有吉 弘行(ありよし ひろいき、1974年5月31日 - )は、日本のお笑い芸人、司会者。広島県安芸郡熊野町中溝出身。身長172cm。体重62kg。太田プロダクション所属。名前の読みは「ひろゆき」ではなく、「ひろいき」である(本人曰く「結構よくトラブることが多かった」)。広島の実家は古くから熊野筆を製造する工場を経営している。1993年3月2日放送分の『EXテレビ』(読売テレビ)の企画「公開弟子審査会」に合格し、オール巨人に弟子入りする。しかし兄弟弟子と喧嘩をして相手に怪我を負わせてしまい、巨人から謹慎を言い渡される。そのまま無断で巨人のもとを離れ上京した有吉は、1994年東京で森脇和成とお笑いコンビ猿岩石を結成し、猿岩石のボケ担当としてデビュー。太田プロダクションに所属。1996年、『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となりブレイク。帰国後、CDや著書が爆発的に売れるも、肝心のお笑いで結果を残すことができず、ほどなくして人気は低迷し仕事が激減。本人によれば「天狗」になっており、あまり人に好かれていなかったようだと言う。そのためブームが去るとその後の転落速度は相当なものであったという。それから7・8年間、広島のローカル局での出演以外は仕事がなく、経済的に自活することもできずに食事などは上島竜兵らの世話になっていた。仕事もなくほとんど家におり、ネタもない為、ブログには作り話を多く綴っていた。不遇の時代については#ブレイクと転落を参照。2004年、猿岩石を解散、ピン芸人として活動を始める。このころから、『内村プロデュース』に度々出演するようになり(最初の内は猿岩石として、解散後には有吉が一人で)、これが久方ぶりの全国ネット番組への出演となり、復活へのきっかけとなった。有吉によれば、自身の復活は正しく「内Pのおかげ」であり、「内Pで再デビュー」と言った気持ちでもあったという。なお、内P出演時は基本的にリアクション芸、基本的に裸、であった(そのために、体力も錬成しダイエットも行ったと言う)。また、女性ファン層は諦め、同世代の男性に的を絞っていった。そしてダチョウ倶楽部の協力などもあり、それら一定の成果を収めた。有吉によれば、結果的には「裸」が功を奏したと言う。月収はいつしか30万円程度にまで回復していた。2007年、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で発生した「おしゃクソ事変」が話題を呼ぶ(詳しくは後述)。これは2007年8月23日放送回で、品川庄司の品川祐に対し世間が持っているイメージを「おしゃべりクソ野郎」と表現し、これが爆笑を呼んだと言うもの。このコメントは同番組の年間流行語大賞となり、有吉本人も「久々に爆笑と言う感覚を味わった」(有吉弘行 2012 『お前なんかもう死んでいる』p.134より引用)と言う。この後有吉はあだ名、毒舌芸人として人気を得ることとなる。その後順調に仕事は増え、2011年にはメディアの調査・分析を行うニホンモニターの調査による「2011年テレビ番組出演本数ランキング」において、出演総本数499本で1位となった。2012年3月、広島県観光大使に就任した。2013年11月23日、第10回『IPPONグランプリ』初優勝。2013年時点でテレビのレギュラー番組15本、そのうち8本が有吉の冠番組となっている。特に、2013年だけで5本のレギュラー番組が増え、そのうち4本が冠番組を占めるなど、2013年は仕事の幅を広げた。なお有吉が2010年に述懐したところによれば、決して自分から「再ブレイク」などと言って反感を買うようなことはせず、できるだけ目立たず、名誉より金、と言うことである。R-1ぐらんぷりにも興味はなく、太田プロのライブにも出ていないとのこと。2014年11月8日、第12回『IPPONグランプリ』二度目の優勝。ブレイク時の有吉の月収は、最高で2000万円程度に達していた。しかし有吉は「ブームはそう長くは続かない」と考えており、毎月の生活費を抑え貯蓄に励んだ。貯蓄は最高時で7000万円程度に達したが、税金の支払いなどで残ったのは4000万円程度であった。その後、有吉の予想通りに仕事の量は減少。毎月100万円だった給料も歩合制へとなり、月収7〜8万円、もしくはゼロとなっていった。しかしながら、ブレイク時の収入を貯蓄していた有吉は、貯蓄を切り崩すことで不遇の時期を乗り切っていった。有吉は当時を振り返り、「このような倹約があったからこそ、不遇の時代を借金することなしに過ごすことができた。でなければ恐らくホームレスに転落していた」「この貯蓄があったから踏みとどまれた」などと述懐している。なお、約4000万円あった貯蓄は、7〜8年後には100万円程度にまで減少していた。しかしながら有吉は、転落してしまった現状に非常にストレスを感じ、相当に思い詰めていた。収入が少ないにもかかわらず、人に蔑まれるのが苦痛でアルバイトなどもできなかった。また、この頃には自殺も考えたと言う。芸事の方向性も迷走し、有吉は漫画用具一式を購入し漫画家を志しかけたり、逸物を切り落として「オネエ」タレントとして再起を図ろうとしたり、AV男優になろうと考えてみたりしたこともあったという。