山陽電気鉄道株式会社(さんようでんきてつどう、英称:"Sanyo Electric Railway Co., Ltd.")は、兵庫県神戸市長田区御屋敷通3丁目1番1号に本社を置き、兵庫県南部で鉄道・索道・不動産事業を経営している会社である。通称は「山陽電鉄(さんようでんてつ)」で、略称は「山陽(さんよう)」「山電(さんでん)」。乗車券では「サンヨー」の表記事例もある。鉄道事業は「山陽電車」の名称で展開している。東京証券取引所(上場時大証)1部に上場している(証券コード:9052)。旅客輸送人キロは780百万人キロ(2005年度)となっている。準大手私鉄に分類されている。かつては直営で神戸市垂水区を中心に沿線都市で路線バスや、沿線都市と他都市を結ぶ高速バスも運行していたが、2011年3月1日に子会社の山陽バスに全面移管された(バス事業については同記事を参照)。スルッとKANSAIでカードに印字される符号はSYである。旧・兵庫電気軌道に由来する兵庫 - 明石間の軌道と、旧・神戸姫路電気鉄道に由来する明石駅前(現在の山陽明石) - 姫路駅前(現在の山陽姫路)間の鉄道が路線の母体となっている。先行して開業した兵庫電気軌道(以下、兵電)は開業以来経営が不安定な面があり、明石以西への延長の際に別会社の神戸姫路電気鉄道(以下、神姫電鉄)を設立することでリスク回避を図った。しかし、播州鉄道(現在のJR加古川線の前身)の経営陣による兵電の敵対的買収により播州鉄道傘下となった兵電と旧兵電派の神姫電鉄は疎遠となった時期もあった。それらの混乱収拾と併せて自社の売電先確保を狙った戦前の大手電力会社・宇治川電気(関西電力の前身の一つ)が両社を併合し、自社の鉄道事業部門とした。後に宇治川電気が本業への絞り込みにより鉄道部門を分離した際に新しく設立されたのが現在の山陽電気鉄道である。なお、後に作家となる椎名麟三が1929年 - 1931年に同社の車掌として勤務しており、その経験をもとに「美しい女」という短編を発表した。現本社前には椎名麟三の文学碑が建立されている。合併前2社の路線規格の相違など困難な条件を克服して直通運転を実現し、県庁所在地の神戸と播磨の中心地である姫路とを直結する都市間連絡路線へと成長した。さらに、1940年には沿線での工員輸送を目的に支線の網干線を開通させている。戦後は運輸省の63形電車導入を機に高速鉄道への脱皮を図る。また近隣にある川崎車両→川崎重工業が協力し、850形ロマンスカーの大型車両の採用や2000系などの先進的な設計の電車の投入など積極性を発揮、特に1962年には高速電車として日本初のオールアルミニウム車を導入している。また戦後も長年にわたって神戸市内における併用軌道区間(路面走行区間)が残存して運行のネックとなっていたが、1968年には神戸高速鉄道の地下線直通を開始して併用軌道を廃止するとともに京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)および阪神電気鉄道からの直通列車が乗り入れるようになり、神戸三宮・大阪方面との結び付きが強められた。1970年代に入ると、沿線の播磨臨海工業地帯においてことに製鉄業の低迷傾向が顕在化した。網干線の建設理由であった新日本製鐵(←富士製鐵←日本製鐵)広畑製鐵所の高炉群の休止とそれに伴う大規模な雇用整理などは通勤客の看過し得ない減少を招き、山陽電気鉄道の経営にも大きな打撃を与えた。さらに沿線には郊外地域が多いという条件からモータリゼーションの影響も深刻となってきた。また、高校生の通学においても明石以西の沿線においては平坦な地形のため、2 - 3駅程度の距離では自転車を利用して通学する生徒も多くなっている。その上、神戸市内および明石駅近辺まで西日本旅客鉄道(JR西日本)の山陽本線(JR神戸線)と完全に並行していることから、神戸・明石両市内では山陽電鉄線より速く、短距離では運賃も安いJR線に乗客が奪われつつある。また、JR線と離れる明石 - 姫路間の利用者も両社の駅が接する明石や垂水などでJR線へ大きく流出する現象が見られる。その現象はすでに旧国鉄時代に見られ、国鉄時代の関西においては唯一私鉄が劣勢に立たされていた地域でもあった。さらに、山陽電鉄線沿線から神戸市中心部に行くためには必ず神戸高速鉄道の運賃が、さらに大阪方面に行くためには加えて阪神電気鉄道または阪急電鉄の運賃がそれぞれ加算される。これらがJR西日本との競争の足かせになっているとの指摘も多い。このため、「1dayチケット」などの特別企画乗車券を発売して乗客の逸走防止や新規獲得を目指している。また、最近ではテレビCM(関西の放送局限定)を流して旅客獲得に努めている。全駅の自動改札化、網干線のワンマン運転化、主要駅以外の各駅の巡回駅化(実質的な無人化で係員の定期的巡回とモニタカメラ遠隔監視を行う)、普通列車の一部編成の短縮など、徹底的な合理化を実施し、一方で阪神・淡路大震災後に積極策として企画された阪神梅田への直通特急の運行を実現して一定の成功を収め、車両面においても特急系の列車には転換クロスシート車を投入するなどの改善策も図られている。神戸高速鉄道の開業以降、阪急電鉄と阪神電気鉄道がそれぞれ山陽電鉄の発行済み株式総数の5%を保有していたが、1998年に阪急が山陽区間への乗り入れを休止した後に阪急が阪神へ保有株式を売却したため、現在は阪神電気鉄道が筆頭株主となっている。なお、阪神電気鉄道は2006年10月1日付けで阪急電鉄とともに阪急阪神ホールディングスの100%出資子会社となり、経営統合されたが、山陽電鉄は阪急阪神ホールディングスグループに参加していない。