で留年した学生も長万部キャンパスに残されることはなく、葛飾キャンパスに移動することになっている。この長万部キャンパスがあるため、長万部町の年代別人口比率では18 - 19歳の分布が飛び抜けて高くなっている。学校法人東京理科大学が設置している以下の大学は系列校という扱いになっている。
出典:wikipedia
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