名古屋市営バス浄心営業所(じょうしんえいぎょうしょ)は、愛知県名古屋市西区浄心1丁目1-6にある名古屋市営バスの営業所である。最寄のバス停留所は浄心町であり、主に名古屋駅発着路線、西区南部の路線を担当している。2014年(平成26年)4月1日、楠分所を新設。名古屋市電の浄心車庫を拡張し設置された営業所(自動車車庫)であり、市営バス開業直後の1930年(昭和5年)4月から存在している。当系統は、名古屋駅および栄から出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)を経由し、千種区北東部および名東区猪子石地区を結ぶ基幹バス路線である。地下鉄東山線と名鉄瀬戸線の間の鉄道空白地帯を経由するため、本数、利用者数とも他の市バス路線に比べて多い。なおこちらも参照。当系統は、名古屋市2本目の基幹バス・新出来町線として、1985年(昭和60年)に次の路線を整理統合して登場した。2003年(平成15年)、それまで主担当であった那古野営業所が閉所となったため本営業所が主担当となったが、副担当としてそれまでの猪高営業所に加えて大森営業所も担当となり、それによって[出入1]が設定された。同時に、市営希望ヶ丘荘の再開発のため自由ヶ丘の転回場が廃止、〔八事11〕の短縮により光ヶ丘の転回場に空きができたため[支]が光ヶ丘まで延長された。なお、2003年12月に大森が副担当になるまで「栄 - 自由ヶ丘」、「栄 - 猪高車庫」の路線も存在した。[本]および[出入1]合わせて、昼間は栄 - 引山間では10分毎で運行している。また、[支]および[出入2]合わせて、昼間は名古屋駅 - 光ヶ丘間では20分毎で運行している。当系統は、名古屋駅と大曽根・上飯田を、外堀通(愛知県道200号名古屋甚目寺線)を経由して結んでいる。市電81号系統(名古屋駅 - 平田町 - 上飯田)、市電12号系統(名古屋駅 - 清水口 - 東大曽根)の廃止代替系統である。[本]の旧番号は〔143〕→〔幹線20〕である。新設当初は市電と同じ経路であったが、〔基幹2〕の新設により赤塚 - 山口町が重複するため経路変更となり、本線は東区役所経由になるが、赤塚経由も残そうということで平田町-西大曽根間を国道19号に沿う支線が設定された。のちに「栄 - 東区役所 - 上飯田(当時は上飯田町)」の支線も新設された。1998年(平成10年)の再編時に[本]のみが残され、赤塚経由の支線は栄発着の支線と統合して〔栄14〕となった。[支]は2003年までは〔名駅14〕を名乗っていた。こちらも市電と同じ経路であったが〔基幹2〕と重複するため、飯田町・白壁経由に変更された。また、もともとは平安通を経由しなかったが、大曽根駅の旧バスターミナルがゆとりーとライン建設のために閉鎖されたため、折り返し経路の関係で名古屋駅方面のみ平安通を通るように変更され、その後当該系統に取り込まれた際に双方向とも平安通を経由するようになった。平日の昼間は、[本]・[支]それぞれ30分毎に運行しており、名古屋駅-飯田町間は合せて15分毎で運行している。土曜・休日の昼間は、[本]が1時間あたり2本、[支]が1時間あたり1-2本の運行であり、等間隔ではない。[出]は上飯田行き始発1便のみの設定である。これは元々の担当だった那古野営業所からの出庫の関係でこのようになっていた。那古野営業所から浄心営業所に移管となっても、利便性から踏襲されている。 名古屋駅と港区稲永地区を結ぶ系統である。中川運河の右岸に沿ってひたすら走るため、橋の名前がつく停留所が多く、2015年11月の再編で清船町一丁目停が新設されるまでは、猿子橋 - 昭和橋間のバス停名は橋の名前ばかりが9か所続いていた。運行本数は[折]のほうが多く、[本]は1時間に1本である。1960年(昭和35年)の路線図に既に載っているという歴史の古い系統で、当時は空見町を終点としていたが、のちに〔25〕と終点を取り替える形で野跡(現・野跡小)までの運行となる。1996年(平成8年)に〔幹線18〕になるまでは〔115〕を名乗っていた。1998年の再編で[本]の終点が名古屋港へ変更されるが、2000年(平成12年)に野跡行きが〔名駅27〕として復活し(ただし、〔幹線18〕時代は毎時3便だったものが毎時1便のみに変更されている)、2004年の再編で統合の結果元の経路に戻り現在に至る。当系統は名古屋駅と名西橋の間を、名駅通・名鉄栄生駅・名古屋環状線・国道22号経由で循環する系統である。名西二丁目以西の区間で環状になっているが、左回りのみ運行され右回りは存在しない。旧番号は〔4〕。かつては栄 - 名古屋駅 - 栄生町 - 枇杷島通3という路線であった。2003年~2014年は稲西営業所の担当(当営業所は副担当)だった。