水晶髑髏(すいしょうどくろ)とは、水晶で作られた人間の頭蓋骨模型のことである。現在、十数個が確認されており、そのほとんどがマヤ文明やアステカ文明、インカ帝国といった中南米の考古遺物とされている。当時の技術水準から考えてあまりにも精巧に造られているとも思えるためにオーパーツとして取り上げられるが、本当に出土品であるかどうかについて懐疑的な説がある。一般にはイギリス人のF・A・ミッチェル=ヘッジスが1927年にベリーズ南部の古典期の遺跡ルバアントゥンで発見したとされるものを指すことが多い。ミッチェルの養女アンナの17歳の誕生日に発見され、彼らが遺跡の調査を中断して水晶髑髏を私蔵したため、様々な憶測を呼んだ。このヘッジスの水晶髑髏(ヘッジス・スカル、運命の髑髏などとも呼ばれる)は実物大で、解剖学的にみても精緻に造られている。カリフォルニア州にあるヒューレット・パッカードの研究所における1970年代の分析結果によると、とのことであった。このため、オーパーツではないかという憶測を呼んだ。2008年4月、スミソニアン研究所で精密な調査が行われ、電子顕微鏡による精密な検査によって水晶髑髏の表面にはダイヤモンド研磨剤による切断跡が確認され、この髑髏が制作されたのは19世紀末以降であることが判明し、ベリーズの遺跡で発掘されたものではないと結論付けられた。事実、歯の部分やあごの取り付け部に金属ドリルによる加工痕があることが、以前の調査でも確認されている。古物商によりドイツで作られた可能性が高い。この髑髏はもともとセントラルロンドンの美術商シドニー・バーニーが所蔵していた物で、彼は1943年にサザビーズの競売に出品し、当時のサザビーズのカタログにも登録されている。しかし、バーニーは競売にかけられる直前に髑髏の出品を取り下げてヘッジスに400ポンドで売却した。その数年後に発見したと公表した。しかも、髑髏を「発見」したとされる日、既にヘッジスはベリーズからイギリスに帰国しており、発見者であるとされるアナもベリーズに入国したことが無いことも判明している。また、発掘作業の写真には水晶髑髏の写真はまったく無く(アンナの写真も)、発掘に参加した他の学者も水晶髑髏の存在を知らなかった。これらの髑髏の素材となる水晶は硬度の高い物質であり、また割れやすく加工は難しい。しかし、現代の道具を用いなくとも、時間をかけて磨いていけば人間の手でも髑髏への加工は可能と言われている。人力による手作業では300年以上はかかるとする見解もある一方で、手作業で半年ほどで制作してしまうグループもいるという。ヘッジスの水晶髑髏には特殊な効果がある、と所有者(および支持者たち)は主張している。この他にも主張者たちは、この特殊なレンズ効果の仕組み・構造は今もって分かっておらず、現在の技術をも用いてもその再現は不可能であると主張している。ただし、これらは実際に学術的な研究や検証などが行われた訳ではなく、また水晶の髑髏による効果とされるもののうちの幾つかは生理現象や物性による説明も可能であり、水晶の髑髏に神秘性を求める者たちの主張の域を出ているわけではない。出自は不明だが、「水晶ドクロは全部で13個あり、全てが再び一ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれる」「2012年までに一箇所に集めないと世界は滅びる」などの迷信や俗説がある。実際には、水晶ドクロは偽物である可能性のあるものを含めて2012年の時点で既に19個発見されており、中にはピンク色の可愛らしいものや、かなりいびつな形をしたものまである。ヘッジスの水晶髑髏以外のものをいくつか記載する。ただし、オーパーツと判断しがたいものや、上記のように偽物と断定されたものも含む。ほかになど。なお、これらを紹介する本の記事には「現代の技術をもってしても再現不可能」と冠せられていることも多いが、少なくとも現代では店舗で購入できるようなイミテーションと同水準の物もある。そもそもこの表現自体、実証した例がない。(ヒューレット・パッカード研究所の報告書にも「再現不可能」とは書いていない)「その他の水晶髑髏」欄に書かれた57ポンド・スカルからマハサマトマン・スカルまでは並木伸一郎監修『超古代の遺物オーパーツの謎』(2005年,ISBN 4-8124-6305-X C9979)に写真が掲載されていたもので、実証その他は不明。
出典:wikipedia
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