吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、高知県生まれ、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズの打撃投手。和歌山県立星林高等学校を経て東北福祉大学に進学。大学の同期には洗平竜也と歌藤達夫がおり、投手としての位置付けは吉見がエース、洗平が二番手、歌藤が三番手だった。に第49回全日本大学野球選手権大会で準優勝、シドニーオリンピック野球日本代表に選出。同年のドラフト会議で横浜ベイスターズを逆指名して2位指名で入団。東北福祉大の先輩でシアトル・マリナーズへFA移籍した佐々木主浩の背番号「22」を用意されるなど期待されての入団だった。1年目は左肩の故障もあり7試合の登板に終わったが、はチームが最下位に沈む中、先発投手としてチーム唯一の二桁勝利を挙げ、ヤクルトスワローズの石川雅規投手と新人王を争った。には開幕投手を務めたが、結局3勝10敗と負け越し。また、この年阪神タイガースの4番濱中おさむ、5番片岡篤史、6番ジョージ・アリアスに3連続本塁打を浴びた。同じ和歌山の南部高等学校出身である濱中とは相性が悪く、高校時代には場外本塁打を浴び、プロ入り後も10打数5本塁打と打たれている。の春季キャンプ途中に佐々木主浩の横浜復帰により背番号「22」から「21」に変更(本人が「譲る」と話した)。シーズン終盤の広島東洋カープ戦でノーヒットノーランまであと1人の所で福地寿樹に同年唯一の安打を打たれ、記録達成を逃した。同年は防御率5点台と安定感を欠くも7勝5敗と前年ほどの不振ではなかった。に12試合の登板で4勝2敗の成績で終わり、はオープン戦で好調だったが、開幕後は一転して不振に陥り防御率は9点台にまで悪化し一軍登録抹消、6月に復帰したものの打線の援護がなく勝ち星が伸びず、その後二軍落ちしたままシーズンを終えた。はロングリリーフ、および先発ローテーションの谷間での先発起用が主だった。6月19日の対ソフトバンク戦では猛打賞を放ち、投げては3年ぶりの完封勝利を記録し、投打にわたり自身の持ち味を発揮した。同年の最終試合では引退する古田敦也の現役最終打席の対戦相手となった(記録は安打)。は前年と同様に主にリリーフで起用された。後半戦は先発で登板し、8月17日に通算3度目の猛打賞で今季初勝利を飾る。9月9日の対広島戦の6回表、打者も苦戦するコルビー・ルイスの内角のスライダーを打ちライトフェンス直撃の二塁打、結果そのヒットが勝利打点となった。この試合では吉見は2回裏にルイスに2号本塁打を打たれており、自分のバットで意趣返しをした形となった。試合は9回3失点で完投勝利を挙げた。はシーズン序盤は前年同様リリーフスタートとなったが、交流戦辺りからは先発ローテーションに入った。また、シーズンでは同じ苗字の中日・吉見一起と3度対戦するも、いずれも勝てなかった。3月31日、最も苦手としている読売ジャイアンツ戦にシーズン初先発したが、2回途中5安打4失点でKOされた。敗戦投手は免れたものの、尾花高夫監督から二軍への降格を命じられた。5月9日、金銭トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。8月7日のオリックス・バファローズ戦では3年ぶりの完封勝利を記録した。最終的には防御率5点台にとどまるも6勝7敗と一定の成績を残し、チームのクライマックスシリーズ出場に貢献した。は序盤先発ローテーションに入るも4試合で1勝3敗と振るわず、中盤からは敗戦処理に回った。に二軍スタート、先発として5試合で1勝2敗、最終的に中継ぎも含めて8試合の登板に終わり、は序盤に中継ぎとして2試合登板、その後は先発として3試合登板するも0勝1敗で5月より公式戦登板がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。、11月14日に阪神タイガースと契約した。のシーズンは一軍昇格はなく、10月1日に2度目の戦力外通告を受けた。12月2日、自由契約公示された。2015年から古巣のDeNAに打撃投手として復帰した。
出典:wikipedia
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