大木こだま・ひびき(おおきこだま・ひびき)は日本の漫才コンビ。1981年5月にコンビ結成。所属事務所は当初はファースト企画であったが、1983年に吉本興業(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)へ移籍し、現在に至る。正統派しゃべくり漫才コンビであり、あの横山やすしにも絶賛されていた。人生幸朗ばりのぼやきや、庶民の暮らしをネタにしたりと、ネタの数は多い。またボケ・ツッコミ担当と一応役割が分かれてはいるものの、漫才の形式としては珍しく、こだまのボケに対してひびきがつっこみ、それに更にこだまが一種の屁理屈のようなボケでつっこみ返すというパターンを持っている。コンビ名の由来は、ともに新幹線開業前に東海道線を走った特急列車の名前(こだま・ひびき)から。「ひびき」は準急型電車で、「こだま」の混雑を補完する目的で運転されていた。その後、ひびきとコンビを組み現在に至る。前のコンビ名は新幹線の名称(こだま・ひかり)から。吉本移籍後の初舞台は、1983年6月うめだ花月上席の「フレッシュコーナー」で踏む。こだま・ひびきといえば、こだまの「チッチキチー」のギャグが有名で、これで初めて全国区人気にのし上がったと思われることが多いが、そうではない。上方漫才に於いては、1990年代前半で既に中堅クラス以上、実力随一と目されており、また前述の受賞歴のとおり、現在ではベテランの域に達した押しも押されもせぬ吉本興業の看板コンビである。また、「チッチキチー」が流行る以前から時々笑点に出演し漫才を披露していたほか、月に1回は東京でライブを開催するなど、大ブレイクとはいかないまでも既に全国的にそれなりの人気は獲得していた(もっとも、関西ローカルの番組では、たびたび関西圏と関東圏の笑いのツボの違い(関東圏では関西圏でウケるべき所でウケず、逆に関西圏でウケないような所でウケることがある)を漫才のネタにしてぼやいていた)。「チッチキチー」という言葉は、日本テレビ系のバラエティ番組『ぐるぐるナインティナイン』にて料理を食べてコメントをする役で出演した際に誕生した。一度にたくさんの店をまわったため、最後のほうでは満腹になってしまい、コメントを求められた際に的確なコメントができず思わず発した言葉である(※)。但し、別の番組では「その時食べたラーメンが何の特徴もない味だったので、コメントに困って言った」とも言っている。※これについてこだま本人はトークバラエティー番組『ナンボDEなんぼ』の中で、「ちくしょう」と言おうとして言い損ねたのかもしれないということ、このコメントを発した際に横にいたなるみが「なんやそれ」と厳しいツッコミをいれたことからギャグとしてブレイクするとは思っていなかったこと、などのエピソードを語っている。その後、2005年1月8日、フジテレビ系の人気バラエティ番組『めちゃ²イケてるッ!』内でナインティナインの岡村隆史が番組内で「チッチキチー」や「往生しまっせ」を頻繁に使用し、全国的にギャグとして定着した。同年2月19日・26日には同番組の人気企画「第8回笑わず嫌い王決定戦」に出演した。なお、こだまは親指に貼る「チッチキチーシール」なるものを所持しており、ゲスト出演した番組の司会者によく渡している。とくに明石家さんまはもらった際に「チッチキチーシールだ〜!!」と子どものようにはしゃいで喜んでいた。また、島田紳助は日本テレビ系の『謎を解け!まさかのミステリー』で「そんな奴おら(へ)んやろ(orおらんがな〜)」を使用したのをきっかけに『行列のできる法律相談所』でもこだまがゲスト出演するまでしょっちゅうネタにしていた。これは、昔NHK上方漫才コンテストの優勝で感涙にむせぶこだま(こだま・ひかり)に向かって、紳竜の優勝を周囲に公言していた紳助が悔しさのあまり「泣くな、ボケ」と暴言を吐いた事を、27年越しに本人にお詫びしたい気持ちから言っていたもの(「第34回上方お笑い大賞」のこだまひびきに対する応援メッセージより)。だが、当のこだまは紳助が苛立ちのあまり花束を床にたたき付けたのを見て「なんでこいつ、こんなに自信満々なんやろ?」と興味を持ち、それから紳竜の漫才に注目していたという。なお『行列のできる法律相談所』(2005年7月3日)、フジテレビ系の『クイズ!ヘキサゴン』(2005年8月17日)にはこだまが登場しており、その後も紳助の番組に時々出演している。ひびきは鼻をさわりながら「プンプン」と言うギャグがある、五木ひろしの物真似でも有名。2006年1月5日にはニッポン放送系の深夜番組「オールナイトニッポン」を担当した(※本来のレギュラーはナインティナイン)。以下大木こだまの弟子
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