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京阪石山坂本線

石山坂本線(いしやまさかもとせん)は、滋賀県大津市の石山寺駅から坂本駅までを結ぶ京阪電気鉄道の軌道路線である。全区間が軌道法の適用を受けている。京津線と合わせて大津線と総称されている。大津線ではラインカラーが採用されており、石山坂本線のラインカラーは緑色である。公式の愛称ではないが、地元の人たちを中心に石坂線(いしざかせん・いっさかせん)と呼ばれることもある。全駅にてPiTaPa・ICOCAが利用できる。一方、自動改札機を含めスルッとKANSAI対応カードは使用できない。当線は地元大津市民の生活の足になっているほか、沿線には豊富な観光資源を有することから(後述)、観光客の移動手段としても利用されている。浜大津 - 三井寺間は併用軌道となっている。三井寺 - 坂本間は、鉄道線規格で建設されたため山麓をほぼ直線で通り起伏が多い。一方で京阪膳所以南は市内電車風に市街地を縫うように路線が敷設されている。当初、京津線と2線あわせて年間15億円程度の赤字が出ていたため、地元自治体(大津市など)との間で今後の運営のあり方についての協議の場が持たれた。京阪は同線の経営を本社から分離し、独立採算制をとる分社化を検討しており、当初2004年秋に分社化を予定していたが、この時は分社化しても収支改善が見込めずすぐに経営に行き詰まるとして見送られ、経費削減を図り収支が均衡した時点で分社化することになっている。その後の経営合理化と、沿線の人口増加、昼間の電車の増発(発車間隔の短縮化)、ラッピング車両の運行、おでん電車やビール電車などのイベント列車(詳細後述)の運行などのサービス向上により、2013年時点で収支は大幅に改善している。また2013年にNHK大津放送局が制作した、当線を舞台にした3部オムニバス形式の地域密着ドラマ『石坂線物語』が近畿地区で放送され、元々ローカル電車であった当線及び沿線の地域資源に改めて注目が当たり、関西地域での認知度が上昇した。その後、このドラマ『石坂線物語』は2014年2月にNHKで全国放送された。電車は2両編成で、昼間時間帯は石山寺駅 - 坂本駅間全線直通と石山寺駅 - 近江神宮前駅間の区間運転の電車が交互に運行されており、石山寺駅 - 近江神宮前駅間では7 - 8分間隔、近江神宮前駅 - 坂本駅間では15分間隔となっている(全線7 - 8分間隔となる時間帯もある)。昼間のほか夜にも石山寺駅 - 近江神宮前駅間運転の電車がある。ワンマン運転を行っているが、朝ラッシュ時には車掌(列車防護要員)も乗務している。これらの関係で15分間隔で運転している京津線とは1本おきに浜大津駅で相互接続を取る形になる(基本的に京津線とは昼間時間帯を中心に坂本発石山寺行きならびに、石山寺発近江神宮前行きと相互接続を取る形になるため、京津線から近江神宮前駅 - 坂本駅間への利用客は、さらに7分程度待たされることになる)。また、駅での業務を行うステーションスタッフも、無人駅の多い近江神宮前駅 - 坂本駅間で電車に添乗し、集改札業務を行っている。列車内で運賃を収受せず、有人駅では改札口を利用する。車掌が乗務するツーマン運転を行っていた頃は、浜大津駅・京阪石山駅など一部の駅を除いて、使用済み乗車券は原則として車掌または運転士が回収する手法をとっていた。かつては急行・準急を中心に京津線との直通列車もあったが、浜大津駅統合の際に廃止された。駅統合により、両線相互間が同一ホーム上で乗り換えできるようになり、所要時間の短縮が可能となったが、京津線から坂本方面(あるいはその逆)へは駅統合を機に若干短縮されたのに対し、京津線から石山寺方面(あるいはその逆)へは、浜大津駅2番線に到着した京津線電車をいったん引き上げてから、改めて同駅1番線に転線し終わるのとほぼ同じタイミングで2番線に石山寺行き電車が到着するダイヤであったため、駅統合後も所要時間は直通列車とほぼ変わらなかった。さらに浜大津駅統合(1981年4月12日ダイヤ改正)前における浜大津駅 - 坂本駅間では、同区間折り返し列車と全線直通を日中1時間あたり2往復ずつ設定していたが、これは前者の場合、石山寺駅 - 浜大津駅間では京津線直通準急または急行がその代替を担っていたためである。しかし浜大津駅統合に伴うダイヤ改正で日中1時間あたり4往復とも全線直通に揃えられ、石山坂本線の浜大津発着列車は廃止となった。このほか毎年、冬季に「おでんde電車」、夏季に「ビールde電車」などのイベント列車が運行されている。2014年現在600・700形は、その過半数がラッピング車両化されている。各形式の項目を参照されたい。石山坂本線は大津電車軌道によって開業した。最初の開業区間は大津(現在の浜大津) - 膳所(現在の膳所本町)間で1913年3月1日のことだった。これは官設鉄道として建設され、前日まで国鉄が大津線として旅客営業をしていた大津(後の浜大津) - 馬場(現在の膳所)間を電化および三線軌条化したものである。開業時には大津・紺屋ヶ関・島ノ関・石場・馬場駅構内・馬場駅前・錦・膳所の8つの停留所が設定された。以降、膳所から順次延伸され、1914年には浜大津 - 石山(現在の石山寺)間が開通した。石山から先、南郷まで特許を取得していたが風致上の関係で着工は難航し1915年に失効。京阪電気鉄道に合併されるまで螢谷 - 石山寺間にモーターボートを運航して連絡していた。大津電車軌道は1927年に太湖汽船と合併して琵琶湖鉄道汽船となり、同年に石山 - 坂本間が開通した。またこの年、後に近江鉄道八日市線となる湖南鉄道を合併している。これらは琵琶湖に勢力を拡大していた京阪電気鉄道への対抗策として行われたものであった。三井寺 - 坂本間の路線は高速電気鉄道を指向した設計で、将来は堅田から草津まで琵琶湖南岸を半周する路線とすることをめざしていた。車両も路面電車規格ではなく郊外電車規格の100形が用意された。しかし、期待に反して坂本延長線は乗客がきわめて少なく、投資が回収できなかったことから、1929年に湖南汽船の仲介もあり京阪電気鉄道の傘下に入ることになり、旧・湖南鉄道の鉄道路線を八日市鉄道に、汽船部門を京阪系の湖南汽船から改称した太湖汽船(現在の琵琶湖汽船で前出の太湖汽船とは別)に譲渡して京阪電気鉄道に合併、同社の石山坂本線となった(坂本駅からの堅田方向への未成区間0.4kmは1930年6月25日付けで事業廃止された)。合併後は石山方面と直通し、持て余していた100形は京阪本線に転属し800型(初代)となった。800型は京阪最後の木造車として京阪本線や晩年は交野線で使われ続け、廃車されるまで大津の地に戻ることはなかった。廃車後機器類が石山坂本線用に新造された350形へ流用され、復帰を果たした。1997年、京津線の京都市営地下鉄東西線乗り入れ開始に伴い、石山坂本線も架線電圧を1500Vに昇圧した。

出典:wikipedia

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