[出]は始発1便のみの運行であるが、〔4〕を名乗っていた時代から設定がある。日中時間帯の運行間隔は平日が20分毎、土休日が30分毎であり、ラッシュ時間帯などは増便される。平成20年度の営業係数は、105であった。名古屋駅から菊井町・外堀通(愛知県道200号名古屋甚目寺線)を経由、名古屋城の正面で外堀通と別れて城の方向へ向かい、県警本部の直前で右折して愛知県庁の庁舎群の中を突っ切って市役所、そこからは名鉄瀬戸線と付かず離れずという格好の経路で大曽根を目指す系統である。旧番号は〔18〕。本来〔18〕は〔本〕を指していたのだが、〔17〕(名古屋駅 - 飯田町 - 大曽根)と統合されて旧〔17〕が〔18〕の本線となり、〔本〕は支線という扱いになっていた。2003年の再編で本線が〔幹名駅1〕に取り込まれたため、再び[本]が本線に昇格して現在に至る。[折]は平日ラッシュ時のみの設定である。1989年の再編までは名古屋駅→桜通本町→大津橋→市役所→名古屋駅という循環運行をしていた。当系統は、名古屋駅と黒川・大曽根・砂田橋・茶屋ヶ坂 を、浄心を経由して結ぶ路線である。秩父通 - 大幸は名古屋環状線を経由しており、このうち黒川 - 茶屋ヶ坂は地下鉄名城線と経路が重複している。旧番号は〔2〕および〔110〕→〔幹線2〕である。元々は名古屋駅 - 砂田橋が本系統で、さらに先の大幸団地(現・大幸東団地)まで足を伸ばす便も多かった。名古屋市がリフトバスを導入したときに早い段階で投入された。2000年に名城線が砂田橋まで延伸開業し、大幸団地行きの毎時1便とリフトバス(当時)で運行していた毎時1便を除いてすべて黒川止まりに短縮され、本数も15分間隔へ削減された。2003年の名城線名古屋大学までの延伸開業で大幸団地の回転場が廃止となったため大幸団地行きも廃止となり、副担当だった大森営業所が運行から撤退した。西部医療センター開設に伴い、2011年5月から昼間時は[本]の代わりに[支2]が運行されることになった。[支2]は城見通二からそのまま西部医療センターへ向かわずに一旦黒川へ立ち寄るため、黒川 - 城見通二を重複運行する。2016年4月の再編で[支1]が茶屋ヶ坂まで延伸され、同時に[支3]が新設された。砂田橋から大幸東団地を経て、茶屋ヶ坂に至るため、実質2003年の大幸団地行きの復活に近い。昼間は、[支1]・[支2]とも1時間に1本の運行で、名古屋駅 - 黒川は1時間あたり2本の運行となる。 [支3]は[支1]運行終了後に毎日2便運行される。[本]・[支1~3]に関してはすべてノンステップバスでの運行である。浄心町発着である[出入]は〔名駅15〕を名乗るものの、実質は浄心営業所から名古屋駅への出入庫系統である。因みに〔2〕は現・[支1]と同じ経路であった一方、〔110〕は枇杷島通3が起点であった。当系統は名古屋駅と東新町を広小路通経由で結ぶ、比較的短距離の路線である。栄を途中バス停とする数少ない系統である。1989年(平成元年)の桜通線開業による再編で並行する〔幹線15〕(名古屋駅 - 桜通本町 - 高岳町(現高岳) - 東新町 - 栄 - 名古屋駅)が廃止される関係で、並行しない区間を残す意味で〔50〕の支線として設定された系統である。名古屋駅 - 栄で新設された都心ループと並行するため本数が減らされているが、都心ループは朝夕のラッシュ時の設定がないためその補完を兼ねている。[折]は2004年の再編で設定された支線で、平日のみの運行である。表記の通り片道のみの設定で、広小路本町到着後は回送となって那古野転回場へ戻る。名古屋駅ターミナルビル建て替えに伴い名古屋駅バスターミナルが閉鎖されたため、2010年12月から起点が那古野町に変更されている。2015年4月の再編では経路の変更はないが、往路と復路を通しで乗車することができる循環系統となった。なお、2010年からは市バス開業80周年の企画として、昔の市バスの塗装をした「レトロカラーバス」が走っていたが2011年度に廃車となった。名古屋市の名物でもある100メートル道路の一つである若宮大通を東西に行き来する系統である。旧番号は〔81〕。かつては〔67〕(現・〔栄16〕)同様星ヶ丘まで足を伸ばしていたが、地下鉄東山線と競合する関係で田代本通 - 本山 - 星ヶ丘間が短縮される。その後は長年その状態が続いたが、名古屋高速2号線の建設によりその地上部分にも道路が整備されたことで2003年の再編で運行区間が名古屋大学まで延長される。ただし、このときは平日の朝夕ラッシュ時のみ田代本通までの便が残されていた。2004年の再編ですべての便が名古屋大学まで運行されることになった。なお、2001年の再編までは名古屋駅 - 吹上という折り返しの設定があり、平日朝夕、および土日祝日の昼間時に運行されていた。