後述の「あだ名の命名」に代表されるような、毒舌や辛口コメントを得意としている。毒舌に関しては、有吉自身が『嫌われない毒舌のすすめ』『毒舌訳 哲学者の言葉』という著書を出版するほどである。発端は『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』2007年8月23日放送分においてである。有吉が「一発屋芸人にならないための方法」を指南する役としてゲスト出演し、そこで「世間から『これ』という固定イメージを持たれないことが大事」と解説。その話の流れで、有吉がひな壇に並ぶ他のゲストたちに、「世間が持ってるイメージ」をアドリブで直接伝えていくことになった。その際に品川祐に対して、品川の芸風を揶揄して「おしゃべりクソ野郎」というあだ名を命名した。この一連の流れが大爆笑を誘い、その後他の番組でも「有吉が品川のことを『おしゃべりクソ野郎』と呼んだ」というエピソードが多く語られるなど次第に反響は大きくなり、ついには2008年3月13日放送分において、この「おしゃべりクソ野郎」が、「アメトーーク!年間流行語大賞」に選ばれた。この一連の出来事を有吉自身は、「おしゃクソ事変」と呼んでいる。この出来事以降、有吉のこの『あだ名の命名』という特技が『アメトーーク!』を中心に多くの番組で取り上げられ、多数の共演者に対して毒を含んだあだ名を命名している。これをきっかけとして、有吉は「毒舌キャラ」「イジりキャラ」と認識され再びテレビの露出が多くなり、再ブレイクに至った。『日経エンタテインメント!』2008年12月号によると、本人が一番気に入っているのは山崎静代(南海キャンディーズ)につけた「モンスターヴァージン」とのことである。また、自分自身につけているあだ名は「丸顔鼻フック」。2008年2月28日付の品川のブログでは「有吉さんと『仲悪いんですか?』とか言う奴がいる。めんどくせぇ。本番中に悪口言われるのは、ありがたいんだよ」と語っている。有吉は、『アメトーーク!』の演出兼プロデューサー加地倫三(あだ名は「オシャレ骸骨」)に対して「(テレビにたくさん出られるようにしてくれた)加地さんと雨さん(雨上がり決死隊)と品川に感謝です」という感謝のメールを送っている。有吉に「元気の押し売り」というあだ名をつけられたベッキーは、ブログで「それにしても有吉さんのネーミングも最強ですね!(中略) しつこいようですが、“おもしろければ何でもOK”な人間なので、私は大丈夫です! あー楽しかったー!!!」と有吉を大絶賛している。。2009年10月29日付けのブログでは、差出人部分に「有吉を殺す会」と書かれたはがきが送られてきたことを明かしている。有吉のあだ名命名については、「特に、タレントにあだ名をつけるのが天才的にうまい」「『クソ』『野郎』が多いのが目につきますが、毒の含み具合が絶妙」(芸能ライター)、「あだ名芸人として活躍の場を広げている」(『TV LIFE』編集部)と、内外から評価され、有吉の「瞬時に人物の特徴を捉える」あだ名の命名は「芸」であるとの評価がなされている。広島出身ということもあってプロ野球は広島東洋カープのファンである。高校時代は勉強そっちのけでアルバイトして金を稼ぎ、原付を使って広島市民球場に年間30回程行っていた。2012年より広島県観光大使に任命されている。風俗店を好み、『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ50の法則』(2012版)でもp.93-、p.201などで言及している。好きなタイプの女の子は「パンクロッカー」。理由は「周りに流されずに自分を貫いているから」。嫌いなタイプの女の子は「清純派と呼ばれるグラビアアイドル」「自称・業界人と知り合い」。 パンクロッカーがみたいために(有吉曰く)パンクロッカーが多い高円寺を散歩するのが好き。一度、パンクロッカーを探しに高円寺を散歩していたらエリック・クラプトンに会った事がある。上島竜兵を中心とする飲み仲間「竜兵会」の一員である。竜兵会に高田文夫が顔を見せた際に、酔っ払った上島に対する有吉の突っ込みの面白さを見た高田は、自身のラジオ番組『ラジオビバリー昼ズ』に有吉を起用(2006年に高田が休養した際、中継レポーターの春風亭昇太がMC代行となったため、スライドで中継担当になった)することを決めたという。第2日本テレビのネット配信番組『電波少年的懸賞生活2009』に出演し、同番組のプロデューサーより再ブレイクのきっかけを訊かれた際、「世間的には『内村プロデュース』の印象が強いと思うが、実は『リングの魂』の柔道企画等、(内村のみならず)南原さんにも大変お世話になっていて、ウッチャンナンチャンの両氏にずっと使ってもらったおかげ」と答えている。その際、『内村プロデュース』に関して「売れてない時期があったからこそ当時のレギュラーメンバーの凄さに気づく事ができた」と答え、ネット配信番組『内村さまぁ〜ず』に出演した際には、Twitterにて内村光良、さまぁ〜ずの3人について「3人は命の恩人ですので細心の注意を払うべきですが、それをさせない緩さがある」と評している。