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船木勝一

船木 勝一(ふなき しょういち、1968年8月24日 - )は、日本のプロレスラー。東京都葛飾区出身。アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ在住。アニマル浜口トレーニングジム出身で、同ジムインストラクターの経験もある。低身長のため日本のメジャーなプロレス団体には入ることはできなかったが、1993年、日本のプロレス団体、プロフェッショナルレスリング藤原組にてプロレスラーデビューを飾る。藤原組在籍時、石川雄規とタッグを組み新日本プロレスが主催したジュニア・タッグリーグ戦に参戦するが、メジャー団体の選手達の厳しい洗礼により、試合終了後の控室にて口から泡を吹き失神すると云うアクシデントに遭遇する。その後、格闘探偵団バトラーツに参戦後、みちのくプロレスにも参戦し、TAKAみちのく、ディック東郷、MEN'Sテイオー、獅龍(現:カズ・ハヤシ)が結成した海援隊★DXに参加、ヒールとして暴れ回る。1997年にWWE参戦(当時のリングネームは『ショー・フナキ』、当時の団体名はWWF)。獅龍(WCWと契約)を除く4名と共に「KAIENTAI」(当時の海援隊★DX)として活動していたが、1999年に東郷とテイオーが帰国。その後はTAKAとのタッグチームとして活動するが、2002年の日本公演を最後にTAKAもWWEを離脱したため、フナキ一人だけがWWEに残留していた。そのWWEでは"スマックダウン・ナンバーワン・アナウンサー"としてのキャラクターを確立。前座・中堅どころの要(かなめ)で、基本がしっかりしている上に大技まで使いこなせるので、レスラー達からはもちろんのこと、フロント・上層部から「確実に仕事の出来る職人レスラー」として絶大な信頼を得ていた(エッジはブランクが空いた際の対戦相手としてよく指名したという)。また、新人に対するレスリング指導に対してもフロントから高い評価を受けていた。また、これらのことの延長として、番組初登場レスラー相手のジョバーも多く務めた。こうしたことからWWE在籍期間は13年となり、出入りの激しい同団体において異例の長さとなっていた(実際、スマックダウン内ではジ・アンダーテイカーに次ぐ古株であった)。2005年2月5日のさいたま大会前にはWWE・クルーザー級王座を獲得、チャンピオンとして母国への凱旋を果たし、チャボ・ゲレロ相手に防衛も果たした。2008年に入ってからは、SmackDown!のテレビテーピングのダーク・マッチでジョバーとのしての役割が多くなり、2月のハウス・ショーでは鼻骨骨折するが3月に復帰。4月には東京・原宿で行なわれたレッスルマニア24パブリックビューイング・パーティにトリー・ウィルソンと共に登場し、宣伝活動を行った。6月6日に放送されたSmackDown!ではバティスタとタッグを組み(8人タッグマッチ)、久々にメインイベントにも登場した。10月、Rトゥルースの一言がきっかけとなり、リングネームをカン・フー・ナキに変更し、SmackDown!のTVショーにて空手衣を着たギミックで登場。2009年3月、右手に痺れと違和感があり診察の結果、首の椎間板損傷と判明。4月に手術を受ける。その後リハビリを経て、同年8月からFCWで調整を行ない、9月15日のSmackDown!ダーク・マッチで復帰。2010年4月23日、WWEからの退団が発表された。退団後はThis Week in WWEでの日本語ナビゲーターとして出演。またレスラーとしての活動を日本でもするようになり、5月5日のZERO1「WRESTLER'S 11 〜GW Special」東京・後楽園ホール大会に、FUNAKIのリングネームで参戦(日高郁人と組んだタッグマッチ)、13年振りに日本マットへ復帰した。8月にはWWEと再契約しアジア・太平洋地区のタレント・スカウト・コンサルタントとロードエージェントに就任(レスラーとしての契約では無いので国内外の試合出場は可能)。11月にはサンアントニオのインディー団体RCW(River City Wrestling)の配下でレスリングスクール「Fu Dojo」の設立が発表され、2011年1月より本格始動。2012年からは名前をFunaki Dojoと改めた。2011年3月31日、SMASH初参戦。華名にスクールボーイで勝利。6月9日のSMASH王座決定トーナメントに参戦し、同じアニマル浜口門下で元WWEのTAJIRIと1回戦で対戦。しかし、右ハイキックからの片エビ固めで敗戦。12月1日、WWE presents RAW World Tour 2日目のベス・フェニックス対ケリー・ケリー戦のスペシャルレフェリーとして久々にWWEに登場し、歓声を浴びたが試合後リングに残っていたところをザ・ミズに襲撃され、スカル・クラッシング・フィナーレを浴びた。2014年7月、WWEと契約したKENTA(現:ヒデオ・イタミ)にがインタビューした際に、彼の通訳として登場した、また2016年にはシンスケ・ナカムラやWWEクルーザー級クラシックに出場した戸澤陽の通訳で登場している。

出典:wikipedia

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