西村 修平(にしむら しゅうへい、1950年(昭和25年) - )は、日本の政治活動家。行動する運動の提唱者とされる。本業は不明。秋田県男鹿市出身。専修大学中退。日中友好協会(正統本部)の派遣で文化大革命当時の中国を1ヵ月間旅行した。大学中退後はアルバイトをしながら経理学校に通う。民間企業に経理担当として勤務する傍ら、酒井信彦の「中国によるチベット問題」を訴える活動に共鳴して活動家となる(この頃に転向したと思われる)。その後、国民新聞記者を経て、政治活動家として主権回復を目指す会代表、靖国会理事、英霊にこたえる会委員を務める。維新政党・新風千葉県本部・元代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する千葉の会元幹事。河野談話の白紙撤回を求める市民の会代表。「村山談話の白紙撤回を求める市民の会」代表を務める。2011年東日本大震災による福島第一原発事故でいち早く東電に抗議、それ以降は明確に脱原発を掲げた。一方で2013年以降、街宣活動数は減少してはいるが、かつて行動をともにした在日特権を許さない市民の会会長の桜井誠ら他の行動保守の活動を強く批判している。ニコニコ動画における討論会などにおいて、桜井誠の一千万円にのぼる寄付金の行方について突然明らかにするなど、関係者を驚かせた。桜井誠はこれに対して、西村修平がチーム関西によるトラブルをきっかけとして、お互いの活動方針がまったく異なることが明らかになったため関係が途絶したと主張している(桜井誠と西村修平との関係)。1972年(昭和47年)8月4日、日中友好協会(正統本部)が派遣する「学生学習訪中団」の一員として、当時、未だ国交が結ばれていなかった中華人民共和国を訪問している。動画サイトに活動の様子をアップロードするなど、インターネットを積極的に利用した活動を展開している。中国、北朝鮮、韓国、マスコミ、創価学会、自民党、民主党、Google、生活協同組合、慰安婦謝罪要求運動などの活動を行っているキリスト教会、都道府県警察、外国人観光客など批判対象は多岐にわたる。運動としてはその時々にマスコミに取り上げられた物が多い。特定の支持政党は無く、自民党、民主党、公明党、社民党、共産党のことを「利権分配集団」と位置付けている。皇室典範の改正の是非については女系天皇容認の立場である。平成13年(2001年)7月7日、「従軍慰安婦」問題に関し昭和天皇有罪論を主張する「日中友好神奈川県婦人連絡会」主催による「七・七蘆溝橋事件記念のつどい」が開かれ、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を主催する松井やよりによる講演・討論会も行われることとなっており、主催者側によって「多くの方々の討論会参加を歓迎します、どなたでもご自由に発言をして下さい」と呼びかけられていたので、西村は川久保勲など十数人とともに討論会に参加した。その際、上映されたビデオの最後に「天皇ヒロヒト有罪!」と映し出され、拍手が湧きあがったので、川久保が思わず飲みかけのお茶缶を関係者に向かって投げつけた(直後に謝罪)。この時、西村は席を外していたが、主催者から会場から退出するよう促されたので、主催者側に詫びを述べて退出し、その場にいた警察官に住所氏名を伝えて帰宅した。予定されていた松井の公演とフリー討論は「右翼団体による妨害活動を受けた」として中止された。8月6日、主催者側が被害届けを出し、西村は11月14日に威力業務妨害罪で逮捕された。逮捕当時、妻は入院中であり、娘2人は中学・高校生であったため、西村は早期釈放してもらうために調書に署名したが長期拘束されることとなった。11月25日には拘置所に移された。平成14年(2002年)5月20日に初公判が開かれ、公判では「大声を出したが妨害するつもりはなかった」と供述し、共同謀議の容疑についてははっきりと否認した。また「自分達の行為は罪にはならないはずなのに、政治的圧力で左翼に犯罪としてでっち上げられた」と主張した。西村は7月30日に保釈され、10月4日に横浜地方裁判所で懲役1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決を受ける。その後、東京高等裁判所に控訴、最高裁判所に上告したがいずれも棄却され、有罪が確定した。なお、本事件では、と長期にわたり、第154回国会 法務委員会 第15号にて、西村眞悟衆議院議員(当時)により指摘された。なお、西村はこの事件が原因で維新政党・新風から一方的に除籍処分を受けたため、新風を「反日極左と結託した国家権力に尻尾を振ったんじゃないか。権力に拉致(長期不当勾留)された仲間を見殺しにしてしまった」と非難している。有罪確定後、25年間勤務していた会社を退職。國民新聞社の記者・編集委員(既に退社)を経て現在に至る。平成20年(2008年)9月1日、東村山駅前で東村山警察署の元副署長を中傷する街宣を実施。「主権回復を目指す会」のサイトに街宣報告とともに元副署長への批判記事を掲載した。元副署長は、これらの街宣と記事が名誉毀損にあたるとして西村を提訴。平成22年(2010年)4月28日、東京地方裁判所立川支部は西村修平に損害賠償10万円の支払いを命じた。判決は、東村山の朝木明代市議の転落死事件について「本件転落死事件当時、亡明代に自殺の動機がなかったとはいえない」「亡明代が殺害されたことや、これが計画的なものであったことを認めることはできない」などの判断を下した。この裁判においては、西村修平を東村山の矢野穂積市議らが支援していたたことが、1審判決の結果とあわせて月刊誌で報道されている。なお、西村は東京高裁に控訴したが棄却されている。かつての活動仲間・瀬戸弘幸のブログによると、柏市在住。自宅2階のベランダに置かれた糞を「創価学会による陰謀」と考えて警察を呼んだことがある(その後の検証結果の報告はない)。かつては日本文化チャンネル桜社長の水島総と懇意で、同局の番組にも数回出演していたが、英霊にこたえる会の終身常任顧問倉林和男元空将補(2009年(平成21年)6月死去)を「老害」と誹謗したことに水島が激怒、以降は絶縁状態にある。ただし、水島は河野談話の白紙撤回を求める市民の会が行っている河野談話撤回のための署名運動には署名を寄せている。テキサス親父ことトニー・マラーノと親交があり、来日時には共同で講演を行っている。また、テキサス親父の作成した動画にも登場することがある。日本のメディアではあまり報道されないが、海外のメディアでは反捕鯨活動に対する抗議などが取り上げられている。プライベートでは、短歌を詠んだり、クラシック音楽、外国文学、歌舞伎、オペラ、バレエなどを鑑賞する趣味を持つ。
出典:wikipedia
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