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獣神サンダー・ライガー

獣神サンダー・ライガー(じゅうしんサンダー・ライガー、1989年4月24日 - )は、日本の覆面レスラー。新日本プロレス所属。本名は非公開(山田恵一(やまだけいいち))。永井豪宅出身、もしくは広島県広島市。血液型AB型。通称「世界の獣神」。上記のプロフィールはライガーとしてのもの(「#正体について」を参照)。正体とされるのは、新日本プロレスに所属していたプロレスラー・山田 恵一(やまだ けいいち、1964年11月10日 - )で、当時の週刊プロレスでも山田→ライガーの特集記事が組まれたこともあった。しかしギミック上はあくまで正体不明であり、ライガー自身も「山田は死んだ。リヴァプールの風になった」と発言している。一方でTV中継では、デビューの対小林邦明戦の実況の辻よしなりが「あの山田恵一が獣神ライガーの中に入っているのではないかという」「(浴びせ蹴りを出した後に)骨法炸裂、やはり山田か!」などと隠さない姿勢の実況をしていた。その後もしばしば山田の名を出し、1991年のトップ・オブ・ザ・スーパージュニア決勝(対保永昇男)では、「山田恵一が獣神サンダー・ライガーになったのは周知の事実」とまで言ってしまっている。試合中にマスクを剥がされて、素顔がむき出しになったこともある。またバラエティ番組や対談等における出演の際には、紹介されたプロフィールや、自身の経歴として語った若手時代の内容が、山田のものだったこともある。また、2013年12月発売の『G SPIRITS』誌に掲載された小佐野景浩によるインタビューでは「素顔時代の自分があるから、その後のライガーがあるわけだし、専門誌に“獣神ライガーに生まれ変わります”って素顔で永井豪先生と一緒の写真が掲載されたこともありますからね。本名だって知られてるじゃないですか。隠すものは何もありませんよ」と語った上で、自らの山田時代の活動を回顧しており、本人はギミック上ほど正体を隠そうとはしていない。新日本のロサンゼルス道場が完成したときに、練習に遅刻した安田忠夫にドン・フライが激怒して乱闘になった際に、山田と思わしき人物が他の選手とともに制止している姿がテレビに映っている。永井豪側からの発信では、ライガーの中身が山田であることは『永井豪のヴィンテージ漫画館』で明記している。ここではライガーと関係が深く、そのライガーの正体とされるプロレスラーの山田恵一の経歴も記載する。広島県広島市中区出身。広島電機大学付属高等学校(現:広島国際学院高等学校)在学時からレスリングで頭角を現し、国体にも出場した。高校卒業後、すぐさま単身メキシコに渡り、そこで出会ったグラン浜田を通じて山本小鉄を紹介してもらい、山本から新日本プロレス入団を許可される(「高校卒業後新日本の入門テストを受験し、体力テスト等は合格基準を満たしたが、身長が低かったために不合格にされた後に渡墨した」というのは事実ではなく、実際はテストを受験していないどころか、履歴書すらも送っていない)。1984年3月3日、小杉俊二戦でデビュー。当時の世代で体格的に恵まれていない選手がジュニアヘビー級でヘビー級に通用するパワーを兼ね備えた選手は獣神サンダー・ライガー(山田恵一)が最初の選手と言っても過言ではなく、この事からも並大抵ではない努力・努力の典型的な選手として古きファンからは尊敬に値する見方をされている。第1回ヤングライオン杯において決勝戦で小杉俊二に敗れ、優勝を逃す。しかしこの頃から、若手らしからぬテクニックを魅せ、ジャーマン・スープレックスで同じく若手であった橋本真也にフォール勝ちし、海外遠征から凱旋帰国した後藤達俊にもエビ固めで勝利する。さらに異種格闘技戦も経験。ドン・中矢・ニールセンとも対戦し、善戦するもKOで敗れる。第2回ヤングライオン杯で優勝を果たしてから海外修業も経験する。遠征中は「フジ・ヤマダ」のリングネームを名乗り、ローラーボール・マーク・ロコ(初代ブラック・タイガーの正体)から欧州レスリング連盟ヘビーミドル級王座を獲得するなど活躍した。この時期の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎、ザ・コブラ、小林邦昭、ヒロ斎藤、保永昇男、UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫、ジャパンプロレスの馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。