水巻町(みずまきまち)は、福岡県北部に位置する北九州地方の町である。町の東側は北九州市に、西側は遠賀川に接している。北九州市とは石炭産業が盛んであった時代(後述)から深い交流関係を持ち、同市を中心とした北九州都市圏(関門都市圏)に属し、10%通勤圏に定義される。同市の中でも、かつて同じ遠賀郡に属していた八幡西区(折尾・黒崎地区)との関係は特に親密である。町域内を通る国道3号や鹿児島本線などの沿線では住宅団地やマンションが多数建設されており、同市のベッドタウンとしての役割をもつ。水巻町は九州の自治体で唯一住居表示100%実施を達成している。また、郡部で町名設置100%実施も九州で唯一である。したがって、以下の町もすべて住居表示実施地区である。()内は住居表示実施前の旧大字名。1990年代の初めから町名の設置が行われた。町名設置年は吉田地区の一部を除き不明。かつては産出される石炭を元にした鉱工業が盛んであったが、エネルギー革命の影響を受けて急速に衰退した。最盛期の1960年代初頭に約3万5000人に達した人口は炭坑閉山が進むとともに減少を続け、1970年(昭和45年)以降は過疎地域に指定された。しかし、日本炭鉱梅ノ木社宅跡地を住宅都市整備公団(当時)梅ノ木団地として再開発した事を筆頭に北九州市に近接する地の利を生かし同市のベッドタウンとして発展し始めたことで人口は増加に転じ、過疎地域指定は1990年(平成2年)に解除された。同年以降、人口は漸増傾向にあったが2005年(平成17年)の国勢調査で再び緩やかな減少に転じている。人口は2015年現在、約2万9千人であり遠賀郡では岡垣町に次ぐ規模である。町域の大半が市街化されており人口密度は2500人を超え、隣接する北九州市より高く、同市最大の人口の八幡西区ともほぼ同水準である。2001年(平成13年)、水巻町の住民発議により北九州市に合併の意向を申し入れたが、北九州市からは「時期尚早」との回答がなされ、同市との合併は実現しなかった。もっとも、当時の町長は遠賀4町での合併を既に視野に入れていたため、北九州市との合併は考えていなかった。その後は遠賀郡4町合併の機運が進展し、2004年(平成16年)に岡垣町、芦屋町、遠賀町とともに法定合併協議会を設置して「遠賀市」となるため協議を進めていたが、岡垣町の住民投票で反対多数となったため合併協議は中止され、それぞれ単独町制を貫くことになった。太平洋戦争において、インドネシアなどの南方で捕虜となった連合国軍兵士の一部が水巻町の捕虜収容所に収容され、炭坑などの強制労働に従事した。しかし、食生活の違いからおこる栄養障害や事故などにより、多数の死者がでた。終戦後、生き残った捕虜はそれぞれの国へ帰還した。それからしばらくが経過し、1985年(昭和60年)、元オランダ兵捕虜らが結成した慰霊団が40年ぶりに水巻町を訪問した。それ以来、日蘭交流が始まり、今では行政同士での日蘭中学生交流事業など多方面での交流が進められ、友好の輪が広がっている。上水道事業については、2012年10月に北九州市の上水道事業に統合され、北九州市上下水道局から水の供給を受けている。これは、北九州市発足前に旧八幡市などと水道事業に関する企業団を組織していたことの名残で、町内に自前の水処理施設を持たないためである。町内に高等学校以上の教育機関は存在しない。なお、かつては水巻町立水巻高等学校(前身は福岡県立遠賀高等学校水巻分校)があったが、1963年(昭和38年)に廃校となった。町内に空港は存在しない。最寄りの空港は北九州空港であるが、便数の多さなどから福岡空港を使う町民も多い。
出典:wikipedia
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