エルヴィス・コステロ(Elvis Costello、1954年8月25日 - )は、イングランドのミュージシャンである。本名はデクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナス(Declan Patrick Aloysius MacManus)。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第80位。イングランドのロンドンに生まれる。芸名の「エルヴィス・コステロ」は、エルヴィス・プレスリーと、父方の祖母の旧姓コステロに由来する。「コステロ」はイタリア系の響きに聞こえるが、一般にアイルランド系の名前として多い苗字である。父親のロス・マクマナスはアイルランド系で、ジョー・ロス&ヒズ・オーケストラでシンガー&トランペッターをつとめたミュージシャンだった。コステロは父親がもらってくる大量の試聴用レコードに囲まれて育ち、その豊富な音楽的素養を培った。幼少よりビートルズなどの影響を受け、働きながら「フリップ・シティ」というバンドで活動を始める。デビュー前の1974年に最初の妻・メアリーと結婚、デビュー時には既に長男・マシューがいた。1977年パブロックムーブメントの立役者ニック・ロウのプロデュースにより、シングル『レス・ザン・ゼロ(Less Than Zero)』でデビュー。1987年のシングル"A Town Called Big Nothing (Really Big Nothing)"では父と親子共演を果たしている。プロデューサーとして関わったのが縁でザ・ポーグスのベーシスト、ケイト・オリオーダンと1986年に再婚。2003年にはジャズ歌手のダイアナ・クラールと3度目の結婚。2006年に双子の息子が生まれている。最初の妻・メアリーはコステロとの離婚後、芸名に「コステロ」姓を名乗り「メアリー・コステロ・ショー」というラジオ番組でDJをつとめたこともある。デビュー当初のコステロは、パンク調の作品が多く「怒れる若者」とも言われた。初来日時東京にてプロモーションのため、トラックの荷台に乗り日本の学生服を着てライヴ・パフォーマンスを行ったが、この時は全く見向きもされなかったという。ファースト・アルバムは『マイ・エイム・イズ・トゥルー(My Aim Is True)』であるが、日本ではセカンド・アルバムの『ディス・イヤーズ・モデル(This Year's Model)』から発売された。このアルバムからは自身のバンドであるジ・アトラクションズを率いるようになり、その後もソロやオーケストラとのコラボレーション等、多彩な活動を展開、ヒットを連発する。ポール・マッカートニーとの共作である代表曲『ヴェロニカ(Veronica)』は、フジテレビの『とくダネ!』の主題歌になった。ポール・マッカートニーに、彼のトレードマークであるヘフナー・500-1の再使用を勧めたのはコステロであると言われている。また、代表的なバラード曲『アリスン(Alison)』もドラマで時々起用される人気曲である。2000年以降はNorthのようなジャズ作品や、アラン・トゥーサンとの共作であるThe River In ReverseではR&B、Secret, Profane & Sugar Caneではカントリー・ミュージック、Il Sognoではバレエ音楽を手がけるなど、など従来の枠に収まらない活動を積極的に行っている。2003年に「エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズ(Elvis Costello & the Attractions) 」名義でロックの殿堂入りを果たした。日本人を茶化した『トウキョウ・ストーム・ウォーニング(Tokyo Storm Warning)』という作品がある。また、カップヌードルの発明者である安藤百福への敬意から、自身のアルバムに『momofuku(百福)』と名付けたものがある。Mr.Childrenの桜井和寿は、1995年のシングル『シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜』では「コステロをパクった」と公言しており、敬意を込めてミュージック・ビデオでコステロの格好を真似ている。
出典:wikipedia
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