その影で山田は、藤原喜明の通称「藤原教室」でカール・ゴッチ源流の関節技を、また同時期に若手の船木優治(現:船木誠勝)と共に、当時まだあまり知られていなかった新進の格闘術「骨法」をいち早く学んでいる。身長のハンデを埋めるため新日本プロレスでもトップクラスの練習量を誇り、通常の興業が行われる場合に若手は雑務に追われることが多い中、会場設営・アントニオ猪木のスパーリングパートナー・藤原教室・グッズ販売・自身の試合・先輩レスラーのセコンド、更にわずかな空き時間を見つけては階段ダッシュと7時間以上動きっぱなしということも日常茶飯事だった。1989年1月のイギリス遠征中に消息不明になったとされている。1989年4月24日、東京ドームでアニメ「獣神ライガー」とのタイアップ企画で獣神ライガーが小林邦昭戦でデビュー。ライガースープレックス(獣神原爆固め)で勝利を収めると、翌月の5月25日には馳浩を破り、IWGPジュニアヘビー級王座を獲得し第9代王者となった。ギミックのモチーフとなったのは永井豪原作の漫画「獣神ライガー」で、当時放映されていたアニメにシンクロして獣神ライガー→ファイヤーライガー→獣神サンダー・ライガーへと変化している。1990年代前半はIWGPジュニアヘビー級王座を巡り保永昇男、佐野直喜(現:佐野巧真)、ペガサス・キッド、エル・サムライ、2代目ブラック・タイガー、野上彰(現:AKIRA)らと激闘を展開。これ以降、日本ジュニア界の中心人物とて活躍していくことになる。また他団体との交流戦、対抗戦が盛んになると、積極的に動いて他団体選手の新日本参戦に尽力し、ザ・グレート・サスケ、ウルティモ・ドラゴン等と団体の垣根を越えて協力し、ついに1994年にスーパーJカップを開催、成功を収めた。しかし、同年愛知にて行われたメインイベント、ライガー&長州力組対ワイルド・ペガサス&武藤敬司組の試合で、足を骨折する。その一方で、新日本内部のジュニア活性化も行い、1990年代中頃からエル・サムライ、ケンドー・カシンらと組み、一世代下の金本浩二、大谷晋二郎、高岩竜一らと戦った(もっともカシンは一世代下であるが、カシンが偏屈な性格であることと覆面レスラーという共通点もあり、ライガー側となっていた)。特にディーン・マレンコ、ワイルド・ペガサス(ペガサス・キッドから改名)、2代目ブラック・タイガーの4名は「ジュニア・フォーホースメン」(当時WCWで一斉を風靡していたユニット「フォー・ホースメン」にちなむ)と呼ばれ、1990年中-後半のジュニアを牽引する。またWCWにも遠征し、ベルトも獲得。その出で立ちと実力から人気を博した。2004年7月3日、大阪プロレスへ参戦し、当初はサムライ、金本、井上亘らと共に出場すると思われていたが、邪道、外道、竹村豪氏らと出場。以降、三人と共に、コントロール・テロ・ユニット("Control Terror Unit" 略称 : C.T.U)を結成し、ヒールターンを果たす。一時、蝶野正洋率いるブラック・ニュー・ジャパン("Black New Japan" 略称 : BNJ)というヘビー級の新軍団と合流したが、2006年半ばにBNJが自然消滅になったため再び独立ユニットとして活動するようになる。2007年3月26日、DRAGON GATEに参戦し、オープン・ザ・ドリームゲート王座を保持するドン・フジイを破り、第7代王者に輝く。4月17日に望月成晃を相手に初防衛に成功するが、7月1日にCIMAに敗戦し王座から陥落した。6月26日、新日本本社にて会見を開き、C.T.Uの解散を発表。解散の理由として、ユニット結成の目標として掲げていた「ジュニア制圧」が達成し、ユニットに括られて活動するよりも新たな道を個人で進んでいく方がいいんじゃないかと、ライガー自身が語っており、プロレスのユニットとしては珍しいメンバー全員の見解が一致した上での発展的解散となった。8月26日にC.T.U解散興行を行い、その後は長州、蝶野らが率いるレジェンドに合流した。2008年2月17日、AKIRAとのタッグでプリンス・プリンス(稔&プリンス・デヴィット)が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。デヴィットから勝利を収め、第20代王者組となった。4月13日、NO LIMIT(裕次郎&内藤哲也)の挑戦を退けて初防衛に成功したが、7月21日に前王者組の稔&デヴィット組に敗戦し王座から陥落した。