押切町 - 上小田井駅を素直に北上せず、名岐バイパス(国道22号)で庄内川を渡り一部清須市(旧西枇杷島町)内を通過するため古城バス停は清須市内にある。旧番号は〔123〕。現行のように名古屋駅のバスターミナルを発着するようになったのは2001年の再編からで、それまでは新幹線ホーム側の太閤通口をターミナルにしていて、太閤通口を出ると新幹線に沿うように北上、外堀通(愛知県道200号名古屋甚目寺線)とぶつかったところで右折して菊井町へ向かっていた。1998年の再編で上小田井駅までに短縮されたが、2000年の再編で平田住宅までの運行に戻っている。1998年の再編で、上堀越町から本線と分かれて〔西区1〕と同じ経路で浄心町へ向かう支線が設けられた(栄27/西巡回の項も参照)。その後、〔西区2〕(名古屋駅 - 名古屋駅)の経路だった菊井町 - 浅間町 - 浄心町の経路を組み込む形で再び本線と合流して名古屋駅へ向かう形に変更されたが、2003年の再編で〔名駅12〕が〔金山24〕(金山 - 浄心町)の廃止に伴って天神山経由から江川線(名古屋市道江川線)経由へと変更されたため、経路が類似するこの支線も廃止となった。2014年の再編までは如意営業所が副担当だった。路線図では名古屋駅の系統として緑線で表示されていたものの、新系統番号採用時点の方向幕は名古屋駅発着系統用の緑地に白抜き文字ではなく、他の一般系統同様の白地の幕(系統番号・経由地は青文字、行き先は黒文字)が使われていた。平日・土曜・休日とも、毎時1本の運行。旧〔117〕。当系統は1959年12月の開設で、当初は栄 - 名古屋駅 - 笹島町 - 中村区役所(旧:太閤通三丁目) - 本陣 - 高道町 - 日比津小学校前という経路であった。1983年頃までは栄 - 広小路本町 - 笹島町 - 中村区役所(旧:太閤通三丁目) - 本陣 - 高道町 - 新富町という路線であった。その後現行経路になると同時に、朝に数本のみ本陣通2丁目 - 枇杷島スポーツセンター間を栄生町経由でショートカットする小回り経路が新設される。1998年の再編で名古屋駅 - 中村区役所 - 本陣 - 栄生町 - 新富町 - 本陣 - 中村区役所 - 名古屋駅という経路にし、系統番号も〔中村区2〕となるが、2000年の再編で再び〔117〕時代の経路に戻される。そして、2004年10月の再編で〔名駅29〕となり現在に至っている。平成20年度の営業係数は、250であった。日中は左回りと右回りが60分間隔で交互に運行。[折]は平日と土曜に1往復のみ運行される。 旧〔20〕の支線。栄から大津通を北上し、城北橋交差点を左折して浄心町から名岐バイパス(国道22号)へ出て清須市との境にある名西橋に向かう系統であるが、朝夕のみ、堀越交差点を右折して名塚中学へ向かう便がある。名塚中学停留所には転回場がないため、名塚中学行きのバスは客扱い終了後営業所へ回送となる。旧〔西区〕で、旧公共施設関連系統の一つであった。西区を走る公共施設関連系統は、もともとは〔西区1〕(栄 - ([西巡回・栄27]と同じ) - 名西橋)と〔西区2〕(名古屋駅 - 押切町 - 浄心町 - 名古屋城正門前 - 桜通本町 - 名古屋駅)という系統があった。〔西区1〕は新名西橋の工事の関係で名西橋の転回場が使えなくなったため浄心町まで延長されたが、1998年の再編で〔名駅26〕の支線との絡みで再び名西橋までの運行に戻る。その後〔なごや城〕の新設に伴って〔西区2〕が廃止されたため、再び浄心町までの経路と独自区間であった名古屋城南(現:名城病院) - 浄心町を取り込んで現在の経路となり系統番号も〔西区〕に改められた。2004年の再編で既存の公共施設関連系統の多くは一般系統化されたり、新たに経路を作り直した上で地域巡回バスとなった中、〔西区〕系統についてはそのままの経路で〔西巡回〕とされた。2010年に西区役所が浄心へ移転されたのに伴い、〔西巡回〕のみ西区役所を経由する。すべての便がノンステップバスで運行される。[栄27・入]は日祝日の最終1便のみの運行である。詳細は都心ループを参照。詳細はなごや観光ルートバスおよびメーグルを参照。元々はいすゞ自動車製の車両で統一されていたが、入札制の導入や営業所の再編により、現在では他メーカーの車両も多数配置されている。基幹2号系統及び都心ループバスの栄758系統は、一般車とは塗装の異なる専用車両が使用される。配属されている車両は、以下のとおりである。ワンステップバスは配属されていない。他に観光ルートバスメーグルの車両5台の管理・運行を名古屋市市民経済局から受託している。
出典:wikipedia
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