スピノサウルス は、中生代白亜紀前期~後期(約1億1200万 - 約9,700万年前)の現アフリカ大陸北部に生息していた獣脚類(肉食恐竜)。属名は「棘トカゲ」を意味する。骨格標本から推定される成体の全長は15 - 17メートル。有名な大型肉食恐竜ティラノサウルスに匹敵する、あるいはそれ以上とも言われる史上最大級の肉食恐竜である。部分的なものではあるが非常に巨大な骨格も発掘されている。体重に関してはティラノサウルスに比べ幾分華奢であり4 - 6トン程とする説から、後述する水中生活の際に浮力を抑える為と推定される骨密度の高さから20トン程まで諸説ある。学名の元になった、高さ1.8メートルにもなる胴堆の棘突起は、生体では皮膚に覆われた帆を形作っていたと思われる。この帆は当時の炎暑の気候に適応し、ラジエーターとしての機能を果たしたと推定されている。このような胴構造のため自在な運動は出来なかったとも考えられている。バリオニクスやスコミムス等の近縁種から想像されるその頭部はやや細長く、魚食性のワニであるインドガビアルを思わせる。歯も、魚食性ワニのような“鱗が張り付きにくい表面構造のもの”に類似しており、魚を主食としていた可能性が高い。近年の化石に対するCT検査では鼻腔には細孔が無数にあり、ワニのようにここに水中でのセンサーが集中していたと推測され、このことから水中でも活動していたと思われる。この一方、現生のワニやクマのように、機会があれば魚以外にも他の恐竜やその死体なども食料としていたと考えられる(事実、近縁種で同じく魚食性が強かったと思われるバリオニクスの化石では、消化器官にあたる部位からイグアノドンの未消化の骨が見つかっている)。(軟骨魚類ノコギリエイ目)の化石と共に発見されることが多く、2005年に発見された化石には同種の骨の破片が確認されており、両者が捕食者、被捕食者の関係にあったと考えられている。白亜紀の現アフリカ大陸北部に当たる地域ではカルカロドントサウルス、デルタドロメウス、そして本種の三種類の肉食恐竜が存在し、これらは主食となる獲物の対象を異にしていたが、時にはカルカロドントサウルスに襲われることもあったらしく、カルカロドントサウルスに棘突起を噛みちぎられたと思われるスピノサウルスの脊椎も見つかっており、競合しつつ共存していた事が伺える(この事例はスピノサウルスが二足歩行だった場合、通常の姿勢では両者の体高差から、この様な位置に噛み傷を付ける事は難しく、後述の四足歩行説を補強する間接的な証拠にもなっている)。2014年9月11日、シカゴ大学のニザール・イブラヒムがサイエンスに発表したところによると、新たに発見されたスピノサウルスの骨格を調査した結果、後脚は水中生活への適応のために、これまで予想されていた復元より短く、陸上では前肢をついて四足で歩行し、深い川で長い時を過ごしサメやエイなどの魚を捕食していた、と唱えられた。これが事実ならば、獣脚類で四足歩行をしていた非常に珍しい種であることになる。ただし、この調査の対象となったスピノサウルスの骨格の構成方法に、疑問が投げかけられている。また、スピノサウルスが生息していた場所の川は小さく浅かった。ディプロドクスなどの当初は水中生活をしていたと推測された恐竜が実はそうでなかった、などの点を指摘する意見もあり更なる検証が待たれる。エジプト、ニジェールから化石が発見されている。1915年、ドイツの古生物学者エルンスト・シュトローマーにより発見された最初の化石はカルカロドントサウルスなどと共に1944年の連合軍によるミュンヘン空襲の際に破壊されてしまったため、近年再発見されるまでは良い標本が無く謎の恐竜であった。バリオニクスなどと共にスピノサウルス科に分類される。日本からもこの仲間と思われる歯の化石が群馬県神流町から発見されている。
出典:wikipedia
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