2009年1月4日、レッスルキングダムIIIにてデビュー20周年記念試合を行い、かつて幾度も死闘を繰り広げた佐野巧真とタッグを結成し、金本浩二、井上亘組と対戦。最後は雪崩式垂直落下式ブレーンバスターで金本からピンフォールを奪った。2月15日には4年ぶりにタイガーマスクが保持するIWGPジュニア王座に挑戦。普段見せないムーンサルトプレスやライガーボムなどを解禁し挑んだが、最後はタイガーのデストロイ・スープレックス・ホールドで敗戦した。2010年5月3日、レスリングどんたく 2010にて、ネグロ・カサスが保持するCMLL世界ミドル級王座に挑戦。空中胴締め落としでカサスからピンフォール勝ちを収め、第16代王者に輝いた。6月よりCMLLに遠征し、同団体が主催するカンペオン・ウニベルサルに参戦。一回戦でカサス、二回戦でエクトール・ガルサ、準決勝戦でラ・マスカラを破り決勝へ進出。8月13日、決勝戦にてラ・ソンブラと3本勝負で対戦し、勝負は3本目にまで持ち越されたが、最後はソンブラを丸め込みピンフォール勝ちを収め優勝した。12月10日、JAPWに参戦し、アゼリアルの保持するJAPWライトヘビー級王座に挑戦。自身の他にケニー・オメガ、エル・ジェネリコ、Bボーイ、バンディート・ジュニアが参戦した6WAYイリミネーションマッチで激突し、最後は一騎討ちとなったアゼリアルからピンフォール勝ちを収め、第25代王者に輝いた。2011年8月27日、ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレスに登場し、かつて新日本の同期だった船木誠勝、佐野巧真とトリオを結成して、鈴木みのる&タイチ&青木篤志組と対戦。最後は船木が青木からギブアップを奪い、勝利を収めた。9月よりCMLLに遠征し、11月18日、CMLLミドル級王座の防衛戦の相手としてドラゴン・ロホ・ジュニアと対戦したが、敗戦し王座から陥落した。2012年よりタイガーマスクとタッグを組む機会が増え始め、ジュニアタッグ戦線に参入し始める。6月10日、BOSJ最終戦で組まれた6人タッグマッチに出場し、真壁刀義、タイガーとのタッグで鈴木軍(鈴木みのる&TAKAみちのく&タイチ)と対戦。この試合でタイチからマスクを引き裂かれ素顔を半分まで晒される被害に遭い、最後は鈴木からピンフォール負けを喫した。6月16日、DOMINION 6.16にて、タイガーとのタッグで出場し、空位となっていたIWGPジュニアタッグ王座を賭けた試合でTAKA&タイチ組と対戦。再びタイチよりマスクを破壊されてしまうが、その下からペイントが施された鬼神ライガーが姿を現し、タイチに対して毒霧、テーブルに向けてのパワーボムで報復。最後はタイガーがTAKAからピンフォール勝ちを収め、第32代王者組となった。7月22日、KIZUNA ROAD最終戦にて、フォーエバー・フーリガンズ(ロッキー・ロメロ&アレックス・コズロフ)を相手に初防衛戦に挑んだが、敗戦し王座から陥落した。2013年7月5日、KIZUNA ROAD 2013開幕戦にて、棚橋弘至とのタッグで、BULLET CLUB(タマ・トンガ&テリブレ)が保持するCMLL世界タッグチーム王座に挑戦。棚橋がテリブレからピンフォール勝ちを収め、第34代王者組に輝いた。一方でNOAHが主催する日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦ではタイガーとのタッグで出場。公式戦を無敗で切り抜け、決勝戦で石森太二&小峠篤司組と対戦し、ライガーが小峠からピンフォール勝ちを収め、同大会を優勝、同時に第18代GHCジュニアタッグ王者組に輝いた。9月14日、Road to DESTRUCTIONにて、CMLLタッグ王座の初防衛戦の相手として、トンガ&レイ・ブカネロ組と対戦。試合終盤で相手側のセコンドに就いていたカール・アンダーソンの介入に遭うと、最後はトンガからピンフォール負けを喫し王座から陥落した。12月7日、NOAH主催のGREAT VOYAGE 2013 in Tokyo vol.2にて、GHCジュニアタッグ王座を賭けた5度目の防衛戦として、小川良成&ザック・セイバー・ジュニア組と対戦。自身が小川からピンフォール負けを喫し王座から陥落した。2014年10月13日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、NWA社長のブルース・サープにNWA世界ジュニアヘビー級王座の次期挑戦者として指名される形でリングに登場。