社章はレールを山の字でかたどった円で囲ったものである。1983年からはシンボルマークが制定された。その際に制定されたものはいわゆる「太陽マーク」と呼ばれ、赤丸に白抜きで鉄道(本線・網干線)の路線網をかたどったものであった。現在でも子会社の山陽タクシーの社紋として使用されている。2007年には創業100周年を機に新しいシンボルマークが制定された。赤色の5本線が縦横斜めに折り重なったもので、縦横斜めは感謝・信頼・挑戦を表現し、5本線は山陽電鉄グループの展開する5つの事業分野を表現する。本線の山陽須磨駅 - 山陽明石駅間は、JR神戸線(山陽本線)と並走している。特に舞子公園駅 - 山陽明石駅間では、JR神戸線と線路が完全に並走しており、競合状態となっている。山陽明石駅・山陽垂水駅・山陽塩屋駅は、それぞれJR明石駅・垂水駅・塩屋駅と隣接している。山陽明石駅では、1階部分はJR明石駅と共用となっている。ホームが隣にあり、お互いの車両やホームが見える。また、JR神戸線で人身事故、列車事故などの、何らかのトラブルがあった場合は、本線で振替輸送を行う。かつては、車体の上半分を黄色みの強いクリーム色、下半分を濃紺に塗り分けた塗装だったが、現在の塗装はアルミ車が赤帯のみ、鋼製車がアイボリー地に赤と黒の帯である。車両の電装品は1957年の2000系2次車以降、長らく川崎重工業→富士電機製の制御装置と三菱電機製のモーターという組み合わせだったが、VVVFインバータ制御車では同じメーカーの制御装置とモーターを搭載するようになり、5030系は富士電機製の制御装置とモーターを、6000系は三菱電機製の制御装置とモーターを搭載している。なお、戦前の車両はゼネラル・エレクトリック (GE) 製およびGE社の日本でのライセンス先であった東芝製の電装品を使用していた。集電装置は富士電機製のものが一部にある他は工進精工所製となっている。形式番号に加えられる製造順位を表す番号は、阪急電鉄と同じく下一桁0から付番されている。図面や許認可申請書類に記載される車両形式には「クハ」「モハ」「クモハ」「サハ」といったカタカナの形式称号が付いているが、実車には形式数字のみ表記されカタカナは表記されていない。初期に製造された3000系の置き換えを目的として、2015年度より21世紀初の新型車両である6000系を導入した。なお、車内設備の近代化を図るため、3000系列のリニューアル工事が順次進められている。過去の車両発達過程については「山陽電気鉄道の旧型電車」の項を参照のこと。大人普通旅客運賃(小児は半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。全駅で神戸高速線経由阪急電鉄・阪神電気鉄道・神戸電鉄各駅への連絡乗車券が購入できる。阪神線方面へは2009年3月20日の阪神なんば線開業後も延伸区間の大阪難波駅までしか連絡乗車券を発売していないため、山陽電鉄線から神戸高速線・阪神線を介して同駅で下車しないで近鉄線方面へ向かおうとする場合は、いったん同駅までの連絡乗車券を購入し、不足分を近鉄側の駅または車内で精算しなければならない。ただし、自動改札機でスルッとKANSAIの磁気カード、または全国相互利用対象ICカード(PiTaPa・ICOCAのほか、Kitaca・Suica・PASMO・manaca・TOICA・nimoca・はやかけん・SUGOCA)を利用した場合は、各社線の運賃がまとめて差し引かれる。発売している企画乗車券は概ね以下の通り。他。「三宮・姫路 - 」「三宮・明石市内 - 」「垂水・舞子 - 」(三宮版)の3点は山陽の乗車駅 - 阪神神戸三宮駅間に加えて新開地駅 - 湊川駅間・高速神戸駅 - 阪急神戸三宮駅間も乗車可能だが、「阪神・山陽シーサイド - 」「阪神・明石市内 - 」「垂水・舞子 - 」(阪神版)の3点は、新開地駅 - 湊川駅間・高速神戸駅 - 阪急梅田駅間は乗車できない。「垂水・舞子 - 」は2種類とも山陽バス(一部路線除く)にも乗車可能である。「奈良・斑鳩 - 」「高野山 - 」(ただし期間限定)の2点は、阪神なんば線の開業までは例えば直通特急で阪神梅田駅まで出て大阪市営地下鉄・ニュートラムも利用できていたが、開業後は2点とも阪神なんば線経由で利用するように改められた(前者は大阪難波駅から直接接続する形となり、後者は同駅で南海難波駅との徒歩連絡乗り換えができる)ため、同線開業まで利用できていた大阪市営地下鉄・ニュートラムは利用できなくなった(詳細は阪神なんば線#大阪難波延伸開業による利便性の向上を参照のこと)。単位:千人(乗降客数の表に基づく)乗降客数の表に基づく単位:千人乗降客数および定期利用者数の表に基づくJR山陽本線などの前身にあたる山陽鉄道や、山口県にあった路面電車の山陽電気軌道およびその後身のサンデン交通は通称・呼称が似ているか同じであるが、全く関連はない。また、鉄軌道事業者やその後身以外で「山陽」が付く、岡山県の新聞社である山陽新聞社や同県の放送局山陽放送、広島県の旅客船会社である山陽商船ならびに関連会社のさんようバス・山陽観光、かつて存在していた製紙会社の山陽国策パルプ(現・日本製紙)とも無関係である。1950年から1952年までの3年間、プロ野球の独立二軍チーム「山陽クラウンズ」を保有していた。CMは主に朝日放送や読売テレビのスポットのみで放映されていたが、最近では毎日放送や関西テレビでも放送されている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。