1993年3月2日放送分『EXテレビ』(読売テレビ)で行われた企画「公開弟子審査会」に有吉が参加し、合格。オール巨人に弟子入りする。しかし弟子入りして8か月後、元々相性が悪かった兄弟子を歯が折れるほど殴ってしまい、有吉は巨人から「暴力を振るうような人間にするために弟子を取ったのではない」「乱暴者はいらん」と謹慎を命じられる。謹慎中だった有吉は、巨人には無断で巨人のもとを離れ、1994年に森脇和成とお笑いコンビ猿岩石を結成し上京。太田プロダクションの所属となる。そして、1996年に『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となる。何も聞いていなかった巨人は、テレビで見て初めて有吉が東京で芸能活動を継続していることを知って驚いたという。女性セブンのインタビューによれば猿岩石の旅企画の終了後、オール巨人の著書によれば『TBSのオールスター感謝祭』で一緒になった時(女性セブンによれば有吉はすぐに巨人の楽屋を訪れたことになっている)、スタジオで巨人を見かけるなり、(何故か森脇と共に)土下座して「すみませんでした!」と謝罪した。巨人は「これで正式に破門や。お前も辛かったんやろ」と声をかけた。この時巨人は、土下座する森脇に笑いながら「君は関係ないやん」と言ったそうである。有吉はいつか巨人に再会した時の事を考えてずっと「びびっていた」といい、巨人が挨拶に来るか電話の一本も入れればいいのにと言った所、それを行う勇気すら出なかったと答えたと言う。巨人によれば有吉は番組の企画で弟子になった時期があっただけのことであり、いつまでも巨人の元弟子だと言われるのはちょっと可哀想であるとしている。一方、弟子時代の有吉の印象について巨人は、「実は謹慎を命じた印象が強すぎて、他のことはあまり覚えていないんです」と語っている。後に、ダウンタウンDXで巨人と有吉は共演しており、有吉から巨人は「楽屋の厄介者」というあだ名を命名されている。アンガールズ田中、平成ノブシコブシ吉村、ハライチ澤部、カンニング竹山、アンジャッシュ(児嶋、渡部)、アンタッチャブル山崎とは、番組でよく共演しており、冠番組においては、よくゲストで登場する。また、これらの共演者は基本的にいじられキャラであり、有吉からもしばしばいじられることが多い。また本人が同期と公言しているビビる大木は1995年デビューのため、1年後輩になる。有吉弘行は、Twitterのフォロワー数がもっとも多い日本人である(2016年5月現在)。2012年11月末にフォロワー数が、当時首位だったソフトバンクの社長・孫正義を抜いて日本人としては1位となり、2013年2月6日には、国内初の200万フォロワーを達成した。さらに2014年3月1日、国内初フォロワー300万人を突破。その後もフォロワーは増加を続け、2015年1月31日に400万人、同年11月20日に500万人、2016年9月4日に600万人に到達した。お笑い評論家のラリー遠田は、芸能界における毒舌キャラに必要な条件として「的外れではない鋭い批評精神があること」「悪口を言っても許される人間であること」の2つを提示し、有吉はその2つを兼ね備えていると評している。特に、2つ目の『悪口を言っても許される人間であること』という点について、遠田は雑誌『m9』(晋遊舎)での有吉のインタビュー記事の「売れない時期が続いてやさぐれたっていうことで、『やさぐれて当然だ』っていうバックボーンは作れたんじゃないですかね」という発言を引用し、「一時は頂点を極めながら最底辺まで落ちぶれたという点で、有吉ほど強力な『毒舌の免罪符』を持っている芸人もなかなかいない」と表現している。芸人の千原ジュニアは有吉の毒舌テクニックについて、「有吉は毒舌を言った後に絶対に笑う」というポイントを語り、アメ(笑顔)とムチ(毒舌)を使い分け、毒舌を吐いた相手を本気で怒らせない有吉のしたたかな芸風を指摘した。また、千原は有吉を「カウンター芸の極み」だと評し、求められるままに手持ちのネタを出してばかりである芸風の自分を「残高が減る一方」と表現し、逆に相手から投げられたボールを返すことを主とする有吉のトークテクニックを挙げ、「有吉の残高はまだまだある」と表現した。放送作家の鈴木おさむは、ほとんど構成を立てず有吉の自由な休日をVTRにまとめただけの『有吉の夏休み密着100時間』(フジテレビ系列、2013年9月7日放送)が、14.2%という高視聴率を獲得したことについて、「『○○の休日』などという内容で視聴率が取れたのは一昔前の大スターが出演する番組のみであり、最近では成立するのが難しいと言われていた。しかし、その殻を久々に破ったのが有吉だった」と解説した。その話を受けた芸人の関根勤は、「このまま(有吉の活躍が)2年3年と続くと、さんまさん(明石家さんま)やたけしさん(ビートたけし)らに次ぐ、芸能界の『新しい柱』になり得る」と評価した。 レギュラー番組 準レギュラー番組 (または不定期出演) スペシャル番組 (最新出演から1年未満の間隔で継続出演している特別番組) レギュラー番組 準レギュラー番組 スペシャル番組 劇団ひとりとのユニット
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