この日同王座の防衛に成功したチェーズ・オーエンズに対して「アイム・ベリーストロング」とコメントし、対戦を受諾した。11月8日、POWER STRUGGLEにて、NWA世界ジュニアヘビー級王座を保持するオーエンズと対戦。この試合に勝利を収め、第90代王者に輝いた。その後、鈴木軍との抗争に身を投じることとなり、中でもエル・デスペラードとの確執が表面化し、12月19日、Road to TOKYO DOMEにて、タイガーとのタッグで、タイチ&デスペラード組と対戦。この試合でデスペラードからピンフォール負けを喫すると、試合後に自身のコスチュームとマスクの角をハサミで切り裂かれる被害に遭った。2015年1月5日、NEW YEAR DASH !!にて、NWAジュニア王座の初防衛戦の相手としてデスペラードと対戦。鈴木軍のタイチ、TAKAの介入で苦戦を強いられていたが、救援に駆け付けたタイガーが二人を排除し、最後はピンフォール勝ちを収めて初防衛に成功した。その後、2月14日、THE NEW BEGINNING in SENDAIで前王者のオーエンズ、3月22日、Road to INVASION ATTACK 2015でタイガーの挑戦を退けて防衛回数を積み重ねていったが、4月13日、アメリカのネバダ州・ラスベガスにて行われたCasino Royale 2015にて、スティーブ・アンソニーに敗戦し王座から陥落した。同月29日、レスリング火の国にて、新王者となったアンソニーを相手に王座奪還に挑むが、アンソニーのセコンドに就いていたサープに急所攻撃を見舞われ、アンソニーからはNWAジュニアベルトで殴打されると、最後はピンフォール負けを喫し王座奪取とは至らなかった。7月16日、WWEの傘下団体であるWWE NXTの収録において、GMであるウィリアム・リーガルから、8月22日に行われるTakeover Brooklynに出場すると発表された。新日本プロレスの所属選手でNXTに出場するのは史上初であり、タイラー・ブリーズと対戦する事が発表された。8月22日、Takeover Brooklynにてブリーズと対戦。試合では序盤より優勢に進めて場外にいるブリーズへトペ・コンヒーロ、そしてリング上でライガーボムを決めて勝利した。2016年4月10日、INVASION ATTACK 2016にて、KUSHIDA対ウィル・オスプレイのIWGPジュニアヘビー級王座の後防衛を果たしたKUSHIDAからの次期挑戦者に指名を受け、5月3日のレスリングどんたく 2016にて約6年ぶりにベルトに挑戦した。IWGPジュニアヘビー級王座を11回獲得しており、BEST OF THE SUPER Jr.の優勝3回(「TOP OF THE SUPER Jr.」含む)と共に同タイトルの最多記録である(2005年6月現在)。また、「BEST OF THE SUPER Jr. VIII」では、大会史上初の全勝優勝を達成する。1994年4月にはジュニア・オールスター戦「SUPER J-CUP」を実現させ、第2回、3回と自身も優勝。第4回もザ・グレート・サスケらと組み出場している(本戦は若手中心のトーナメント)。ライガーは自身のライバルとして以下の二人を挙げている。カレーマンの入場時に一緒にカレーダンスを踊ったり、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」では覆面をつけているにもかかわらず五木ひろしのエアーものまねをしてみたり、「全身タイツ隊」のメンバーとしても出演し、メンバーと同じ奇妙な動きを見せるなど、芸達者な一面もある。また、上記のようなテレビ出演やファミ通で人生相談コーナーを持っていたりしたこともあるなど、リングの外での活躍も多い。「象印クイズ ヒントでピント」などのクイズ番組や「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演したこともある。2006年10月から2007年3月にかけてはパチスロ番組「ゴールデンスロット」に準レギュラー出演していた(ただし、番組内でボーナス絵柄の目押しに苦戦する様子などが放送されていることから、ライガー自身はパチスロは素人である模様)。

出典:wikipedia

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